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2016年7月16日土曜日

アメリカの第16代大統領のエイブラハム・リンカーンは、奴隷解放を宣言した人道主義者という印象が強いが、実は南北戦争では大統領でありながら北軍の最高司令官という、もう一つの顔がある。
軍歴は州兵として数カ月勤務した程度だったが、開戦後に国会図書館に籠り、独学で軍事的思考を身に着けたリンカーンは、「南北戦争を早期に終結させて合衆国の統一を維持する」という政治目的を実現するために、苛烈な作戦を推し進める。
それは軍隊同士が会戦の場で決着をつけるというナポレオン以来の常識を覆して、一般の市民、女性や子供、老人を攻撃目標に加えるというものだった。
これにより南軍の戦意を失わせ、降伏を促そうとした。
これは第一次世界大戦で展開される総力戦を先取りした発想だった。
その結果、多くの非戦闘員が犠牲となり、今でもアメリカ最多の戦死者が出たのは南北戦争である。
そうした軍事行動の一方で、リンカーンが世界史的なスケールの判断を下したのが奴隷解放宣言だった。
これ宣言によって、北部の戦争の大義を道徳的な高みに押し上げると同時に、黒人奴隷を戦場や生産現場へ投入することにつなげ、早期の勝利を手にしたのである。
奴隷解放宣言は、明らかにフランス向けのメッセージで、イギリスの干渉も防ぐことに成功している。
リンカーンは残酷な作戦であっても、アメリカ史や世界史の大きな流れの中では、いずれ許容されるだろうというビジョンを持ち、歴史の大局的な予見能力というリーダーの資質を持っていたのである。
安倍政権の対ロシア外交の機能不全は深刻である。
2015年5月に、ロシア側の要請に沿う形で、安倍総理とセルゲイ・ナルイシキン・ロシア下院議長との会談が都内で持たれた。
ナルイシンキは、ウクライナ問題に絡んでアメリカなどが「出入り禁止」にしてい人物である。
そしてその1週間後には、安倍総理はウクライナを訪問して、「ロシアには対話と圧力をもって働きかける」と述べている。
このようなねじれたことを平気でやっているのである。
中国は中東にエネルギーを依存しているだけではなく、2012年にサウジアラビアの鉄道建設計画を受け入れ、原子力エネルギーなどに関する協力関係を強化する合意を取り付けている。
中国のサウジアラビアからの原油輸入量は、2005年の2500万キロリットルから2011年には5900万キロリットルにまで゜増大している。
一方、アメリカのサウジアラビアからの輸入量は8900万キロリットルから6900万キロリットルにまで減少している。
これはシェール石油の自国生産を計画的に増やすという戦略があるからである。
エネルギー戦略が見当たらないのが日本であり、石油メジャーにたよらない初の日の丸油田として開発されたカフジ油田から撤退したのは2008年で、契約延長の条件としてサウジアラビアが提示した2400億円足らずの鉄道施設計画を断ったからである。
日本はウクライナに、何の見返りも求めない資金を2014年から2015年にかけて年間2310億円も渡しているのに、サウジアラビアに対して2400億円を出せないはずはない。
そもそも日本がサウジアラビアから安定的に6000~7000万キロリットルを輸入できた背景には、アメリカがサウジや湾岸諸国の体制維持と安全保障に貢献してきたからである。
しかし米・イラン関係が改善し、米・サウジ関係が悪化に向かったら、この基本構造が崩れてしまう。
アラビア海、インド洋から紅海への入り口であるバーブ・アル・マンデブ海峡およびホルムズ海峡一帯の安全保障は、バハレーンに司令部を置く米海軍第五艦隊が担っている。
この第五艦隊が守っているのは、湾岸戦争当時は日本の石油だったが、現在は中国の石油である。
2011年の石油輸入額はアメリカが4620億ドル、中国が2350億ドル、日本は1820億ドルで、既にちゅうごくは日本を抜いている。
今後、中国は2030年には石油需要の75%を輸入せざるを得なくなるという試算もある。
石油は単なるエネルギーではなく、石炭や原子力ではミサイルを飛ばす事は出来ないので、軍需を含めた戦略物資なのである。
中国が「国連海洋法条約」を無視するのは、1982年に成立したこの条約が、例えば「無人島が領海を持てるか否か」といった点で中身の変遷を重ねて来たことも原因である。
中国は欧米列強が、自分達に都合のいい中身を勝手に押し付けているだけであると考えているのである。
国連海洋法条約が現在の形になったのは、1994年である。
条約では、干潮時の海岸線を「基線」として、そこから12海里が「領海」、さらにその外側12海里までが「接続水域」で、基線から200海里は「排他的経済水域(EEZ)」となる。
現行の条約において、大陸以外で基線が引けるのは島か岩で、EEZまで設定が可能であるが、分岐点は人が住めるか住めないかで、設定できるのは領海と接続水域だけというのがポイントである。
ちなみに、岩を埋め立てて住めるようにしても島にすることはできない、という明文規定がある。
日本が中国の南沙諸島でやっている島づくり問題を、ことさら立てていないのは「沖ノ鳥島問題」があるからである。
日本最南端の沖ノ鳥島のおかげで、日本のEEZは世界第6医の広さとなっている。
沖ノ鳥島は満潮時に16センチメートル海上から顔を出す「島」の周りを、チタン技術を生かして覆い、コンクリートブロックで囲んで埋め立てているのである。
海洋法の規定からすると限りなく「岩」に近いと言わざるを得ない。
中国のエネルギー戦略には、中国首脳の出自が色濃く反映している。
中国共産党の首脳部が、日米の政治エリートと大きく違うのは、大半が水資源、電気、地質といった科学技術の専門家であるという点である。
例えば、胡錦濤は清華大学の水利工程部(日本風でいえば工学部水利学科)、習近平は同じく清華大学の科学工程部、温家宝は北京地質学院で石油や天然ガスの専門家だった。
つまり中国のリーダーたちは、自国の資源・エネルギーの危機について十分な認識を持っており、それが安全保障感覚とリンクする事で、テクノクラート型政治スタイルを形成している。
ロシアもソ連時代を含め、プーチン、ゴルバチョフ、レーニン、スターリンを例外として、時のリーダーは基本的に技術系エリートである。
エリツィンは建築、ブレジネフは冶金が専門で、ドニエプロジェルジンクス冶金大学で学び製鉄所の技師だった。
シリアにおいて、反アサド陣営の現状は、35%がイスラム国、35%がスンナ派武装組織ヌスラ戦線、20%がスンナ派武装組織のアハラール・アル・ジャーム・イスラム運動でうち半数がアルカイダである。
残り10%が自由シリア軍プラスアルファで、この中に世俗主義的なグループが含まれていたが、彼らは殆ど壊滅してしまった。
この中で、イスラム国、自由シリア軍も力が弱いと消去法で話を進めると、スンナ派由来のジハーディストと組まねばならなくなり、それは有り得ないのである。
アサド政権を倒し、イスラム国を倒し、健全な世俗主義に立脚した第三勢力をサポートすると言っても、そのような実力のある組織は存在しない。
2016年1月末のジュネーブ会議で、表れた「穏健派反政府勢力」なるものをロシアが相手にしないのは当然なので、この会議は頓挫してしまった。
イスラム国の成り立ちを見ると、その担い手になってリーダーシップをはっきしているのは、イラク出身者である。
だからイスラム国の増殖が単純なイスラーム現象だという捉え方かは狭く、イラク・ナショナリズム的なものの変質という側面があることを認識しておく必要がある。
イスラム国の軍司令官レベルにはもチェチェン人が非常に多く、彼らが中東の地で、ロシアに制圧された独立闘争の弔い戦や延長戦をやっているので、ロシアはアサド政権を支持し、イスラム国の掃討に力を入れるのである。
イランには自分達はアーリア人の直系だという強烈な認識がある。
セム系のアラブとか傍流のアフガン人とは違うという強固な自負心がある。
そもそも自分達はアケメネス朝やパルティア、ササン朝以来、アナトリアからギリシャまで統治していた地中海国家であり、ギリシャ、メソポタミア、イラクというのは、その属州に過ぎなかっただはないか、という歴史認識が、現在のシリアへの関与に反映しているのである。
まさにペルシャ帝国主義の復活である。
今回、シリアで難民となっていのは、大半がスンナ派アラブ人であり、アフガン難民もスンナ派が多くシーア派は少数だった。
イランがシリア難民を全く受け入れないのは、露骨なまでのスンナ派に対する宗派主義的な拒否反応が背景にある。
日本では全く触れられないが、シリアから400万人の難民が流れ出す中、近隣イスラ―ム国家でありながら、シリア難民を受け入れていない国がある。
皮肉にも核合意の「ウィーン最終合意」によって、事実上国際部隊での市民権を回復し経済制裁を解除させたイランである。
この国は、かつてアフガン戦争の時にも難民受け入れには極めて冷淡な態度を貫いた。
欧州で人口30万人のアイスランドでさえ、20~30人のシリア難民を引き受けている。
一貫してアサド政権を支持し続け、シリア紛争に関与しながらイラクは難民受け入れを拒んでいる。
ちなみにシリアでは人口2300万人のうち既に400万人が難民として国外に流出し、700万人が国内で難民と化している。
ロシアは以前からシリアのアサド政権に対して武器供与を行っているが、最近注目されるのは「パーンツィリS1」(NATOコードではSA22)という最新の近距離対空防御システムを提供したことぶある。
これはミサイルと機関砲の領邦を装備していて、近距離からのミサイル攻撃には後者で対処するという非常に撃墜率が高い兵器である。
しかもシリア人にはこのシステムを運用できないので、ロシア人が乗り込んで稼働させているのが事実である。
撃ち落としているのはシリア正規軍に対する掃討攻撃をやっている米軍の無人爆撃機で、今後は友人飛行機やヘリも犠牲になると思われる。
ロシアの中東での存在感の増大として見逃せないのは、2015年6月に行われたサウジウアラビアのムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子とプーチン大統領との会談である。
この会談で、今後20年間にサウジ国内で建設を計画している16基の原発のトータル氏住む手に関する協定をロシア国営企業と締結し、原発の設計から運用まで含めてロシアに委ねることが決まったのである。
他にも「パーンツィリS1」をオマーンが12基、アラブ首長国連邦も50基を導入しており、湾岸の米国の同盟国であるはずの国が、パトリオットよりも安いし性能が良いという理由で導入しているのである。
2014年のスコットランド独立を問う住民投票を論じるうえでキーマンの一人が、スコットランド出身の元英首相のトニー・ブレアである。
ブレアは、1998年に権限移譲と分権議会の設置を認めたスコットランド法を制定した。
ブレア政権のもとで、北アイルランドにも議会をでき、19世紀から繰り返されていたテロ抗争が落ち着いた。
中でも賢明だったのが、ナショナリストのシン・フェイン党に、英国の国会に当たるウェストミンスター議会の議席を与えたことである。
シン・フェイン党は、アイルランド民族主義者の私兵組織「IRA(アイルランド共和軍)」の政治部門であり、テル組織に国会の議席を認めるような決断をやっているのである。
結果的に、武装解除に成功したのである。
出口が見えないように思えた紛争に対して、議会主義を基盤にした紛争解決に成功したのである。
ナショナリズムとは、その時と場所の状況に応じて、人々を結び付けていく力である。
ナショナリズムは「国民」を創り出し、国民に自覚を促すうえで強い統合力を持つ。
東西ドイツは、冷戦体制の中でも同一性の高い関係にあった。
ドイツの国民宗教はプロテスタントで、伝統的なドイツ福音主義協会(EKD)という組織があって、1945年に第二次大戦が終わり、1949年に東西ドイツが建国された後も、ずっと統一組織だった。
東ドイツに東ドイツ福音主義同盟(ブント)というEKDと袂を分かつ組織ができたのが1969年で、それまでは人事異動も自由で、神学生も東西ドイツを行き来しており、牧師や神学生は東西の政府も手を出せない聖域だった。
ドイツ首相のアンゲラ・メルケルの父親はそこの牧師だった。
ブントかできた時に、西ドイツ出身者の大多数が西側に帰ったが、彼女の一家は東側に残った。
20世紀のキリスト教神学に多大な影響を与えたスイスのカール・バルトですら、西ドイツではなく東ドイツに足を延ばした。
東ドイツの政権政党であった社会主義統一党というのは、1946年に社会民主党と共産党が対等合併してできている。
人民議会は複数政党制で、キリスト教民主同盟あり、自由民主党あり、国家民主党というナチス党さえあった。
体制の外に出すと政権に対する反対運動を始める恐れがあるので、全て議会に取り込んで、体制野党として議会で競わせた。
イスラム国の誕生により、中東において、シーア派のリーダーであるイランと、スンナ派のリーダーであり、メッカ、メディナの両聖地の管理者であるサウジアラビアという、2つの大国が「宗派主義」を自ら先頭に押し立ててしまった。
中東では宗派という想像された共同体が最も重要な共同体となっており、同じ国民でありながら、スンナ派とシーア派が対立し合うのが宗派主義である。
そこにスンナ派のイスラム国というイスラーム過激派集団が現れで、更に悪い事に「宗教浄化」を始めてしまった。
お互いに残滅するという方向に進んでいるのがシリア戦争の現状である。
実際にシリアで行われているのは内戦ではなく、ロシアが空爆を通じて当事国となっており、イランも革命防衛隊を投入し戦争当事国となっている。
イランは、最精鋭部隊のイスラーム革命防衛隊をイラクやシリアに秘密裡に派遣して、イスラム国との殲滅戦を展開し、一定の成果を挙げている。
このような状況にサウジアラビアは危機感を強め、イランよりイスラム国の方がまだましであると考えるようになった。
サウジアラビアとイランという国家が公然と国交を断絶したことは、最も厳しい事態だと言える。
理論的には、国交断絶というのは、次のステップは戦争行為ですよという意思表明なのである。
イスラム国はスンナ派に属している。
日本から見ているとイスラム国は、欧米、イスラエルを相手にテロ行為をしているように見えるが、実は最初のターゲットはシーア派であり、これは「内ゲバ」の論理であり、ひと昔前の日本の新左翼と同じ発想なのである。
本当の革命をやるとめには、まず最初に敵対する他の新左翼グループを滅ぼさねはならないという論理なのである。
つまり、イランとしてはイスラム国の挑戦を本気で受けて立ち、国家存続のためにイスラム国を殲滅することが不可欠となった。
ソビエトができたのは1917年のロシア革命の段階ではなく、1922年にソビエト連邦という国家が成立した。
1919年には全世界に共産主義を広める組織「コミンテルン(共産主義インターナショナル)」が作られた。
ソビエトが安定するまでの間は、国家なんていうものは暫定的で、ソビエトという国家は国際法を守るし、各国と大使の交換もした。
しかし、一方でコミンテルンでは世界革命を継続したのである。
シスラム国はこの両者が渾然一体となったような、ソ連の原型に近い状況にある。
周辺諸国は招致しないと言いながらも、自室上承認せざるを得なくなり、いわゆる「未承認国家」となる。
イギリスはロシアとの間に1921年に英ソ通商協定を締結し、国交は結ばないが貿易はするという関係で、まず通称代表部を認知するところから外交関係を広げていった。
また満州国とソ連も参考になる。
ソ連は満州国を国家としては認めなかったが、自国民の保護という名目でお互いの領事を交換し、ソ連の領事館はハルビンなどあちこちにあり、逆に満州区の領事館もソ連に置いていた。
「イスラム国を掃討するには10年間かかる」とヨルダンのアブドゥッラー国王は言っている。
この10年間という長期消耗戦をやっていける力が、どの国にあるかというと、なかなか厳しい。
ロシアでさえ、アフガン出兵が国家財政に過度の負担を強いて、ソ連解体を促した歴史がある。
現に、イスラム国には800万人の人々が統治されており、暴力やテロだけではこれだけの人口を統治できない。
少なくともスンナ派のシリア人は、アサド政権よりもイスラム国の方がまだましだと考えている人々が多い。
中央アジアでは、現在、キルギスとタジキスタンが破綻国家となっており、国土の一部地域が実行支配できなくなっている。
その隙間に「イスラム国」の戦士が流入し、拠点を作り始めている。
今後、イスラム国の影響は、キルギス、タジキスタンと国境を接する中国の新疆ウイグル自治区にも及ぶこととなり、歴史的に東トルキスタンと呼ばれる地域に「第二イスラム国」が形成されることとなる。
東トルキスタン地域のかなりの部分が山岳地帯であり、この動きを中国もロシアも米国も止めることはできない。