Amazon

2016年10月15日土曜日

厚労省が「60%を回復した」と発表している国民年金の納付率は大ウソである。カラクリは保険料納付の免除者(384万人)や学生などの猶予者(222万人)を国策で増やして「納付すべき人(分母)」から除外することで、見かけの納付率をアップさせるというものである。
河野太郎氏が2014年に厚労省から入手した資料で「真の年金納付率」が約40%にすぎないことが判明し、さらに年齢層ごとの「真の年金納付率」は衝撃的なものだった。
 
●20~24歳:21.4%
●25~29歳:31.7%
●30~34歳:38.2%
●35~39歳:42.1%
●40~44歳:43.0%
●45~49歳:42.9%
●50~54歳:47.5%
●55~59歳:53.7%
 
若い世代は特に納付率が低く、学生は猶予制度があるが、20代前半では2割しか国民年金保険料を払っていないのである。
社会の高齢化は、これから超本格化していき、60歳以上を高齢者とすると、2020年で35%、2040年で43.4%になってしまう。
医療行政は破綻し、医療費を払えない高齢者の治療をどこまでやるかという問題に直面する事になる。
1970年には、たった3.5兆円だった社会保障費は、2015年には116.8兆円に膨らみ、これが2025年には150兆円にまで膨れ上がると予想されている。
今後も経済成長は期待できず、増税にも限界があるため、想像を絶するようなヒドイ社会となる可能性もある。
いずれ公務員も削減され、市民へのサービスは最低限となり、財政が破綻した自治体はサービスの民営化ができなくなり、最悪の場合、各地で高齢者が道端で行き倒れている、インドのような光景を覚悟しておく必要もある。
多くの高齢者は気づいていないが、日本には極端な世代間格差が生まれてしまい、若者達によるオレオレ詐欺が大流行している。
オレオレ詐欺に手を染めるのは、現実認識のある能力が高めの若者達が多いという。
どれだけ対策を取っても特殊詐欺が止まらない現象は、これから始まる悲劇の序章にすぎない。
かつての日本社会では、階級格差の壁を超える手段が勉強と進学だったが、現在は大学卒の若者の貧困が溢れ、大卒どころか弁護士や歯科医師の資格を取っても貧困の可能性が有り得る時代になっている。
特殊詐欺犯罪の始まりは、オレオレ詐欺が激増した2003年頃で、当時の現場を担っていたのは、それまで闇金業界隈で生きていた若い不良の子達だった。
それが、詐欺組織が会社組織化していく中で、2008年位になって未公開株とか社債詐欺のような複雑なシナリオになってきた事で、大卒や大学中退とかが、詐欺の現場に入ってくるようになったという。
このような組織の人材が変遷していく中で、組織の上層部は詐欺のテクニックだけではなく、「詐欺をする理由」の正当化を、洗脳的な研修で現場の若者に植え付けているという。
「日本の金融資産の過半数が高齢者に手中していて、その上、年金の受給額は、お前ら20代の給与より高い。しかし老人はそれを使い切らずに死んでいく、そこからお前ら若者が少しくらい分けてもらうのは、犯罪ではないだろう」という洗脳をしているという。
オレオレ詐欺の若者達は、世代間格差の不条理を感じて、怒りを持ってやっている。
自宅に預金がある老人の名簿が出回っていて、電話を介してうまくいかなかったら、自宅に侵入して金庫を持って行くケースが、実際に起き始めている。
彼らは窃盗と強盗だと罪が重くなるから、侵入盗をやっているのである。
子供の貧困という言葉が、国会に出始めたのが、2008年頃で、そこから一気に、子どもの貧困対策法まで進んできた。
これは評価できる事ではあるが、学力向上や、教育費免除、給食支援をしたところで、それが本当に子供の貧困の世代間連鎖を止めるのかと言えば、そうでもないようである。
大学奨学金問題や、Fランク大学では投資回収ができない現状を見ると、貧困対策としては物足りない。
そもそも再貧困の子供達は、勉強とか進学以前の問題であり、勉強ができない子供は、セーフティネットには引っかからない。
彼らに一定の所得を約束できる支援でないと、有効な政策とは言えない
都内全体で、リアルタイムに長期間の家出をしている未成年が100人程度いるという。
その多くが、親からの虐待から逃げ出し、地元の児童相談所でも何度も補導され、行き場を失って東京に逃げ延びて、新宿や池袋に辿り着いた子供達だという。
つまり日本中の地方の自治体で、行くところまで行った子供達で、彼女らを歌舞伎町で補導・保護したら、そのままストレートに住民票の地元の児童相談所に送致しても、スタート地点の地獄に戻るだけでしかなく、何も解決になっていない。
特養老人ホーム1施設分の人数の子供達が、目の前の危機に直面しているのである。
高齢者が安心して死ねるための特養老人ホームを新たに1施設作るよりも、同じ予算で家出少女の保護施設を作れば、子供の命を救う事ができる。
保護した子供を、それぞれの親権者と対峙して、落ち着くまで地元に戻さない、短期施設型のケアがあってしかるべきである。
予算が限られている福祉は、今後益々、高齢者と子供のどちらを選択すべきか、立ち止まって冷静に判断せねばならない時代となっている。
労働基準法というのはよくできていて、「週40時間」プラス「三六協定」の月45時間の残業を超えたあたりから、精神を壊す人がだんだん出てくるという。
しかし、労働基準法を遵守すると、最低賃金を稼げない層が出てくることになり、正論をゴリ押ししてブラック企業を潰す所までやってしまうと、結果的に生活が破綻し、ホームレスが増える可能性もある。
労働集約型で人手不足の業界でしか雇用されない人達は、貧困問題に陥り、労働組合が労働者の権利を主張しすぎると、雇用が失われてしまう恐れがある。
一方で、ブラック企業は「家族」とか、「社員の幸せ」とか「感動」とか、感情的な概念を持ち込み、社員の人生や感情にまで首を突っ込んできて、社員に強い洗脳をし、経営者は好き放題に働かせ社員は壊れてしまう。
2004年に高等教育予算の削減のために、日本学生支援機構という独立行政法人を作り、大学奨学金を金融事業化し、融資の原資を財政投融資に切り換えて、取り立ても厳格になった。
親の世帯収入が低いと審査で認められたら、有利子で貸付を受けられるという、有り得ない制度で、何も持っていない子供達が、社会に出る前に300万円~800万円という巨額の負債を背負わされることをやった。
同じ財政投融資を原資にしている住宅ローンは住宅を担保にできるので、返済できなければ住宅を手放せば相殺できるが、奨学金は教育費だから、担保はなく、子供が返せなくなったら、融資審査で収入が低いと分かっているはずの連帯保証人している親に返済義務が行くことになる。
そもそも日本の大学教育を受けて得られるものに、有利子奨学金の負債を負ってまでの価値があるかどうかを、考える必要がある。
貧困家庭の子供に、高校教員は当たり前のように有利子奨学金で進学することを進めているが、彼ら高校教員に奨学金破綻問題の責任追及が行かないのが不思議である。
1600年9月15日の「関ケ原の戦い」の勝敗を左右したのは手紙による水面下での東西両軍の勧誘合戦だった。
この情報戦を制した徳川家康は、出陣前の1ヶ月の間に122通もの手紙を出している。
その手紙の内容は簡潔で、領地を約束する同じ形式の文書が各地に送られている。
その中でも、関ケ原の戦い直前に西軍の上杉景勝から同盟の誘いが来て、家臣団が分かれていた伊達正宗には、領土を「御家老衆中」にと他の書状にはない言葉が入っており、領土を餌に家臣団をまとめよ、という含みを持たせていた。
手紙が正宗だけでなく、家老にも読まれることを、計算して書かれている。
手紙というものは、どう読まれるかということを計算して書かねばならない。
自分の言いたい事だけを書いてもダメで、読み手が嬉しく読んでくれるのか、腹を立てて読んでくれるのか、という事を考えて書かないと、効果はない。
相手が何を希望しているかをよく考えて、その相手の希望に合うように、こちらの情報を与えていく事が大事である。
それができるかどうかで、同じ手紙を書いても、意味がある手紙になるか、効果のない手紙になるかが、決まってくる。