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2016年7月14日木曜日

日本ではあまり注目されていないが、「アラブの春」で崩壊しなかった体制もある。
モロッコの王制は維持されている。
モロッコ国王のムハンマド6世(1963年生まれ)が、比較的若く、柔軟な思考ができ、国王権限の縮小と議会権限の拡大を自発的に行い、危機を脱する事に成功している。
国民に国王は我々の代表であるという印象を与える事に成功した。
現在のアラブの王国には、ムハンマド6世のように柔軟な思考ができる王族が少なく、異議申し立てを行う民衆に対して弾圧で臨み、事態を悪化させるだけだった。

2016年7月13日水曜日

派閥の効用の一つに、党としてバランスが取れる点がある。
派閥があることによって、極端に右にも左にも行かないというバランスが取れていた。
かつての自民党の層が厚く、幅が広く、バランスが取れたいた政治というのは、派閥の効用なのである。
小選挙区制導入以来、今や派閥は名前だけになり、効用というのは殆どなくなってしまった。
政治資金も派閥では、なかなか集まらない。
かつての派閥のリーダーは殆どが次期総理候補だったから、そこに集まる政治家たちは自分のリーダーを総理にするという明確な目標を持っていた。
自分ま派閥から総理をつくるための基本理念、基本政策、ライバルとの差別化をどう出していくかをいつも考え、切磋琢磨していく必要があった。
そういう態度が自民党から消えてしまった。
派閥政治は、ものすごく悪いもののように言われているが、小選挙区制反対の時に、小泉純一郎が派閥の効用について語っていた。
つまり、1つの選挙区から党の公認候補が1人となる小選挙区制は、総裁や幹事長の権限を肥大化させて独裁となるが、派閥はそれを防ぐ、と言っていた。
ところが小泉は、小選挙区制が実現したら、悪用して刺客選挙をやって派閥反対の立場を取り、全く筋は通っていないが、小選挙区制反対時点の小泉の指摘には見識があった。
かつて加藤紘一は、他派閥からも出られたのに、日中友好の姿勢に共感して大平正芳のところに行く。
中曽根康弘は加藤の妻の父親代わりのような存在だった事もあり、加藤は中曽根と近くも中曽根派から「うちに来い」と誘われたが断った。
これは派閥が政治家育成の重要な土壌だった時代をうかがわせる話である。
派閥の弊害が言われすぎた結果、様々な考え方の政治家が、その立場を育てていけるような環境が無くなり、単一化されてしまった。
河野洋平は、「小選挙区制というのはハト派を消していく」と言った。
自民党から1人という話になると、どうしても威勢のいいタカ派が出る事になってしまうというのである。
なぜ自民党の派閥が最低5つあったかというと、これは中選挙区の最大定数が5人だったからである。
自民党から5人立候補して争うことになると、それをサポートして面倒を見る派閥が必要だから、必ず最低5つは派閥が必要となった。
松下幸之助について、堤清二が冷やかしている。
一緒に中国へ行ったら、松下幸之助がここはすごい国だと、全体主義的なところに感心したという。
それで堤が、「松下さん、ここ共産主義の国ですよ」と言うと、松下は「彼らの目を見ろ。そんなはずがない」と言ったという。
共産主義の全体主義的な部分が、日本の会社主義とビッタリ合ってしまっていたのである。
吉田茂は、GHQの言う通りに戦後体制を固めていった。
1947年に、吉田内閣の蔵相だった石橋湛山を公職追放したのは吉田だった。
「Y項パージ」と呼ばれる吉田による政敵追放であり、これはその後の「赤狩り」とも連動していく。
こういう人物を単純に評価して礼賛してしまうと、歴史を誤ってしまう。
しかし、日本の戦後体制を西側陣営の自由主義、民主主義、資本主義、そして平和主義で行くとしう方向に決め、戦後の目標を国際社会への復帰と復興も軽装備経済優先と定めた政治家だった。
この過程で日本は血を一滴も流していない。
朝鮮戦争とベトナム戦争の裏では特需的な経済の恩恵ほ受けたのだから、戦争に加担したとは言えなくもないが、実際には自衛隊を派遣していない。
軽装備、つまり憲法改正はしないという保守の知恵、吉田茂こそが解釈改憲のスタートだった。
日米関係は極めて難しい時代になってきている。
1つの判断材料は、共和党と民主党というアメリカの2つの政党と日本との関係である。
民主党はバックグラウンドが労働組合とマイノリティで、経済摩擦が起きた時には対日強硬路線をとる。
アメリカ経済が良い時は、民主党は穏健だが、アメリカ経済がダメになると必ず、貿易摩擦、経済摩擦に火が付くが、その火の付き方は民主党の方がきつい。
この点は、労働組合を背景にした政党の一つのパターンで、かつての英国の労働党、ドイツの社民党、イタリアの社会党は全て共通点がある。
歴史上の視点や国際法上の正当性をすり合わせていくのは必要な事であるが、相手側がなぜそこまで領有権を主張してくるかとう背景について、我々は配慮する必要がある。
日本が尖閣の領有権を決めたのは1895年で、日清戦争後の台湾を植民地化した年である。
竹島は1905年で、1904年に日露戦争が起こり、1910年に朝鮮を併合する。
台湾植民地化以降の20年間で、一気に日本は欧米列強の仲間入りを果たした。
彼らは屈辱の歴史についてこれまでは口にしてこなかったが、今は自信を持ってきたため、彼らはその時代に立ち返り、我々があんな負け方をするはずがない、日本は卑怯なやり方でかすめ取ったと考える。
中国の右派は、周恩来・鄧小平から連綿と続いてきた路線を完全否定して、植民地主義、帝国主義へ逆拡張政策を取っており、尖閣棚上げは許さない、と主張しているのである。
中国右派にとって、戦後処理の正当性は、「日本が中国から奪った全ての大気を中華民国に返還する」と定めた1943年のカイロ宣言、またカイロ宣言の履行を促し「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに連合国が決定する諸小島に限定する」としたポツダム宣言なのである。
だから彼らは、アメリカ中心のサンフランシスコ講和体制を否定している。
この厄介な状況を突破する知恵が今の安倍政権にはない。
現在の日本は昭和初期に似ており、右傾化、政党政治が不信感を持たれている。
昭和初期は、政治不信がたまった結果、中国をこらしめる道に進んだ。
大衆的な反中感情がかき立てられて、そこから謀略によって戦争に持って行かれた。
このまま行くと中国も韓国も強気になってくるだろうし、彼らは決して譲らない。
これとどう向き合うか、今こそかつてのアジア平和外交で発揮された保守の知恵が必要とされている。