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2016年9月3日土曜日

佐藤優氏が東京拘置所にいた時に、学生時代に読んだ2冊の本が役にたったという。
ひとつは『救援ノート』(救援連絡センター)で、かつては過激派や学生運動をやっている人が読む本として知られていた。
逮捕された時は、救援連絡センターが選任する弁護士に連絡して、あとは黙秘するというのが過激派のマニュアルだった。
現在も救援連絡センターでは新版が売られている。
もうひとつは。これをもっと精緻にしたもので、『権力と戦うための法知識』(三一新書)で、この本には権力に対する様々な抵抗の仕方が紹介されている。
例えば、「房こもり」といって房から絶対に出ないとか、裁判官が変わった時は「更新手続」といって、今までの書類を全部読み上げさせるという遅延戦術が紹介されている。
全裸になって便器に抱き着いたら、外に出すことは法的にできないというものもある。
過激派の中でも特に極端な考えの人達が書いた本という事もあり、弁護士も絶対に信じるなと書かれている。
「完黙(完全黙秘)」と言う方法もあり、捕まった瞬間から黙秘して、住所も氏名も一切言わず、弁録(弁解録取書)にも一切署名しない。
このやり方をやったのが、堀江貴文氏で、弁録段階からサインをしなかったので、検察の心証がものすごく悪くなったという。
佐藤氏の場合、検察庁から転じたばかりの弁護士に、「完黙でいきたい」と伝えたら反対されたという。
完黙すると「特殊な思想をもっている人間だ」ということになり、検察が周りを固めて無茶苦茶なとんでもないウソ話を作る可能性がある。適当に話しておいて、この先は話せないとか、そういう感じでやった方がよいとアドバイスされたという。
少なくとも、特捜部に逮捕された時は、完全黙秘は危険ということのようである。

権力と闘うための法律知識―必携・反弾圧! (三一新書 890)

近年、刑法が変わった例で最も有名なのは、尊属殺人罪である。
尊属殺人とは、自己または配偶者の直系尊属を殺した者について、通常の殺人罪(刑法第199条)とは別に尊属殺人罪(刑法第200条)を設けていた。
通常の殺人罪では三年以上から無期の懲役、または死刑とされているのに対し、尊属殺人は、それまで死刑か無期懲役しかなく、通常の殺人より重かったが、それが削除された。
自殺してしまったロス疑惑の三浦和義氏は、マスコミに対して名誉棄損訴訟を全て自分で起こして、連戦連勝した。
刑務所の中から手書きで訴状を送っていた。
その賠償金で数千万円のカネを作ったという。
三浦氏の著書『弁護士いらず』は非常に参考になる。

弁護士いらず [改定新版]

一審で自分側に有利な判決が出た場合でも、更にそれを控訴する方法がある。
控訴の理由は、「判決の内容には不満はないけれども、最高裁で確定させたい。こんなとんでない非合理な法律があることを明らかにしたいので控訴する」とする。
そうすると「理由になっていない」といって控訴棄却されるはずであり、それを今度は上告する。
すると最高裁で上告棄却されるので、一審の判決が最高裁確定となる。
そうすると絶対に判決は動かせなくなる。
これは、屁理屈の屁理屈である。
地裁レベルの判例では、法律改正まですごく距離があるが、最高裁で確定していると、あっという間に改正となる。
裁判員制度では、裁判員に選ばれた時は出頭しなければいけないと義務化されている。
日本国憲法では、国民には教育を受けさせる義務(第26条2)、罰則規定のない勤労の義務(第27条)、納税の義務(第30条)があると明記されており、国民にはこの3つ以外の義務はないはずである。
つまり、裁判員裁判に行かなければならないという義務はない。
裁判を受けるというのは、基本的な国民の権利だが、憲法に書かれている事以外を国家が公権力を使って義務化するというのは、法理としておかしいことである。
裁判員任命の通知が来たら、違憲訴訟をすれば、憲法違反として勝てる可能性もある。
さらに加えて、国家が一方的に「裁判に来い」といえるのならば、「徴用」が可能になるわけで、このスタイルを進めていくと、現在禁止されている徴兵に持って行ける。
国家の一方的な行為によって国民を招集することができるという裁判員制度の延長線上には、原理的に同じである「徴兵制」がある。
15年前くらい前まで、国会議員を10年やると引退後に法曹資格がとれた。
今はこの制度は無くなったが、現在も現役でやっている弁護士の中にも、国会議員出身で司法試験を経ていない人がいる。
ちなみに戦前は、法学部を出ていれば、私大でもほぼ自動的に法曹資格が取れた。
最高裁の判事には国民審査があるが、投票所で「×」をつけなければ「〇」と書かなくても信任になってしまう。
実際に国民審査で不信任になった判事は、これまでに一人もいない。
法の世界で非常に面倒くさいのは、「大陸法」と「英米法」の考え方が違い、その関係で裁判にも2通りのスタイルがあることである。
日本の民放はフランス法とドイツ法がベースになっていて、戦後はアメリカの影響を受けて、英米法をもとに書き換えられた法律も多い。
例えば、皇室典範や国会法はイギリス法、証券取引法や刑事訴訟法はアメリカ法というように。
刑事訴訟法は、英米法では捕まえた人をずくに起訴するが、大幅な司法取引があり、民事裁判に近い。
これに対して独仏の裁判は、国家が「正しい、正しくない」ほ裁くという考え方で、起訴は少ない。予審制度というのがあり、本格的な裁判に行く前に予備裁判を行い、そこで有罪になった場合しか起訴されないので、結果的に有罪律は非常に高くなる。
つまり、有罪律だけを見てどちらの精度が優れているとは単純には比較できないのである。
日本でも明治以来、予審制度が取られているが、当時の日本の裁判所が現在と最も違うのは、検察官、裁判官、弁護人が座る位置で、戦前・戦中の裁判所は、検察と裁判官が同じところに並んで座り、下側に弁護人と被告人が座っていた。
つまりお白洲スタイルで、これは大陸法の発想である。
これに対して、「被告人も検察官も立場は対等」という事で同じ高さにして、それを判断する裁判官が上に座るというのは英米法的な考え方である。
現在の日本の刑事訴訟法は、大陸法の上に英米法が乗っかった、不思議な構成になっている。
日本において近代より以前の裁判の感覚には「くじ」に近いものがあった。ここでの「くじ」とは確率論の話ではなく「神様の神意」であり、くじ引きのくじではなく、おみくじの方である。
昔の裁判は「湯起請(ゆぎしょう)」という方法でやっていて、被疑者が熱湯の中にてを入れて小石ほ取り出して、その火傷の形や程度を見て、有罪か無罪かを判断していた。
お互いが言い争って立場が対立した場合には、それぞれが熱湯に手を入れて、どちらが火傷をするかを見た。
このような裁判は室町時代まで行われていて、近代に近づく江戸時代になると、この方法に疑念が出てきて、江戸町奉行所いわゆる「お白洲」が発展した。
お白洲というのは、基本的に検察官と裁判官が一体で、弁護人は不在であった。