Amazon

2018年7月28日土曜日

2020年度の大学入試改革により、今後、大学受験において益々、中高一貫校が有利になるという。
センター試験が廃止され、代わりに二段階の「到達度テスト」が実施される見込みとなっている。
国公立大学の二次試験において、「脱ペーパーテスト」へという青写真が描かれている。
センター試験に代わる「到達度テスト」は基礎編にあたる「高等学校基礎学力テスト」と発展編にあたる「大学入学希望者学力評価テスト」の二段階で行われるという。
つまり、全社は高校で学ぶべき基礎が身についているかの確認、校舎は大学に入学するために必要な学力が身についているかの確認である。
これらを降雨在学中に複数回受験できるようにして、自分の納得がいくスコアを大学に提出するという構想となている。
中高一貫校は、高校受験勉強に時間を取られない分、中学のうちに高校の履修内容に踏み込んで学習する場合が多く、学力の仕上がりが早い。
灘校では、高1の1月に、高校2年生用のセンター試験を受験する。
早めに「到達度テスト」をクリアしてしまえば、その分、各大学の個別選抜対策に時間をかけることができる。
日本も戦前まではヨーロッパ先進国のスタンダードに準じて、「中学校」と呼ばれた5年制の学校がそのまま中等教育を行う場だった。
現在の大学レベルの教育を行う学校を「高等学校」と呼んでいて、それが「旧制高校」である。
正確に言うと旧制高校は、大学で学ぶためのに必要な基礎教養を学ぶ場だった。
戦前に東京・駒場にあった「第一高等学校」、通称「一高」は、戦後になり東京大学の教養学部という位置づけとなり、現在の東大駒場キャンパスとなった。
せっかく欧米の中等教育に近い旧制中学の制度があったのに、戦後に学制を変更したのは、財政が原因だった。
戦後の財政難により、中等教育を無償義務教育化できず、前期中等教育までを無償義務教育にせざるを得なかったのである。
その結果、日本の中等教育は前期と後期で分断されてしまった。
「中高一貫校」は本来別々の中学と高校を無理矢理合体させた特殊な学校だと思っている人が多い。
しかし、日本の学校制度が「6・3・3制」になったのは戦後のことであり、戦前は「6・5制」が主流だった。
小学校を卒業した後の「5」の部分が、戦後に「3+3」に変化したのである。
「旧制中学」と言われるように、戦前の中学校は5年間だった。
開成にしても麻生にしても灘にしても、戦前からある「中高一貫校」はもともと1つの中学校だった。
つまり、もともと1つだった5年制の旧制中学校を、3年間の新制中学と3年間の新制高校に、無理矢理分離したのが、現在の「中高一貫校」なのである。
だから、開成のような戦前からある学校は「中高一貫校」と呼ぶよりは、中学と高校が別々になっている一般的な学校を「中高分離校」と呼ぶ方が経緯としては正しい。