日本の輸出を牽引する自動車産業は、日本軍によって育てられたといっても過言ではない。
太平洋戦争当時から、日本は自動車の製造台数や保有台数という点では世界有数の国だった。
太平洋戦争当時から、日本は自動車の製造台数や保有台数という点では世界有数の国だった。
日本軍が自動車製造に取り組み始めたタイミングは世界的にみても非常に早かった。
ガソリン自動車は明治3(1879)年にドイツで発明され、明治41(1908)年に米フォードがT型フォードを製造したから本格的に普及した。
日本軍はその2年後の明治43(1919)年に大阪砲兵工廠で試作が始まり、翌44(1911)年には2台のトラックが完成している。
これは「甲型自動貨車」と名付けられシベリア出兵には23台が派遣されている。
日本軍はその2年後の明治43(1919)年に大阪砲兵工廠で試作が始まり、翌44(1911)年には2台のトラックが完成している。
これは「甲型自動貨車」と名付けられシベリア出兵には23台が派遣されている。
その後、大正14(1925)年に日本フォードが日本で製造販売を開始し、昭和2(1927年にはGMも日本上陸を果たし、日本自動車メーカーは壊滅的な打撃を受ける。
これに対して、陸軍が危機感を持ち昭和11(1936)年に自動車製造事業法を制定した。
「国の許可を受けた事業者しか自動車製造販売をしてはならない」という法律で、許可を受ける条件には「日本国に籍のある会社」という項目があった。
この自動車製造事業法で、許可を受けた会社とは、トヨタ自動車、日産自動車、ディーゼル自動車(現、いすゞ)であり、この3社は戦時中の軍用車両の製造を独占した。
「国の許可を受けた事業者しか自動車製造販売をしてはならない」という法律で、許可を受ける条件には「日本国に籍のある会社」という項目があった。
この自動車製造事業法で、許可を受けた会社とは、トヨタ自動車、日産自動車、ディーゼル自動車(現、いすゞ)であり、この3社は戦時中の軍用車両の製造を独占した。
他にも軽自動車に強い富士重工も、その前進は中島飛行機という戦闘機メーカーである。