戦時中の特攻隊の生みの親は二人いた。
海軍特攻隊の生みの親は大西滝治郎中将、陸軍特攻隊の生みの親は 富永恭次中将。
二人とも特攻隊を送り出す時に、「諸氏だけを死なせはせん。いず れわしも後に続く」と言っていた。
ポツダム宣言受諾の二日後、大西海軍中将は渋谷南平第の軍令部次 長公舎で腹を切った。切ってから絶命するまでの数時間、「手当は するな」と、あえて苦しみ、立派な遺書を残している。
一方、富永陸軍中将は、命令なしでフィリピンから台湾に逃げ、そ れから本土まで逃げ帰ってきた。
海軍特攻隊の生みの親は大西滝治郎中将、陸軍特攻隊の生みの親は
二人とも特攻隊を送り出す時に、「諸氏だけを死なせはせん。いず
ポツダム宣言受諾の二日後、大西海軍中将は渋谷南平第の軍令部次
一方、富永陸軍中将は、命令なしでフィリピンから台湾に逃げ、そ