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2016年6月21日火曜日

日本共産党は、東京・千駄ヶ谷にある「日本共産党中央委員会」を頂点に、都道府県委員会、地区委員会、支部委員会といった組織がピラミッド型に形成されている。
これらの組織は、いずれも「指導機関」と呼ばれ、以前は「細胞」と呼ばれた支部は各地の企業や官公庁、大学など2万近くが組織されている。
共産党の最高機関と位置づけられている党大会は、支部、地区、都道府県の順で会議を開き、最終的には都道府県委員会の代表者が代議員として出席する。
この代議員が中央委員を選出し、中央委員会が議長や委員長ら幹部を選出する。
一見、民主的な組織に見えるが、党員による直接投票による幹部の選出はない。
そもそも複数の委員長候補が名乗りを上げた党首選挙は、実施されたことが一度もなく、一部の幹部の話し合いで決めている。
党規約では派閥活動を禁止しており、支部同士の横の交流も承認制となっている。
これは横と横とが連絡を取って党の方針に異論が出るのを防ぐ目的と、公安当局にマークされた場合、党員同士をお互いに知らない方が組織を守れるという理屈もあるという。
地区委員や都道府県委員を選ぶ際には「選挙」という形をとっているが、既に作られた名簿に最高裁判所判事の国民審査と同様に〇×をつけるたけで、落選はまずない。
そして横のつながりが無いため、共産党には党内議論はない。
現在も日本共産党は、レーニンが主導し、中国共産党も取り入れている「民主集中制」という体制を敷いている。
「民主」という言葉はあるが、一部の指導者層が政治的決定を行い、下部組織に徹底させる中央集権体制である。
「民主集中制」はロシアで1920年に開催されたコミンテルン第2回大会で「プロレタリア革命における共産党の役割に関するテーゼ」として採択され、「党の上級団体の指令一切が絶対的に、かつ必然的に下級団体を拘束する」と定義され、上からの命令は絶対であることを徹底している。
こうした「上位下達」が浸透していたからこそ、コミンテルンの指令に各国の共産党が有無を言わずに従ったのである。
現在も、中国共産党も党規約の前文で「民主集中制を堅持すること」を党の原則として掲げている。
もちろん日本共産党も、2000年までに党規約は13回改定されているが、2000年11月に改定された現在の党規約の第3条で明確に、「党は、党員の自発的な意思によって結ばれた自由な結社であり、民主集中制を組織の原則とする」と書かれている。
民主集中制は、指導者層の絶対的な権力によって党内の反乱を防ぐためのものであり、明らかに組織防衛のための制度であり、一部の指導者層を頂点にした強固なピラミッド組織を形成している。
北朝鮮の拉致問題に関するきっかけを作ったのは日本共産党だった。
共産党と北朝鮮との関係が悪化していた頃の1988年3月26日の参議院予算委員会で、共産党の橋本敦が1978年夏に、福井、新潟、鹿児島で発生した若年男女の行方不明事件を取り上げた。
これに対して、国家公安委員長の梶山静六が北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であるとの見方を示した。
これが、北朝鮮による日本人拉致問題の存在を日本政府が認めた初めての公式答弁であり、これを引き出したのが共産党だった。
しかし、その後、共産党は不思議な対応を取る。
共産党が、朝鮮総連との関係修復に動いていた2000年10月25日の党首討論で、不破哲三・委員長が森喜朗・首相に対して、日本拉致が「冤罪」かのような見立てで、日本政府の交渉態度を批判したのである。
そして1970年代に起こった事件で、20年経っても捜査が進まないならば、それが到達点だからと、拉致問題をあくまでも疑惑だとして、日本政府を追及した。
これに対して、森首相は、「わが国は北朝鮮に拉致問題について根拠を明確に説明している」と反論した。
この不破委員長の質疑の2年後、2002年9月17日に小泉純一郎・首相が北朝鮮を訪問し、金日正に拉致を認めさせた。