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2017年2月4日土曜日

戦前、東京には35区があった。
これが23区に統合されるのは戦後間もないことである。
千代田区は麹町区と神田区が合併して誕生した。
旧麹町区は、ビジネスの中心の丸の内、大手町、永田町、霞が関を含むが、これらは江戸時代には大名屋敷の集積地で、九段も番町も麹町も、このルーツに連なるお屋敷街だった。
一方の旧神田区は、江戸時代から庶民の街であり、両者は全く性格が異なる。
『東京消防庁統計書』によると、2013年末時点で、東京23区に立つ15階建て以上の高層ビルのうち18%が港区に集まっている。
30階建て以上のタワービルになると27%と圧倒的な1位となっている。
『東京都福祉・衛生統計年報』によると2014年度末の美容院の店舗数は渋谷区が1位となっている。
美容師の数に至っては、23区全体の6分の1に相当する7800人が渋谷区に集まり、2位の港区(4400人)を2倍近くも上回っている。
2015年1月の『住民基本台帳』人口によると、新宿区の外国人の割合が11%と、2位以下の8%の豊島区、荒川区、港区と比べて飛び抜けている。
豊島区は、近年、中国人が無給増しており、区内に住む外国人の56%を中国人が占める。
荒川区は朝鮮人が多く、港区は欧米系の外国人が多い。
第1回の『国勢調査』は1920年(大正9)年に行われた。
この調査の結果が公表された時に、衝撃が走ったという。
我が国ま家族形態の基本と考えられていた多世代が同居する直系家族世帯が3割に留まる一方で、核家族が54%と過半数を占めていたからである。
核家族化の進展というと、戦後の高度成長期の出来事のように考えが地だが、実は我が国では大正時代から核家族化が進んでいたのである。
2010年の『国勢調査』での衝撃があった。
「標準世帯」という言葉があるように、世帯構成の典型とされる夫婦と子供世帯(27.9%)よりも、一人世帯(32.4%)の方が多くなったのである。
一人で暮らしている人のうち、学生の年代に相当する21歳以下の割合は僅かに6%しかなく、20代以下にまで広げても22%しかない。
30代が16%、40代が12%、50~64歳が20%、65歳維持用が30%と、あらゆる世代に共通して一人世帯が増えている。
2010年の東京都の一人世帯の割合は49.1%で、夫婦と子供の世帯の21.5%の2倍を超えている。
23区で最も一人世帯の割合が高いのは新宿区の62.6%である。
区内在住者に占める大卒者の割合(2010年『国勢調査』)
千代田区 53.4%
港区   52.2%
文京区  51.5%
中央区  48.7%
世田谷区 47.7%
渋谷区  47.2%
杉並区  47.1%
目黒区  45.4%
新宿区  43.9%
豊島区  39.8%
中野区  38.5%
品川区  38.3%
練馬区  38.2%
大田区  34.0%
台東区  33.1%
江東区  32.8%
北区   29.9%
板橋区  29.8%
墨田区  28.4%
荒川区  27.2%
江戸川区 24.9%
葛飾区  23.6%
足立区  19.9%
地価が高くなると、住宅の面積は広くなる。
東京23区の一戸建て住宅の平均床面積は104平米、マンションは51平米である。
床面積が150平米以上の一家建ての割合が一番多いのは、港区で、以下、千代田区、渋谷区、目黒区、文京区と続く。
床面積が80平米以上のマンションの割合が地番多いのも、港区で、以下、千代田区、渋谷区、世田谷区、文京区、渋谷区の順になっている。
刑法犯認知件数と飲食店数の相関係数は0.26、酒場・バー・クラブなどの飲酒系飲食店数との相関関数は0.30であり、これでは相関するとは言えない。
刑法犯認知件数と相関関数が0.82と高いのが、コンビニエンスストアの数であるという。
マンションの6階以上に住んでいる世帯の割合は、都心3区で高くなっている。
23区の平均15%に対して、中央区で55%、千代田区で45%、港区で43%となっている。
23区全体では4%しかない11階以上の高層階に住む世帯の割合も、中央区で24%、港区で20%、千代田区で14%となっている。
東京都が想定する大震災時のエレベーター停止被害台数は約7千台で、そのうち3割にあたる2千台が都心3区に集中している。
中央区では41%が停電し、69%が断水する。
都心3区の中で比較的ライフラインの被害が小さいと想定されている港区でも、停電率は23%、断水率は45%と想定されている。
2013年の『東京都商店街実態調査』によると、23区の商店街数は2千か所もある。
人口1万人あたり2.2ヶ所の商店街があることになる。
同じ東京でも多摩地域の市部は、人口1万人あたり1.5か所であり、23区の方が5割も多くなっている。
幼児人口増加度が2位の品川区では、学童保育の充実が知られている。
今や全国に広まった「八三運動」も品川区が発祥である。
2005年当時、区立小学校PTA連合会長の発案で始まった「地域発」の取り組みで、朝の8時と昼の3時に犬の散歩でも買い物でも何でもよいので、とにかく子供の登下校の時間に大人が家の外に出ようというものである。
地域全体で子供を見守ろうというこの運動は、地域コミュニティの力に立脚している。
東京23区では、現在全ての区で小学生に防犯ブザーが配られているが、品川区の「まもるっち」にはGPS機能が搭載されている。
子供達が発したSOSは、区のセンターを通じて発信地点近くの登録ボランティア協力員に送信される仕組みになっている。
協力員は商店街やPTAの1万3千人で構成されており、単純計算で40メートルに1人の協力員がいることになるので、誰かがすぐに現場に駆け付けることが可能なのである。

2011年3月11日の東日本大震災以降、東京23区の人口動向には大きな変化が生じている。足立区、葛飾区、江戸川区の東部3区を敬遠する傾向が出てきているという。

都市と呼ばれ集積が生まれている街には、どこも「山の手的」なエリアと「下町的」なエリアがある。
武蔵野台地と江東デルタで構成されている東京は、地形の高低が明快で、ほぼ景品東北線のラインを境にして、西が山の手、東が下町に大きく区分できる。
山の手は、江戸時代には大名屋敷を始めとした高級武家地という、ある種の閉ざされた世界で、これが明治・大正時代に住宅地へと姿を変える。
その中心は港区と文京区で、この両区を取り巻いて走る電車を山手線という。
山の手は昭和になると南西方向に拡大し、渋谷区南西部から目黒区、世田谷区、杉並区南部を中心に今日の山の手エリアが形成された。