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2016年7月13日水曜日

歴史上の視点や国際法上の正当性をすり合わせていくのは必要な事であるが、相手側がなぜそこまで領有権を主張してくるかとう背景について、我々は配慮する必要がある。
日本が尖閣の領有権を決めたのは1895年で、日清戦争後の台湾を植民地化した年である。
竹島は1905年で、1904年に日露戦争が起こり、1910年に朝鮮を併合する。
台湾植民地化以降の20年間で、一気に日本は欧米列強の仲間入りを果たした。
彼らは屈辱の歴史についてこれまでは口にしてこなかったが、今は自信を持ってきたため、彼らはその時代に立ち返り、我々があんな負け方をするはずがない、日本は卑怯なやり方でかすめ取ったと考える。
中国の右派は、周恩来・鄧小平から連綿と続いてきた路線を完全否定して、植民地主義、帝国主義へ逆拡張政策を取っており、尖閣棚上げは許さない、と主張しているのである。
中国右派にとって、戦後処理の正当性は、「日本が中国から奪った全ての大気を中華民国に返還する」と定めた1943年のカイロ宣言、またカイロ宣言の履行を促し「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに連合国が決定する諸小島に限定する」としたポツダム宣言なのである。
だから彼らは、アメリカ中心のサンフランシスコ講和体制を否定している。
この厄介な状況を突破する知恵が今の安倍政権にはない。
現在の日本は昭和初期に似ており、右傾化、政党政治が不信感を持たれている。
昭和初期は、政治不信がたまった結果、中国をこらしめる道に進んだ。
大衆的な反中感情がかき立てられて、そこから謀略によって戦争に持って行かれた。
このまま行くと中国も韓国も強気になってくるだろうし、彼らは決して譲らない。
これとどう向き合うか、今こそかつてのアジア平和外交で発揮された保守の知恵が必要とされている。
2012年に野田佳彦総理が、尖閣諸島を国有化したが、この「国有化」という言葉を使ったこと自体が、結果的に石原慎太郎にはめられたと言われている。
しかも、それを最初に言い出したのが7月7日で、盧溝橋事件の日だった。
中国からすると、よりによって何故この日に国有化と言い出すのかという事になった。
さらに、閣議決定が9月10日で、野田・胡錦濤会談をやった翌日に閣議決定をしてしまい、胡錦濤からするとメンツ丸潰れとなった。
日本はあえて、そういう日を選んで尖閣の国有化という強行手段に出て来たと取られても仕方がない。
今の日中関係を考える上で、「中国は基本的に戦時賠償を取らなかった」という事が、政治家もメディアも日本国民の中国認識から抜けている。
かつては経済界にはこの点を認識していた経済人が存在した。
新日鐵の稲山嘉寛や徳間書店の徳間康快などは「中国からは儲けるな」という考えを持っていた。
稲山が手掛けた宝山製鉄所などは、無償で作り、殆ど技術供与だった。
中国が戦時賠償を取らなかったという事は、その後の日本にとって大変な事になり、尖閣が日本の正当な領土かどうかという所にも直結する。
歴史的経緯のずれで、日本が戦後処理をした時の中国側の相手は台湾政府で、当時は中国共産党政権は生まれていなかった。
しかも国連でも1971年までは中国の代表権を台湾に与えていた。
だから日本の外務省は、「中国との戦後処理は全て台湾との間で終わっている」と突っ張ってきた。
これに対して、日中国交正常化の頃の中国共産党政権からは「戦後賠償も領土問題も、全て一から交渉すべき」と主張していた。
日中国交正常化交渉の中で、青嵐会らの尖閣に関する突き上げについて、主張したよというアリバイ証言として、田中角栄は周恩来に突然「ところで尖閣は、どうしましょうか」と言ったという。
後に、この発言について、同行した大平外務大臣も想像していなかったと語っている。
そして周恩来は、「それは置いておきましょう」と答えた。
つまり、棚上げというよりも、横へ置いておき、今回は触れないとしたのである。
さらに、周恩来は「あそこに資源があるから尖閣はいろいろと問題になっているけれども、資源がなければ何ということはない」と言ったと、表には出ていないが、確かに記録されている。
現在の日中関係の悪化をもたらした原因の一つは、2012年に石原慎太郎・都知事が尖閣購入発言をしたのをきっかけに、尖閣諸島を国有化してしまった事である。
ちなみに石原慎太郎は、1978年の福田内閣の時の日中友好条約に衆議院外務委員会では賛成して、本会議では棄権している。
本会議でも反対したのは、浜田幸一と中山正輝と林大幹の青嵐会の3人だけで、青嵐会幹事長の石原慎太郎は、本会議で棄権している。
石原晋太郎は、すごく勇ましく、対中強硬派として右翼的に一貫していたわけではないのである。
2016年4月の衆議院北海道5区の補欠選挙を機会に、自民党に寝返った鈴木宗男と菅義偉・官房長官には類似点がある。
鈴木は中川一郎の秘書で、菅が小此木彦三郎の秘書で、共に息子と跡目争いをしており、ある意味で「主殺し」という共通点がある。
「主殺し」は政界では大変なことであり、そのトラウマを理解し合う仲なのである。
安保法制をめぐる国会での攻防の裏で、2015年の創価学会の人事では、集団的自衛権に反対し、創価学会を本来の平和主義の宗教団体に戻そうという志向を持っていたとされる正木正明・理事長が左遷され、集団的自衛権賛成派の谷川佳樹・副会長がさらに重用されるようになった。
谷川派は、菅官房長官とも近く、創価学会としては、ますます事項体制を強化する志向となっている。
創価学会の歴史を振り返ると、最終的には全て政権に屈服してきている。
石橋湛山が最も可愛がったのは池田勇人だったという。
その池田が可愛がったのが田中角栄だった。
つまり、石橋ー池田ー田中という経済的平和主義の見えないラインがあった。
田中角栄は佐藤派だったが、考え方は池田に近かったので、池田は田中が若いうちから大蔵大臣として重用した。
だから、池田直系の大平と田中が結びつくのは不思議ではなく、また田中内閣で実現した日中国交正常化は、大平の存在抜きには有り得なかった。
その後、この流れの跡を継ぐべき加藤紘一と河野洋平が、保守リベラルを担うには弱すぎたのである。
今振り返ると、加藤の乱こそが、宏池会の終焉だったといえる。
宏池会を外して密室で決められた森喜朗の総裁就任は、今だに禍根を残している。