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2016年1月13日水曜日

戦前の皇室典範にあった天皇の皇族監督権が無くなり、東宮は同じ宮内庁にありながら、天皇・皇后を戴く本庁からは独立独歩となっている。
東宮職の組織は、トップの東宮大夫の下に皇太子担当の東宮侍従長と侍従5人、皇太子妃担当の東宮女官長と女官4人、東宮侍医長と侍医3人が特別職となっている。
そして事務職や殿部、内舎人(うどねり)、女嬬(にょじゅ)、医務係、内親王の養育担当の出仕らを含めると56人、このほか食事を世話する大膳課職員、車馬課運転手の東宮担当を合わせると70人近い。
更に皇居警察護衛二課員30人も加えると合計で約100人の大所帯となっており、十数人規模の宮家とは比べものにならない「準天皇」待遇となっている。
俸給表上は、宮内庁長官は副大臣や内閣法制局長・内閣官房副長官らと同格で、天皇の侍従長は大臣政務官・内閣危機管理鑑らと同格となっている。
東宮大夫は2ランク下の中央労働委員会委員長、原子力委員会委員長や中ランクの大公使級だが、格付け以上の枢要ポストを経験したベテラン官僚が担当している。

2016年1月8日金曜日

アメリカは入植して反乱を起こし、権力を掌握してから選挙で正当化するという手法で、テキサス州もニューメキシコ州も国土を力づくで拡大した。
19世紀の初めに、カメハメハ大王がハワイ諸島を統一してハワイ王国を建国した。
ちなみにホノルルに、アメリカ合衆国唯一の宮殿であるイオラニ宮殿の正面に、カメハメハ大王の像が立っている。
1881年には、王国第7代国王のカラカウア王が来日し、明治天皇と会見して移民協定を結んだ。
さらに自分の娘と日本の皇族を政略結婚させるという提案をしたが、結果的にはアメリカとの関係悪化を考慮して、日本側が断っている。
その後、アメリカから宣教師がハワイを訪れ、移住してきたアメリカ人が反乱を起こして王制を倒し、ハワイ共和国をつくり、アメリカ本土と合併してしまった。
ハワイが正式に50番目の州になったのは1959年で、終戦から15年も立ってからである。
日本が戦争で負けて、戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書に調印した時に、はためいていたアメリカの国旗の星の数は48だった。(まだハワイとアラスカが入ってなかった)
つまり、真珠湾攻撃の時点ではハワイはアメリカの海軍基地でしかなく、日本はアメリカ領土を攻撃したことにはならないのである。
カナダという国家は、フランスとイギリスの植民地合戦の繰り返しで成り立った。
16世紀にまずフランスが現在のモントリオールを領土だと宣言し、次にイギリスがニューファンドランド島の領土宣言をした。
それ以来300年もの間、互いに領土獲得を競い、ようやく終息したのが1857年で、ビクトリア女王の裁定で、モントリオール(フランス)とトロント(イギリス)の中間にあるオタワが首都に決定した。
そして1867年にイギリス連邦国家である自治領のカナダが誕生した。
このような歴史の結果、カナダでは東側がフランス語圏で西側が英語圏となっており、二か国語とも公用語で、道路標識も二か国語が使用されている。
なお、フランス語圏のケベック州がカナダからの独立を目指す運動を度々起こしているが実現していない。
元々が移民国家なので、多種多様な文化が混ざり合い、そこに自由な気質が育ち、「多文化主義宣言」を国としていることもあり、アメリカよりもリベラルと言われている。
ブラジルの外貨の増減は常に流動的で、FRBの方針や他国の事情に大きく影響されるが、ブラジルに投機的資金が集まるというのは、発展の可能性があるからである。
元々、油田を多数持っているところに最近も新たな油田が相次いで発見されている。
またサトウキビによるバイオエタノールも世界市場の7割以上を占め、豊かな水資源は水力発電に貢献しており、国内消費電力の9割を賄っている。
モロッコはアフリカ大陸で唯一、「アフリカ連合」に加盟していない。
理由は西サハラ(サハラ・アラブ民主共和国)との確執が原因で、西サハラがスペインから独立した際に、植民地時代以前は自国領土だったとモロッコは主張している。
その西サハラが「アフリカ連合」に加盟したため、モロッコは脱退した。
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2016年1月7日木曜日

ロンドンにある大英博物館の収蔵品は800万点で、そのうち常設展示されているのは15万点である。
大英帝国時代に世界中かの植民地かせ集められたものも多数あり、植民地が独立国家となった現在では、しばしば収蔵品の返還運動が起こっている。
そもそもは古美術収集家の医師が1人で始めた収集品から始まったものだという。
入館料は無料で、宝くじを発行して建造資金を集めた所から成り立っていて、1759年に世界で初めて一般に公開された博物館で、現在に至るまで運営は全て寄附金で賄われている。
「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」という諺がある。
国土の4分の1が海抜ゼロメートル以下というオランダは、海岸沿いの失地などを埋め立てて、国土そのものを自分達で作ったきた。
最古の堤防はローマ帝国時代とも言われるが、本格的に干拓が始まったのは11世紀から13世紀にかけてである。
アムステルダムの中心部には幾重にも運河があり「水の都」となっており、世界遺産にも登録されている。
アムステルダムの街の中心部を円で取り囲むように全長135キロメートルに達する堤防と40以上の要塞が築かれており、敵が攻めて来たらこの要塞の水門を閉じて、堤防の外側を冠水させるという防衛システムとなっていた。
ちなみにオランダの地名の語尾によくみられる「ダム」という単語は、日本語にもなっており、水をせき止める「ダム」を意味する。