Amazon

2016年8月29日月曜日

中華人民共和国はかなり早い時期から沖縄は日本領だと認めている。
問題は中華民国で、1970年代まで琉球は中華民国の失地ということになっている。
だから、今でも沖縄という文言を使わずに、琉球としている。
だから、台湾との関係において、沖縄についてのことは中国は非常に腰が引けているように見えるのである。
台湾対策で中国のナショナリズムが高揚していくなかで、「琉球は失地である」と台湾は言っているのに、中華人民共和国は最初から日本の領土だと認めているからである。
この点の軌道修正を、中国は一生懸命やっている感じがする。
明らかに北京政府が台湾のナショナリズムに押されている。
日中国交正常化の時に、中国は中華民国あるいは清朝の時の立場を放棄している。
だから、琉球や尖閣について、中華人民共和国にとって宗属関係や領土帰属の問題が生じないというのが常識的な解釈になるはずである。
2001年に北朝鮮の工作船を海上保安庁の船が銃撃戦の末に沈めた事件があったが、これは戦後最初の実戦だったという認識は希薄である。
海上保安庁は日本の帝国海軍が解体されて姿を消したあと、事実上、海軍の湾岸警備隊としての機能を継承した。
だから後に、警察予備隊、保安隊、海上自衛隊が形成されるまで、日本近海の警備を担って帝国海軍を継承したのは自分達である、帝国海軍の直系に繋がる誇りと自負を海上保安官は持っている。
海上保安庁は飛行機も所有し、ある意味では手つかずのミニ軍隊なのである。
また、海保は一家一門的なところがあり、国交省の中の一部局で人事もその中だけで回しておりね人事がよどむ組織体質を持っている。
尖閣海域での衝突で、その映像を「YouTube」に流した保安官は、自分の考える正義感と役所が下した意思決定が違うからといって、マスコミに接触して、YouTubeに秘密資料を流してしまった。
こういう体質がある役所なのである。
シベリアの都市チタでは中国人の人口移動ず始まっている。
バイカル湖以東のロシア人の人口は現在620万人で、ソ連時代の終わりには670万人と言われていたので、急激に人口が減っており、将来的に450万人にまで減ると言われている。
一方で、中国の東北三省だけで少なくとも1億人はいるので、人口密度で比べるとロシアの東シベリアの60倍以上となる。
気候は東北三省とシベリアではあまり違わない。
それなのに、単純労働者の賃金は東北三省の4倍とシベリアの方が高いので、一度ロシアに流入すると中国人は住み着いてしまう。
ヨーロッパの問題は、実はギリシアが鍵を握っている。
あの不正直な国が、なぜ外国に依存しながらでも存立していくことができるのか、これは建国の時点からそうなのである。
1821年から1829年にかけて、オスマン帝国の支配から解放するためのギリシア独立戦争で、ロシアとイギリスとフランスが一緒になって、間違った歴史を作ってしまった。
ある意味、西側の利益のために造った人工国家なのであり、ギリシアはオスマン帝国から独立した時から破綻国家だった。
19世紀から常に英仏にすがって救済を受けて来た国である。
ギリシアの初代国王オットー・フォン・ヴィッテルスバッハも、もともとバイエルンから送り込まれた人物だった。
オットーの後継となったゲオギオス1世はデンマークの王室から入った王子である。
ギリシア独立戦争後の歴史は、外から来た王への反感、軍隊に代わる武装集団の横暴が伝説化しているアナーキーの歴史で、政治は常に土着のギリシアの人間と外から来た王室との対立となり、国としての一体感ができずに政情が不安定になってしまった。
ロシア人の全体性の重視みたいなものを感じる例として、真冬に赤ん坊を乳母車で親が連れて歩く時には、赤ん坊は全然動かないというのがある。
日本の赤ん坊は、基本的にじっとしていない。
ロシアの赤ん坊は、寒さから身を守る為に「さらし」で全身をグルグル巻きにされており、ロシア人は赤ん坊の時期から自由に動くことをさせないのである。
こういうことは、将来にものすごく心理に影響することになる。
また、ロシアの幼稚園や小学校に絵を見に行くと、自由絵画がなく、全て同じ絵を描かせ、同じように模写した絵が並んでいる。
このように、統一した行動をとれ、全体的な行動をとれ、というのはロシア人にとって幼い頃からの刷り込みなのである。
ロシアとシベリアの大部分は、南北樺太の境界線にあたる北緯50度以上に位置する。
ところが、アメリカは最北端のカナダ国境でも北緯49度となり、ニューヨークは秋田と盛岡と近い北緯39度である。
中国のハルピンでも北緯45度であり、北京は北緯40度で、日本が実効支配する国土では最北端の稚内も同じ北緯45度で、札幌は北緯43度となる。
上海は北緯30度でニューオリンズと同じで、宮崎が北緯31度となる。
ロシア人の大部分は、北緯50度以上に住まざるを得ない反面、現在の日本人は北緯45度以南でしか住んでいない。
ロシアと近い位置にあるカナダでも、殆どのカナダ人はアメリカ国境に近い北緯49度に住んでいる。
つまり、ロシア人がいかに寒冷地に住んでいるかという事実に注目すべきである。
だから、苦しみに耐える力というか、試練や苦難をはね返す力がとても強い人種なのである。
歴史家や地政学者の多くが、ロシアの共同体としての強さに着目して、集団の力を重視する。
極端に言うと、公共や全体の利益や、全体性のために個人が犠牲になっても構わない、あるいは個人はむしろ全体性や公共性のために、私益や個人的な利害を犠牲にすべきだ、という側面がロシア人の根幹にはあるという。
1855年の日露通好条約に関して、日本側ではウルップ島と択捉島の間に国境線が引かれたことだけを強調するが、同時にサハリンは、それまでのしきたり通りということで、国境線を引かなかった。
いわゆる雑居地として、面としての国境を画定したとも言える。
附録では、樺太に国境を設けず、日本人並みに蝦夷アイヌ居住地は日本領とすることで一旦は合意した。
ロシア側は蝦夷アイヌほ「蝦夷島アイヌ」とすべきであり、日本側は「蝦夷島同種のアイヌ」にすべきだと逆提案をしたが、両者は最終的にこれまで通りとすることで折り合った。
これが雑居地という意味で、ロシアは線ではなく面として樺太の国境を考えたのである。