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2017年2月21日火曜日

反知性主義は、本来違うニュアンスで使われていた言葉である。
もともとアメリカで生まれた言葉で、知性の高い人達が威張り散らしていると教会が成り立たないから、こんな神の前には平等である。教会に行けば皆んな一緒だよ、という意味合いの、むしろ知性を持った人達の傲慢さを牽制する言葉だった。
我々が反知性主義の言説にとらわれないためには、あらゆる物事を鳥瞰する散っていした「上から目線」を持てるように意識していく必要がある。
アベノミクスというのは、おそらく安倍総理とその周辺が主流はの経済学を全く知らないがゆえに出来上がった政策だと思われる。
例えば、ゼロ金利からの金融政策は、これがどうして金融政策なのか、よく分からない。
最終的には日銀に大量の国債を買わせることになるわけでから、どちらかというと財政政策になる。
しかも一方で、緊縮財政の話をしながら、他方でケインズ型の公共事業に依存していくと言い、その上で民間投資での成長を実現していくという。
アベノミクスが成功するには、市場の期待が集まっている瞬間に、たまたま国家の基礎体力が飛躍的に向上するようなイノベーションが生まれるとか、奇跡のような偶然がいくつも重ならないとい無理だと、理屈で考えれば殆どの人が分かるはずである。
そうではない、と信じられる人は反知性主義に陥っている。
つまり、実証性と客観性を無視して、自分が浴するように世界を理解しているということである。
反知性主義というのは、知識の量とは関係なく、知に対する姿勢の問題で、知というものをどういうふうに見ているか、ということである。
安倍政権の方が、野田政権や菅政権の公判と比べると、再分配的である。
アベノミクスは、お札をどんどん刷って、公共事業をどんどん増やしていくことで、景気を回復させようとしていて、基本的に痛みを伴わない改革である。
強いて言うと、10年後、20年後の若い世代にツケが全部回ってくる事になるが、これから死に絶えていく世代にとっては関係ない。
アベノミクスが10年続けば、現役世代はその上に乗っかって、ツケを全部、後ろの将来世代に回して、死んで行けばよいという組み立てになっている。
日本の潜水艦には、伊号潜水艦と呂号潜水艦と波号潜水艦があった。
この中で緒方潜水艦は伊号潜水艦で、伊号400型という潜水艦は飛行機を3機搭載でき、パナマ運後の攻撃を計画していた。
実際に、零式小型水上偵察機という胴体の下にスキーを履かせたような形の飛行機を飛ばして、アメリカ西海岸の森を焼いたりしている。
これはアメリカ史上初の本土空襲だった。
日本の伊号潜水艦は世界中を泳ぎ回る能力があった。
ちなみにドイツのUボートは一番大きいので呂号、大体は波号程度だったので、太平洋を縦横無尽に動くことはできなかったし、ドイツは未だに大型潜水艦の技術はない。
我々は複雑系の中で生きているので、この自分を取り巻く複雑な事柄を一つ一つ解明するために割く時間やエネルギーはない。
しかし、複雑性には縮減するメカニズムがある。法律を作る、マニュアルを作るというもがある。
そして、人間が持つ一番重要かつ効果的に複雑性を縮減するメカニズムは「信頼」だとするのが、ニクラス・ルーマンの仮設である。
信頼によって、相当程度、判断する時間と過程を省略できる。
一方、ユルゲン・ハーバーマスは「順応のメカニズム」という事を言っている。
世の中の複雑さを構成する一つ一つの良そうを一から自分で情報を集め、理屈を調べ、解明していくと時間が足りなくなってしまう。
だから自分が納得できないことがあるとしても、「誰か」が発した意見をとりあえず信頼しておく。
これが続くと、「順応の気構え」が出てきて何事にも順応してしまうという。
順応と信頼はコインの裏表であり、一度信頼してしまうと「おかしい」と思っても、なかなか見直しができなくなる。
なぜかというと、信頼した人に裏切られたという意識を持つことによって、つまらない人を信頼してしまった自分が情けなくなるからである。
教養というも、あるいは学問というものが、どこから来ているのかと言うと、ヨーロッパとなる。
さらに遡ったらギリシャとなる。
ギリシャだということは、つまりドイツだと言ってもよい。
ヨーロッパ的な学問というのは、ユダヤ・キリスト教の一神教の伝統と、ギリシャの古典哲学の伝統とローマ教皇の伝統、その3つが合わさってできたものである。
それらが世俗化していくプロセスで、中世期に大学が登場した。
誕生の時点から進学と学問は結びついているので、今だもドイツでは神学がないと総合大学とは言わない。
ところが、啓蒙の時代になって、大学のレベルが落ちてしまい、大学の代わりに出てくるのがアカデミーである。
アカデミーとは、神学に代表される合理性に反する中世的な教養を捨てて、自然科学のような実用的で新しい教養に重点を置いた教育機関のことである。
そしてドイツでは、18世紀の終わりから19世紀にかけて大学が刷新されて、アカデミーでやるような自然科学的なことを大学に取り入れていこうとする動きが起きた。

2017年2月18日土曜日

鳩山由紀夫・元総理の意思決定理論に関する論文は、けっこう面白い。
1000人と面接して理想のパートナーを見つける場合、どうやって選んだら良いのかという研究である。
1回断ったら、その人を選ぶことは二度とできないという制約条件がある。
彼は、マルコム連鎖をもとに計算して、368番目までは全員断って、それ以後で368番目までと比べて少しでも良い人が来たら、その人に決める。
そうした場合に確率的に最も良いパートナーを選ぶことができるという結論を導き出している。
では、なぜ決断の専門家である鳩山氏が沖縄問題やその他の問題で失敗したのか、彼自身が2005年に講演で言っているが、日本の政治には腹芸だとか根回しが多すぎる。
そうした非合理的なプロセスや要素を排して、新しい合理的な政治を作るために自分は政治家になったという。
つまり、政権の最終目標を「目的関数」として定め、その上で何が可能で何が不可能なのかといった「制約条件」をハッキリさせれば、取るべき道は決まる、という合理的な政治ができる、鳩山氏は自分の得意分野を政治に応用しようとしたのである。
しかし、鳩山氏が考える「制約条件」は今生きている人間が作るものであり、日々刻々と変わる。人間自体が複雑系である。
鳩山氏の考える複雑系はあくまでも関数体の中にある複雑系であり、その外側に見えない世界があるという感覚を持っていなかったのであろう。
「見えない世界」とは先験的、超越的な感覚ということで、論理の祖とにそうした感覚の世界があることを、理解しておくことはリーダーにとっては大事なことである。