野蛮人の備忘録
書籍や雑誌を読んで、知り得た事を備忘録としてメモしています。
Amazon
2016年12月29日木曜日
23区で最高所得水準を誇るのは港区の903.7万円だが、一方で最下位の足立区は323万円と、2.8倍の格差があると指摘され、あまり評判がよくない。
しかし、足立区は実際には、日本のへ宇金に近い所得水準に過ぎず、異常なのは港区と考えるべきである。
足立区の所得水準が低いのは、クラスター分析によると、足立区のクラスターの18%、5万6000世帯が高齢者地区に分類されており、古くからの住民が住む地域だからなのである。
HOME'S総研が、住む場所の良し悪しを測る指標の必要性に気づき、開発した結果、「セクシュアス度」という指標を提唱している。
指標化しにくい「行きつけの店」が作れる街、歩いて楽しい街の姿が現れてくるような指標が「セクシュアス度」である。
「セクシュアス」とは官能的という意味だが、都市生活における身体性に関わる項目で、都市住民へのアンケートを行い、住民のアクティビティの豊かさで都市の魅力を測る物差しを提案しようという趣旨だという。
具体的にポイントとされる項目、アンケートの中身は以下となっている。
1.「共同体に帰属している」=ボランティアへの参加度やなじみの店の有無
2.「匿名性がある」=1人だけの時間を楽しんだり、昼間から酒を飲んだ経験
3.「ロマンスがある」=データやナンパの機会、路上キスの経験
4.「機会がある」=知人ネットワークから仕事に繋がった経験
5.「食文化が豊か」=地ビール、地元食材を使った店の有無
6.「街を感じる」=街の風景を眺めたり、喧噪を心地よく感じた経験
7.「自然を感じる」=高遠水辺、空気などに触れて心地よく感じた経験
8.「歩ける」=通りで遊ぶ子供達の超えを聞いた経験や寄り道の誘惑の有無
これらのポイ頓の合計点で示されるのが、街の「セクシュアス度」ということになる。
この「セクシュアス度」調査で、最も高いポイントを獲得した街は「文京区」で、2位は「大阪市北区」、3位は「武蔵野市」、4位は「目黒区」、5位は「大阪市西区」となっている。
Sensuous City[官能都市]
―身体で経験する都市;センシュアス・シティ・ランキング
2013年に発表された
「首都圏乗降客数上位200駅『2020年人口成長駅証券ランキング』」
によると、2020年に成長性が高いと推計される駅商圏は、以下の駅となっている。
1位 月島
2位 人形町
3位 八丁堀
4位 葛西
5位 茅場町
逆に、人口が減少すると予測される駅は以下となっている。
200位 阿佐ヶ谷
199位 高円寺
198位 荻窪
197位 西荻窪
196位 中野
このランキングは、2020年の推計人口という将来データを基準として、現在の人口から増減数データに着目し、駅商圏の将来性を分析したものである。
東京の中心部への人口集中は、ここ10数年の間に起こり始めた現象に過ぎない。
最も都心である港区の統計データを見ると、高度経済成長期が終わると同時に、人口は減少している。
高度経済成長期には最大25万6000人となった港区の人口は、バブル経済の最中には19万人を割り、1996年には15万人割れの底となる。
その後、微増段階に入り、2006年から2016年までの10年間で、38%も人口が増加している。
しかも、2000年代以降の港区は、急速に住民の所得水準が高くなっていくという変化を見せる。
この港区の所得水準の上昇は、元々港区に在住している住民の所得が上がったのではなく、外から高額所得者が流入してきたことによってもたらされている。
2016年12月27日火曜日
「マイホーム願望」を統計データで確認すると、1955年の住宅事情調査では、住宅改善を希望する世帯の中で持ち家を志向する世帯の割合は52%だった。
それが、1966年には74%に、1969年には90%に上昇していく。
国土交通省の「建築着工統計調査報告」によると、戦後最大の着工戸数を記録したのは、1973年である。
戦前の1941年の大都市住宅調査によると当時の持ち家率は22%に過ぎず、戦前の都市部では住宅の大半が賃貸住宅だった。
それが、戦後に急速に持家率は高まり、1958年には71.2%と最大値となっている。
こうした持ち家率の上昇を後押ししたのは、1950年に施行された「住宅金融公庫法」によって、長期の固定金利の住宅ローンを供給した「公的援助」だった。
日本住宅公団も、賃貸住宅から住宅宅地分譲事業へ移行し、中間層の持家購入を促した一方で、低所得者向けの住宅供給は残余的な施策とされた。
明治末期から大正にかけて、東京の東側の城東地区一帯に住んでいたのは、元々貧した地方から東京に仕事を求めてきた流入者だった。
彼らは、日雇、土方、車夫、運送業などに従事する「都市下層民」で、当初は東京全域に点在していた彼らは、明治の中頃から「下谷・浅草区」に集まり、明治後半から次第に「本所・深川区」といった地域に定着し「貧民窟」を形成した。
大正時代には、彼ら貧民窟の住民の生活は大きく変わり、第一次世界大戦を機に、造船業を中心とした産業の発展期を迎え、本所・深川周辺は町工場が集積するエリアへと変化し、工場労働者となった下松の産業化を下支えする存在となっていった。
こうした町工場の周辺に労働者が住み、その街に商店街が発生し、下町となった。
東京の西が「新中間階級」が住む郊外の住宅地、東が「労働者階級」が住む下町という大まかな社会階層の違いが、東京の「西高東低」の原点だった。
新しい投稿
前の投稿
ホーム
登録:
投稿 (Atom)