Amazon

2016年10月15日土曜日

都内全体で、リアルタイムに長期間の家出をしている未成年が100人程度いるという。
その多くが、親からの虐待から逃げ出し、地元の児童相談所でも何度も補導され、行き場を失って東京に逃げ延びて、新宿や池袋に辿り着いた子供達だという。
つまり日本中の地方の自治体で、行くところまで行った子供達で、彼女らを歌舞伎町で補導・保護したら、そのままストレートに住民票の地元の児童相談所に送致しても、スタート地点の地獄に戻るだけでしかなく、何も解決になっていない。
特養老人ホーム1施設分の人数の子供達が、目の前の危機に直面しているのである。
高齢者が安心して死ねるための特養老人ホームを新たに1施設作るよりも、同じ予算で家出少女の保護施設を作れば、子供の命を救う事ができる。
保護した子供を、それぞれの親権者と対峙して、落ち着くまで地元に戻さない、短期施設型のケアがあってしかるべきである。
予算が限られている福祉は、今後益々、高齢者と子供のどちらを選択すべきか、立ち止まって冷静に判断せねばならない時代となっている。
労働基準法というのはよくできていて、「週40時間」プラス「三六協定」の月45時間の残業を超えたあたりから、精神を壊す人がだんだん出てくるという。
しかし、労働基準法を遵守すると、最低賃金を稼げない層が出てくることになり、正論をゴリ押ししてブラック企業を潰す所までやってしまうと、結果的に生活が破綻し、ホームレスが増える可能性もある。
労働集約型で人手不足の業界でしか雇用されない人達は、貧困問題に陥り、労働組合が労働者の権利を主張しすぎると、雇用が失われてしまう恐れがある。
一方で、ブラック企業は「家族」とか、「社員の幸せ」とか「感動」とか、感情的な概念を持ち込み、社員の人生や感情にまで首を突っ込んできて、社員に強い洗脳をし、経営者は好き放題に働かせ社員は壊れてしまう。
2004年に高等教育予算の削減のために、日本学生支援機構という独立行政法人を作り、大学奨学金を金融事業化し、融資の原資を財政投融資に切り換えて、取り立ても厳格になった。
親の世帯収入が低いと審査で認められたら、有利子で貸付を受けられるという、有り得ない制度で、何も持っていない子供達が、社会に出る前に300万円~800万円という巨額の負債を背負わされることをやった。
同じ財政投融資を原資にしている住宅ローンは住宅を担保にできるので、返済できなければ住宅を手放せば相殺できるが、奨学金は教育費だから、担保はなく、子供が返せなくなったら、融資審査で収入が低いと分かっているはずの連帯保証人している親に返済義務が行くことになる。
そもそも日本の大学教育を受けて得られるものに、有利子奨学金の負債を負ってまでの価値があるかどうかを、考える必要がある。
貧困家庭の子供に、高校教員は当たり前のように有利子奨学金で進学することを進めているが、彼ら高校教員に奨学金破綻問題の責任追及が行かないのが不思議である。
1600年9月15日の「関ケ原の戦い」の勝敗を左右したのは手紙による水面下での東西両軍の勧誘合戦だった。
この情報戦を制した徳川家康は、出陣前の1ヶ月の間に122通もの手紙を出している。
その手紙の内容は簡潔で、領地を約束する同じ形式の文書が各地に送られている。
その中でも、関ケ原の戦い直前に西軍の上杉景勝から同盟の誘いが来て、家臣団が分かれていた伊達正宗には、領土を「御家老衆中」にと他の書状にはない言葉が入っており、領土を餌に家臣団をまとめよ、という含みを持たせていた。
手紙が正宗だけでなく、家老にも読まれることを、計算して書かれている。
手紙というものは、どう読まれるかということを計算して書かねばならない。
自分の言いたい事だけを書いてもダメで、読み手が嬉しく読んでくれるのか、腹を立てて読んでくれるのか、という事を考えて書かないと、効果はない。
相手が何を希望しているかをよく考えて、その相手の希望に合うように、こちらの情報を与えていく事が大事である。
それができるかどうかで、同じ手紙を書いても、意味がある手紙になるか、効果のない手紙になるかが、決まってくる。

2016年10月14日金曜日

「三国志」には、歴史としての「三国志」と、小説としての「三国志」の2つがある。
歴史の方は、陳寿の『三国志』によって魏が正統であるという立場をとり、小説の方は羅漢中の『三国志演義』によって蜀が正統という立場を取っている。
ちなみに、『三国志演義』の「演義」とは、「義を押し広める」という意味で、南宋の朱子が体系化した朱子学の影響を受けている。
朱子は諸葛亮を信奉しており、蜀を「季漢」と呼んでいた。
だから、文学部に入って、歴史としての三国志を学びたい場合は、史学科で陳寿の『三国志』を勉強し、小説としての三国志を学びたい場合は、中国文学科で『三国志演義」を勉強することになる。
西晋の歴史家である陳寿が、「三国時代の魏こそが後漢を受け継ぎ、魏から正統を受け継ぎ、それが正しいから西晋も正統である」ということを訴える目的で歴史を書いたのが、『三国志』である。
一方、蜀の劉備玄徳は、「中山靖王劉勝の子孫」と称していたが、実際にはどこの馬の骨が分からない人物だった。
なぜならば、中山靖王劉勝には息子が120人存在し、随分世代を重ねており、劉備くらいの血の濃さを持つ子孫は、30万人くらいいることになり、漢王室の一族でも何でもなかったからである。
それを、「漢王室の一族と称せ」とアドバイスし、前漢・後漢という国家を継承させ、「季漢(季は末っ子の意味)」と名乗らせたのが、諸葛亮孔明だった。
しかし、歴史には「季漢」という国家名は残っていない。
それは、陳寿が魏を正統とした『三国志』が正史となった為で、陳寿はあえて地域名である「蜀」とし、「魏書・呉書・蜀書」として『三国志』を書いたからである。

2016年10月11日火曜日

厚生労働省が2015年11月に公表した「平成26年就業形態の多様化に関する総合実態調査」によると、全労働者に占める非正規労働者の割合は4割となっている。
また、総務省の労働力調査をベースに厚労省が作成した「非正規雇用の現状と課題」によると、バブル期に2割だった非正規雇用労働者の割合は、バブル崩壊と1996年の派遣法改正を期に急増していることが分かる。
中でも35歳~54歳は働き盛りであるにもかかわらず非正規労働者が年々増加を続け、2015年には780万人となっている。
一方で、非正規労働者は78.2%が月収20万円未満で、10万円未満も36.7%となっている。
社会保障制度の適用割合も、雇用保険67.7%、健康保険54.7%、厚生年金52%、賞与支給31%、退職金9.6%と労働条件は極めて悪い。