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2015年5月31日日曜日

税務署は7月からから年度(事務年度)の始まりとなり、この時期に毎年3分の1の職員が異動する。
つまり3年経つとその税務署の職員は総入れ替えになってしまう。
しかも、辞令が出て異動するまで1週間足らずしかなく、引き継ぎ時間も限られている。
春先から6月頃までは、調査官は調査に身が入らず、特に異動直前の税務署では身辺整理をやっていて、調査どころではない。だからこの時期(春先から6月)に調査を受けたら、調査レベルが軽くて済むと言われている。
税務調査をするかしないかは、企業が提出した「税務申告書」を見て、税務署が判断する。
その申告書は決算日から2ヶ月以内に提出することになっているので、決算日と調査時期はある程度決まっている。
2~5月決算の企業は、7~12月に調査が入る。
6~9月決算の企業は、1~3月に調査が入る。
10~1月決算の企業は、4~6月に調査が入る。
調査官個人の評価対象次期は、新年度開始の7月から翌年2月頃までで、つまり3月~6月に頑張っても評価される事が少ないため、調査に対して力が入らない。
つまりこの決算期を調整することで、税務調査を来にくくさせたり、調査官のやる気が無い時に来させることができる。
税務調査を軽くしようと思えば、決算期を12月か1月にしたら良いと言われている。
平成25年1月に税務調査の手続きを定めた「国税通則法」が改正された。
それまで調査開始や調査終了の手続きに関して、あいまいな部分が多かったが、調査をする時に、あらかじめ決められた項目を事前に通知することや、調査終了後には申告是認通知(問題がなかった時)、更正決定通知(問題があった時)という形で、はっきりと書面で残す事がルール化された。
この改正の結果、平成24事務年度の調査件数は9万3000件で、前年度から17.4%っている。また1件当りの調査期間は平均2.6日延びている。
ちなみに平成25事務年度の調査件数は9万1000件と、更に減っている。
電話加入権とは、工事負担金のことである。
日本国民は、電話回線を引く時に工事代金として、決められた金額を「電話加入権」として支払ってきた。
電話加入権は、昔は8万円だってが、その後下がり続け、2005年に現在の3万7800円になった。
安くはなったが、現在では電話加入権が無くても電話を敷くことができるようになり、電話加入権の価値など無くなってしまった。
税理士によっては、電話加入権を損金で落そうとしたら反対されてしまう事がある。
しかしNTTのホームページにも電話加入権の譲渡手順が説明されており、「電話加入権等譲渡承認請求書」という書式がある。
売却先は子会社は社長個人にして、無償譲渡だと寄付行為になるので1000円程度で売買契約を結ぶ。
電話加入権の譲渡によって、資産価値の無い余分な資産を消し、総資産を減らし自己資本率とROAを上げる事ができる。

『資本論』には色々な日本語訳がある。
注を省き、全体を通して3巻まできちんと読める、読みやすい訳は中央公論新社の「世界の名著」に入っている鈴木鴻一郎責任編集(中公バックス『世界の名著54 マルクス エンゲルスⅠ』『55 マルクス エンゲルスⅡ』)である。
現代思想への目配りがあるのは筑摩書房の「マルクス・コレクション」の今村仁司・三島憲一・鈴木直訳(『資本論第一巻(上・下)』)である。
最近の思想が好きな人には良い。ただ2巻、3巻が無いので、その部分は別の約で読まなければならない。
構造が循環しているので、本当は2巻、3巻を訳さないと1巻も訳せない。
共産党系と相性がいい人は、新日本出版版(社会科学研究所監修、資本論翻訳委員会訳『資本論』)もよい。新書判で字も比較的大きい。
定番としては、岩波文庫の向坂逸郎訳と、国民文庫の岡崎次郎訳(大月書店)。
実はこの二つは訳がとても似ている。というのは、岡崎次郎は向坂逸郎の下訳をやらされていたからである。
殆どお金を払ってくけなかったと岡崎氏はぼやいていたという。
他にも長谷部文雄訳というのがあり、これは戦後に出たマルクス主義者が訳した一番最初の訳で、直訳的なのでドイツ語と突き合わせて読むのに非常に便利である。
国家社会主義者の高畠素之が訳した日本最初の訳で、文学的センスのある名訳がある。この人は『資本論』を訳しているうちに『資本論』は正しいけれどもマルクス主義は間違っていると思うようになり、国家社会主義者になった。

2015年5月30日土曜日

キリスト教神学は、営業用の神学と専門家の神学と、ハッキリと分かれている。
同志社では、営業用の方は営業用の顔で牧師になる連中に教えている。
専門家用の方はどうなっているかというと、天国に神様がいるなどという事をストレートに信じている人は、たぶんいない。
信じていないことをどうやって信じているように見せかけるかとか、あるいはその神がどういうものかということをやる。
『資本論』をいきなり読むのは辛い。
『賃金・価格・利潤』は、マルクスが労働者相手に、既に『資本論』の論理ができあがっているところで講演をしているので、比較的わかりやすい。
『賃金と資本』という本もあるが、これはまだマルクスの考えがあまり固まっていなかった時に書かれている。
ただ、今の版はエンゲルスが加筆しているので、論理の崩れはそれほどない。
『経済学批判』も途中まで書いて挫折してしまった本だが、面白い。
『資本論』は『経済学批判』の続編を書くつもりで準備しているうちに、体系編成から作り直す必要を感じて、書き直したものである。

賃労働と資本/賃金・価格・利潤 (光文社古典新訳文庫)

自分の宗教の為に命を捧げるという決意をして、そのために本当に死んでもいいと思うようになると、人の命を奪うことに対するハードルが低くなる。
だから大量殺人というのは、「人類救済計画」が立っていないとできない。
マルチン・ルターがドイツ農民戦争の時に、「農民をできるだけ早く殺せ」と言った。なぜならば権力に反抗することは悪であり、罪を犯すことなので「そうすると魂が汚れてしまう。こういうことをこの農民たちが続けていると、死んだあと、復活ができなくなる。今殺せば、魂はそれほど汚れていないから、助けるチャンスがあるから、だからできるだけ早く殺せ」と言いいながら、これが愛の実践だとして、アジったのである。
オウム真理教の「ポア」の理屈と同じである。
「ポア」とは「高いステージに上げる」という意味で、松本智津夫はそれを殺害するという意味で使っていた。
アメリカの原爆投下の理論にも通じる。本土決戦によって失惚れる日本人の命が救われるから、原爆投下は人道的だとアメリカでは説明された。
大量殺人の思想というのは、憎いから人を殺してやるというのではなく、まず大義なり理念に自分が命を捧げ、その後、人類の大救済計画や被害者のミニマム化といった理論になる。
『資本論』が刊行されるより前、1840年代にはマルクスは『経済学=哲学手稿』を書き、それがマルクスとエンゲルスの『ドイツ・イデオロギー』になっていった。
マルクス主義が形成される過程においては、マルクスとエンゲルスと別にもう一人モーゼス・ヘスという立役者がいた。
この3人によって、マルクス主義はできたのである。
1848年の『共産党宣言』の事典で、モーゼス・ヘスは同じ陣営にいたが、1870年代になるとヘスはユダヤ人の国家をパレスチナに建てようとするシオニズム運動の理論家となり、結局そのヘスの流れからテオドール・ヘルツルが出てきて、イスラエルの建国に繋がっていく。
つまり、マルクスの流れは、マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリンという形で70数年間、ソビエト体制を作る源泉となった流れと、もう一つの流れはイスラエルの建国に繋がった流れがあった。
イスラエルは小国だが、アメリカに強い影響を与え、未だに国際秩序の混乱の原因になる国家を作ったというのも、根っこはマルクスなのである。
結局、未だにマルクスの思想が社会を動かしているのである。
資本主義を解析すると、資本の動きというのは、最終的に3つしかない。
①「商人資本形式」お金を持っている人が、どこか違う土地から何か珍しい物を買ってきて、買った値段よりも高くして売るという形式。
②「金貸資本形式」この資本はそれ自体は自立した仕組みではなく、間に商人資本が入り、貸主が商人にお金を貸付け、商人は商売をしてお金を増やして、その一部を利子として返すという形式。
③「産業資本形式」労働力と生産手段を合わせて、商品をなるべく安く生産し、なるべく高く売るという形式。
マルクスの『資本論』で重要なのは、結局価値を作りでしているのは労働力だけなんだという「労働価値説」である。
マルクス経済学の考え方は、「労働力商品化」という形で説明した方が、整合的に世の中を説明できるというもの。
日本はマルクス主義先進国だった。
相当早い段階で『資本論』も訳されており、戦前に国家社会主義者の高畠素之が『資本論』を完訳した。
それ以外にも3つくらい訳の試みがあった。
戦後には4つの完訳がされている。
更に言うと、コミュニズムという英語を共産主義という感じに訳したのは日本である。
それがのちに、中国に輸入された。中国共産党の「共産」とは日本語なのである。
「赤旗」に一昔前は、「万国のプロレタリアート団結せよ」「万国の被抑圧民族団結せよ」というスローガンが書いてあった。
でもこれは、本来一緒にはできないスローガンである。
被抑圧民族の資本家は「プロレタリアート団結せよ」と言うならば、打倒対象となる。
そこで階級の問題と民族の問題が相反する局面があるという問題が出てくる。
論理的に考えたら有り得ないはずの事を一緒にして、なんとなく納得してしまったのである。
『資本論』を読むべき最大のポイントは何かというと、目に見えないが確実に存在する資本の力を見極めるということである。
資本はお金ではない。
例えば、会社で働いている時間においては、一人一人の労働力は商品化されている。だから上司の言う事には従わないといけない。
ところが、終業後に上司から飲みに誘われても、労働外強制だから行く必要はない。
資本は必ずしもお金ではなく、ある時は商品であり、別の時は労働力であるといった運動体であり、目に見えないものなのである。
親に相当な資金力がないと、子供は高い教育が受けれなくなってきている。
例えば、早稲田大学の高等学院には、石神井校(東京都練馬区)と本庄校(埼玉県本庄市)があり、授業料が年間100万円かかる。
東京から通うとすれば本庄高等学院はかなり遠いが、石神井より少し偏差値が低い。
早稲田大学の全学部への推薦のメリットを考えて、東京から本庄に新幹線で通っている生徒が結構いて、定期代が年間70万円かかっている。
高校の3年間で500万円を準備できれば、早稲田大学への入学の切符が得られるのである。
教育では格差がはっきり出てきている。
高学歴の子供は高収入の家に育ち、そうでない所は、そもそも大学には行けないという、教育格差が固定化しつつある。
最近、都道府県別による大学進学率が発表されて、進学率が最低の鹿児島県は32.1%、最高の東京都では72.5%と40ポイントの差がある。
この20年で最上位と最下位の差は2倍になった。
モスクワ大学の経済学部には、「資本主義経済学」と「社会主義経済学」という2つの学科がある。
不思議な事に、資本主義経済学科はマルクス経済学なのである。
要するに資本主義は矛盾をはらんでいるから、それは崩壊するものなんだという、スターリン主義的な経済学である。
生産力と生産関係の矛盾で、生産力がこれだけ増えてくると、そこから過剰生産による恐慌が起きて、豊富に物がある中での貧乏が起きる。それに対して労働者が怒って爆発して革命が起きるという考え方である。
資本主義経済学科で学んだ連中は、地方大学の教員になり、『資本論』を教える。
一方、社会主義経済学科は、新古典派総合で、エリートになる連中が通っている。
サミュエルソンをベースにしていて、そのうちシカゴ学派が強くなってきた。
既に生産力の私有が無くなった社会において、ブルジョワ経済学を弁証法的に社会主義経済を建設するために活用するという立場で、完全に近代経済学である。
これを勉強した連中がゴスプラン(国家計画委員会)とかゴススナブ(国家供給委員会)に行くのである。
ソ連が崩壊してすぐに、シカゴ学派の新自由主義的な経済政策に転換できたのは、ソビエト時代に崩壊する40年前から、計画経済と言いながら、実際には新古典派総合でモデルを立てていたからである。
『資本論』を読むと、この社会の構造の限界が分かる。
『資本論』は、世の中にいつくかある役に立つ思想の一つである。
『資本論』を読んだことがあるか、あるいはある時『資本論』と真剣に対峙しようと思ったことがある人間は、左翼か右翼かは関係なく、物事を突き放して見ることができる。
マルクスは資本家見習いになる人を想定して、資本主義というのはこういうからくりになっているよ、ということで『資本論』を書いている。
一応、近代以降の理性を前提として理屈を組み立てていけば、資本主義というシステムが分かるのである。
ピケティの『21世紀の資本』で問題なのは、自分の力で変えるという発想が少ない点である。
今後も税金を徴収することで、国家に再分配してもらおう、国家にお願いするという発想なのである。
これはある種のエリート主義で、代表制なのである。
『資本論』の賃金論は、内部留保とは関係ない。賃金の額は分配ではなく、生産の段階で決まっている。
賃金というのは、
①1ヶ月働いて、次の1ヶ月も働けるだけのエネルギーが出てくるように家を借りて、食べ物や服を買って、レジャーも少しする。
②家族を養い、次の世代の労働力を生産する。
これらの欲望を満たす商品サービスを得るための価格で決まるからである。
つまり女性労働とも関係し、女性の社会進出というのは、女性の権利であるとか女性を活用するとかだけではなく、それによって男性労働者の賃金を下げることができるから女性を活用するというのが、資本主義の論理なのである。
また、③さまざまな技術革新が起きると、それに合わせて自分で学習しなければならない。
その為の費用も全部入っているというのが、賃金論だから、会社が物凄く儲かってもそれを労働者に還元しないというのが、『資本権』の論理なのである。
個々の資本に任せておくと、②と③の要素を無視して、①の要素である自分り労働力の再生産を満たすだけのギリギリの所まで賃金が下がってしまうのである。
そうなるとシステムとしての資本主義の再生産が出来なくなってしまう。
ピケティはマルクスの『資本論』を理解していない。
特に「労働力の商品化」の概念を全く分かっていない。
佐藤優氏との対談で、「賃金がどのように決まるかということに関しては、結局分からない」と答えている。
ピケティは、賃金を分配論で考えており、『資本論』の論理だとアウトである。
『資本論』では賃金は生産論で決まる。
ちなみに、共産党は企業の内部留保が多くなれば賃金が上がると考えている。
だから共産党と関係の深い全労連は、「企業の内部留保が増えているのだから、その分を賃上げに回せ」と主張している。
しかし、内部留保というのは、企業が投資をして資本を増やして行くために必要なお金であって、賃金はその前の段階で決まってしまっている。
しかし、安倍総理が全労連の主張に乗っかる形で、経団連に賃金を上げさせた。
これは実はムッソリーニと同じやり方で、イタリア・ファシズムの経済理論と同じなのである。
日本のピケティ・ブームには2つの理由がある。
最初、日本では『21世紀の資本』ではなく、『21世紀の資本論』と紹介され、「資本論」世代の郷愁を呼び起こした。
1980年代までは殆どの大学でマルクス経済学の講義があった。
2番目は、格差を扱っているということで、安倍政権に対して非常に不問をもっている人達がピケティに仮託して、安倍政権批判を語りたいという思いがあった。
この2つによってブームが起きた側面があるので、直接的にピケティの理論とは関係が低いところがある。

2015年5月24日日曜日

韓国経済が1997年に破綻した時に、ハイパーインフレに襲われた。
その時に、まず株価と地価が暴落し、企業の約半分が倒産した。
住宅ローンの金利は30%に跳ね上がり、変動金利でローンを借りていた多くの人が家を手放さざるを得なかった。
この時、預金は全額保護され、30%の金利が付いた。
結果的に、最小の被害で済んだのは、預金をしている人達だった。
確定拠出年金と個人年金を比較した場合、節税効果は確定拠出年金の方が高い。
確定拠出年金の個人型の場合、掛金の全額が所得控除でるが、個人年金の場合は全額を控除できない。
個人年金で所得控除できるのは、支払った金額が「8万円超なら一律4万円」、住民税は「5.6万円超なら一律2.8万円」と、上限が設定されている。
これがどの程度の差を生むか、課税所得300万円(所得税率10%、住民税10%)の場合、下記の通りとなる。
〇個人年金の保険料を月1万円支払う場合
 控除額は所得税が4万円、住民税が2.8万円。
 節税額は所得税4000円(4万円×10%)、住民税2800円(2.8万円×10%)となり、
 合計6800円となる。
 保険料を倍額の月2万円にしても節税額は変わらず6800円である。
 つまり、所得控除額に上限があるので、保険料を増やしても節税効果は比例して増加する訳ではないのである。
〇個人型の確定拠出年金の掛け金を就き2万円支払う場合
 所得控除額は、所得税、住民税ともに全額の24万円となる。
 節税額は所得税2.4万円(24万円×10%)、住民税2.4万円(24万円×10%)となり、
 合計4.8万円となる。
つまり、毎月2万円の支払の場合、節税効果を比較すると個人年金は年6800円、個人型拠出年金は4.8万円となり、大きな差が出るのである。
掛金を長期間に渡って支払うと、差は更に広がることになる。
確定拠出年金に加入すると「支払う時」「運用中」「受け取る時」の3つのステージで大きな節税メリットがある。
個人型に加入した場合、「支払う時」は毎月の掛け金が全額所得控除される。
例えば所得税率5%の人(住民税は一律10%)が、毎月1万円の掛け金(年間12万円)を払うと、節税がくは1.8万円(1万円×15%)となる。
年に12万円を積み立てて、1.8万円の節税ということは、12万円を15%の利回りで運用した事と同じ事になる。
「運用時」は、収益の全てに対して税金がかからない。
通常は譲渡益の20%が課税されるが、確定拠出年金の商品にはそれが無い。
「受け取る時」は、企業型・個人型ともに60歳になると、それまで積み立てた資金を引き出せるが、3通りの受け取り方を選べる。
1.一時金で一度に受け取る
2.年金として何年かに渡って受け取る
3.一部を一時金で、残りを年金で受け取る
1の一時金で受け取る場合には、「退職所得控除」が使え、「勤続年数」を「掛金を払っていた機関」に読み替えて課税額が決まるのと、他の所得と一緒に計算しない「分離課税」となるので、節税効果が大きい。
2の年金として受け取る場合は、「公的年金控除」が適用されるため、税金が減額される。
なお、年金は雑所得扱いとなり、他の所得と合算して税金額が計算される。
仮に大卒の22歳から60歳まで38年間、毎月1万円の積立てを続け、その間に年利3%の安全性重視で運用したとして、運用益への非課税と複利のダブル効果で60歳時点で849万円の資産ができる。
年金受給開始を1年繰り下げる毎に8.4%増の年金額になる。
これが、「元本保証の年8.4%の高利回り金融商品」と呼ばれる理由である。
5年遅らせて70歳から受給すると42%増の年金がもらえる。
しかしこの場合、81歳まで生きて年金をもらわないと、65歳から年金支給を受けた人の年金受給総額を下回る事になる。
つまり、70歳まで繰り下げた場合、81歳が損益分岐点となる。
長生きするつもりはあっても、元を取れる自信が無いので、60歳から繰上げ受給している人が4割に対して、繰り下げ受給の人は1%しかいない。
1950年当時の厚生年金の支給開始年齢は55歳で、当時の平均寿命は男性58歳、女性61歳だった。
つまり、多くの年金受給者は、退職後3年以内に死亡していたのである。
年金制度の崩壊を防ぐ決定打は、年金支給開始年齢を平均寿命の80歳に引き上げる事である。
そうすれば正真正銘の「年金100年安心プラン」が実現する。
厚生年金保険料は月単位で納付し、日割り計算はしない。
例えば入社日が月末31日であっても、その月の保険料は給与から天引きれていしまう。
これは一見、損をしたように思えるが、たった1日でも厚生年金の加入期間は1ヶ月にカウントされるので、実は得になるのである。
日割り計算をしないのは、年金も同じで、月単位で支給されるので、1日に死亡しても31日に死亡しても1ヶ月分が支給される。
例えば1月31日の夜から死線をさまよい、午前0時を数分回って永眠した場合、1月分と2月分が支給される。
以前は年金は物価・賃金の上昇率に応じて年金額も同率でアップしていたので、インフレに対して目減りはしなかった。
しかし2004年に年金制度が変わり、「マクロ経済スライド」が導入された。
この制度は、年金給付を賃金・物価の伸びより低く抑えるための制度で、これによりインフレに弱い年金制度に変わった。
年金は物価上昇率から「0.9%」を差し引いた分しか上がらなくなった。
0.9%とは、現役世代の減少や平均余命の伸び率から算出された数字である。
この年金自動カット率は、2025年までは0.9%と決まっており、既に受給している場合も適用される。
この制度は、物価や賃金の下落時には実施しないルールになっているので、デフレ経済が続いた2014年度までは、一度も適用されなかった。
しかし、アベノミクスで物価が上昇し始めて、2015年4月から始動している。
厚労省は物価や賃金の上昇から年金額の伸び率を2.3%増とし、ここから0.9%と、過去の物価下落時に年金額を下げなかった「払い過ぎ」の解消分として0.5%をそれぞれ差し引いて、増額率を0.9%に抑えた。
年金は16年ぶりに増額されるが、物価上昇率に及ばないため、年金の実質価値は目減りすることになる。
ちなみに2014年度も「払い過ぎ」の特例措置が適用されており、公的年金は0.7%減額されていた。
2013年秋に阪急阪神ホテルズの偽装メニュー発覚を機に、祝品偽装問題が広がった。
ここまで広範囲に表示の偽装が通ってきたのは、この問題を所管する役所と法律に問題があるからである。
日本の食品の安全については、JAS法と景品表示法で定められている。
夫々の法律を運用・執行するのは、JAS法が農林水産省で、景品表示法は内閣府の消費者庁である。
JAS法は、一般消費者向けの全ての飲食料品が対象で、名称、原材料、原産地、賞味期限等の表示を義務付けている他、この法律が遵守されているかどうかを、農水省の「食品表示Gメン」が全国の小売店を調査して監視している。
このGメンは定員ベースで2000人いて、日夜、目を光らせている。
一方、景品表示法は全ての商品、サービスを対象とする法律で、外食産業のメニュー表示も含まれる。
表示方法について具体的な規定は無いが、実際より著しく優良であるとする「優良誤認表示」を禁止している。
消費者庁と公正取引委員会への情報提供に基づいて調査が開始される仕組みになっているが、消費者庁全体でも職員は425人(常勤262人、非常勤163人)しかいない。
この職員数で、景品表示法の他に、消費者安全法、特定商品取引法なども担当しており、全国の外食店舗を監視する事はできず、内部告発に頼っているため、実態はなかなか掴めていない。
逆に、今回の偽装問題が外食産業に偏っていて、食材そのそものの販売に及んでいないのは、食品Gメンが小売店舗を常時監視し、取締りを実施しているからである。

2015年5月23日土曜日

小渕優子・経済産業大臣の政治資金問題を最初にスクープしたのは、「週刊新潮 」(2014年10月23日号)ではない。
このスクープ記事が発売される1ヶ月前、内閣改造直後の9月18日付「しんぶん赤旗」で「小渕経産相、第三の"財布"/企業・団体献金2758万円」と、小渕大臣の政治資金団体が作成した報告書に問題がある事が報じられている。
この報道の後、何の手も打たないまま「週刊新潮 」の報道が始まってしまった。
「しんぶん赤旗」は日本共産党の機関紙で、閣僚や与党議員の動向に関する調査報道には実績がある。
発行部数は全国紙よりも少ないが、情報を扱っている人間であれば、必ず目を通さなくてはならない重要なメディアの1つである。
「政治資金規正法」の「きせい」という字は、「規制」ではく「規正」という字を使う。
政治家が提出する政治資金収支報告書を受理する総務省や各都道府県の選挙管理委員会には、報告書を調査したり、善悪・適法・違法を判断したりする権限がないためである。
つまり、「政治資金規正法」とは、政治家が100%正しい内容の報告書を提出するという建前の上に成り立っている法律なのである。
だから、仮に間違いが見つかった場合も、政治家側が自発的に修正を加えるというシステムになっている。
5年5ヶ月続いた小泉内閣では、政治とカネの問題は全く起きなかったが、その理由として飯島秘書官が、カネの問題について徹底的に閣僚候補の「身体検査」をして、克明に問題が無いか調べたからであると盛んにメディアで報じられた。
どんなに優秀な政治家でも怪しい領収書が1枚や2枚は必ず出てくるが、それで優秀な政治家を各利用候補から弾いていると、強力な組閣ができない。
飯島秘書官は、「収支報告書はいくらでも事後修正できる」という特徴を最大限に利用して、閣僚候補の報告書から怪しい領収書が見つかった場合は、直ちに修正を行わせ、閣僚任命式の前に修正を終わらせるようにしていたのである。
政治とカネについて定めているのが「政治資金規正法」である以上、注意さえしていれば、閣僚の辞任は必ず防げるのである。
官房長官は、平日は毎日2回の記者会見をこなしているが、菅官房長官のスーツとネクタイのコーディネートで、安倍内閣の状況が分かるという。
内閣の調子が良い時は、明るい紺色のスーツに黄色いネクタイを締めていることが多い。
官邸の会見場の演壇は西側を向いては話すように設置されているので、ネクタイの黄色は、風水的にも理にかなっている。
一方、菅長官がブルー系のネクタイを着けている時は、内閣の状況があまりよくない事が多い。
ちなみに、安倍総理は、東京オリンピックの招致決定、2014年11月の衆院解散発表の記者会見など、ここぞという場面にストライプのネクタイを使うようになってきている。
アメリカの大統領選挙では、ネクタイの色が有権者に大きな影響を与えるとして、ここぞという時には、赤いネクタイをするのが習慣になっているという。
赤色は「勇気」や「自己実現」といった強い印象を相手に与えることができると考えられている為で、テレビの印象一つで支持率が上下する今日、権力と色の関係は深い。
選挙が終わると、永田町を埋め尽くすのが胡蝶蘭である。
当選祝い、大臣就任祝いとして、胡蝶蘭で荷台を埋めた生花店の車が議員会館を往来する。
胡蝶蘭は、きちんと手入れすると、2~3ヶ月は持つのは当たり前で、頑張れば半年持つ場合もある。
だからこそ、「少しでも長く大臣の椅子に座っていられますように」と閣僚就任祝いに、胡蝶蘭が送られるのである。
余りにも多くの胡蝶蘭を送られてしまうと、置き場所に困ることになる。生花店は置き場所がないと見ると気を使ってくれ直ぐに引き取ってくれる。
その花はどうなるかというと、名札だけ差し替えられて、別の部屋に届けられる。
つまり、同じ胡蝶蘭の鉢植えが、永田町のあちこちの事務所をグルグル回っているのである。

2015年5月21日木曜日

米国ピュー・リサーチセンターによると、世界人口に占めるイスラム人口は15.7億人、比率で言えば22.9%と推定される。
ちなみに、多くの日本企業が進出しているインドネシアの人口の88%がイスラム教徒である。
2014年末の衆院選挙の内実を考えると、ポピュリズムと言うには疑問が多い。
この総選挙の投票率は、史上最低の52.66%だった。
つまり、表面的には自民党圧勝だった総選挙の実態は、3つの組織(創価学会、連合、共産党)の闘いだったのである。
創価学会は各選挙区で約2万票あると言われており、小選挙区で2位の候補者に2万票以内の差で当選した自民党議員は、創価学会の選挙協力がなければ落選する公算が高いのである。
しかもこの総選挙で、自民党は2議席減らしており、議席を減らしての勝利は有り得ない。
一方の公明党は4議席増やしており、3つの組織の中で創価学会が最も強かったというだけなのである。
北海道では新党大地の鈴木宗男氏が民主党についた結果、民主党が2議席から5議席に増えている。
新党大地は北海道の全選挙区のうち、12~13%を動かすことができる。
ギリシャ神話にナルキッソスの話がある。
ナルキッソスは誰からも愛され慕われる美少年だった。
女性だけでなく男性からも愛されたが、ナルキッソスは受け入れる事はなく、絶望して自殺した者もいた。
妖精のエコーも彼に恋をしたが、冷淡に拒絶され、悲しみのために姿が消え、声だけが残った。だから英語、ドイツ語、ロシア語などで「こだま」の事をエコーという。
復讐の神ネメシスは、他者の愛を受け入れないナルキッソスが自分以外を愛せないようにする。
ある時、ナルキッソスは水を飲もうと泉に身を乗り出した時、そこに美しい少年を見て、ひと目で恋に落ちた。
泉に映った自分の姿に恋い焦がれたのである。
この姿を愛するあまりナルキッソスは、泉から離れることができず、やがてやせ細って死んだという。
自己愛や自己陶酔を意味するナルシシズムは、この神話に由来する。
現在の沖縄県は、1872年に明治政府によって琉球藩とされ、1879年の琉球処分により沖縄県として日本国の一部とされるまては、琉球王国という独立国家だった。
つまり、沖縄は日本にとって外部領域であり、内国植民地なのである。
現在も日本は沖縄に対して宗主国なのである。
18世紀のヨーロッパ人の殆どが、オーストラリアの存在を知らなかった。
1770年にエンデバー号にのったジェームズ・クックは、オーストラリア東海岸へ遠征に出た。
しかし、そこは荒涼とした風景が広がるばかりで、クックの遠征からその後17年間、オーストラリアに向かった者はいなかった。
こうした中、1787年にイギリス政府は、オーストラリア大陸を広大な監獄にしてしまうという決断をした。
イングランドの犯罪者は、それまでは絞首刑や禁固刑を受ける代わりにアメリカのプランテーションで強制労働を科せられていたが、1987年にアメリカが独立したのと、またイングランドの監獄も収監定員を超え始めたのが背景にあった。
囚人を乗せた最初の艦隊を率いたのが、アーサー・フィリップで、同時に彼は植民地統治も委任されていた。
この1787年の第1回の航海から1868年までの間に、イングランドとアイルランドから16万人以上の囚人がオーストラリアへ移送れた。
つまりオーストラリアは、イギリスによる「排除の論理」で作られた植民地なのである。
ちなみに、1770年にジェームズ・クックがオーストラリアに上陸した当時、30万人の先住民であるアボリジニーが住む「無人の地」では無かった。
イギリス政府は、アボリジニーの殺害を厳しく禁じていたが、市議リスから排除された人達によって、アボリジニーは巧妙に排除されていった。
安倍首相は、就任当時、改憲が必要な理由として「手続き論」、つまり押しつけ憲法論を展開したが、やがて口に出さなくなった。
それは、大日本帝国憲法もまた押しつけ憲法だったという事に気付いたからだろう。
大日本帝国憲法は、国民と全く関係のないところで官僚が作成したものであり、それを天皇の名において制定した欽定憲法であり、国民にとっては押しつけ憲法には変わりない。
福沢諭吉や中江兆民は、大日本帝国憲法の発布が国民の精神的成熟が伴わない状況下で行われたと据え、冷ややかな目で見ていたという。
大日本帝国憲法は、日本時によって書かれた憲法だとの主張もあるが、これは間違いである。
お雇い外国人の法律顧問のヘルマン・ロエイレルやアルバート・モッセが大日本帝国憲法の起草に大きく関与しており、日本国憲法が外国人が書いた押しつけ憲法だから気に食わないという議論は成立しない。
30年ほど前の1980年頃と比べると、人民元は急落している。
当時は1ドルが1.74人民元だったのが、現在は1ドル6人民元と、4分の1になっている。
対円だと1人民元は150円だったのが、20円と8分の1になっている。
これだけ人民元が安くなれば、中国が世界の向上になるのは当然だった。
2000年から2010年の国防費を比較すると、ロシアは8.63倍、中国は3.92倍、韓国は2.04倍、米国は2.26倍、オーストラリアは1.97倍、EUは1.31倍に増えている。
ちなみに日本は0.96倍に減らしている。

2015年5月18日月曜日

イギリスのサッカー組織には、10協会がある。
「イングランドサッカー協会」「スコットランドサッカー協会」「ウェールズサッカー協会」「北アイルランドサッカー協会」のイギリス本土4協会に加え、「ケイマン諸島サッカー協会」「イギリス領バージン諸島サッカー協会」など海外領土の6協会がある。
国際サッカー連盟(FIFA)は、それぞれの協会代表チームが国際大会に参加することを認めており、ワールドカップ予選、本大会、欧州選手権などの試合に参加している。
サッカーの国債試合は最も素朴な形でナショナリズムが発揚する場である。
しかし、イギリスのサポーターは「ユニオンジャック」に対してアイデンティティを持っていない。
これがイギリスがネーションステート(国民国家)ではないことを物語っている。
イギリスの正式国名「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」にも、それが表れており、民族を示す言葉はどこにもない。
ちなみに、日本の外務省は「連合王国」と訳し、イギリスの日本大使館は「在連合王国日本大使館」と呼ぶ。
日本の高校の歴史教科書である「日本史B」と「世界史B」は、進学校向けの教科書で、重要な事項が網羅されていて大学受験のテキストとして高率よく得点を稼ぐという目的にはかなっている。
しかし、情報量に釣り合うだけのページ数が不足しているために、情報の羅列に終始しており、読み物としてはかなり退屈である。
その点、主に実業高校の授業で使用されている「日本史A」と「世界史A」は読み物として面白く、特に「日本史A」は日本の近代史を中心に日本が世界にどのようにつながってきたのかを重視して書かれており、基礎教養書として優れている。

このイギリスの教科書は、イギリスの歴史の中でも、16世紀から20世紀半ばにかけた、「アメリカへの植民」から「植民地インドかにの撤退」までの帝国主義国としてのイギリスに焦点を当てており、11歳から14歳までの中等教育を受ける生徒向けに書かれ、150ページ程度と薄い。
自国の帝国主義政策が現在のイギリス社会にどのような影響を及ばしているのかについて、将来を担う子供たちに自分の頭で考えさせるように編集されている。
この教科書は、徹頭徹尾、自分達の失敗の研究になっている。
大前提として、帝国主義による植民地支配は、世界中に災厄をもたらし、憎しみを残した。
つまり、成功例は何一つ無く、自分達のしてきたことは間違いだったという事が書かれている。
また、カンディーの非暴力抵抗運動の強さがクローズアップされており、イギリスにとってどれだけ脅威だったか、歴史が単一の物語ではなく、複数存在することを、この教科書で学ぶ生徒は、自然と気が付く事ができる。

イギリスの歴史【帝国の衝撃】―イギリス中学校歴史教科書― (世界の教科書シリーズ34) 

2015年1月20日に、後藤健二氏と湯川遥菜氏がイスラム国に拘束され、日本政府に対して、72時間以内に身代金2億ドル(236億円)を支払うように要求した。
イスラム国が、最初に要求してきた「72時間以内に2億ドル」というのは非現実的だった。
2億ドルを古い百ドル紙幣で用意するとすれば、百貨店の紙袋で400個分となり、重さは2トンとなってしまう。
金塊で用意したら5トンになってしまう。
人質事件の身代金は、銀行送金されることは、まず考えらない。
中国に対峙した日本人が戸惑うのが歴史感で、「事実」の定義が違う点である。
法律用語に「発生事実」と「決定事実」という言葉がある。
発生事実とは、物理的に物事が発生した、そのままの事実のこと。
決定事実とは、当事者が「これが事実である」と取り決めた人為的な「約束」のこと。
欧米と日本で重視されるのが、より客観的な「発生事実」であるのに対して、中国では「決定事実」でしか歴史を語らない。
その好例が、中国が南沙諸島の沖合に作っているヘリポートや発電所で、「我々の建造物がある場所だから、フィリピンが撤去しない限り、領有を認めたことになる」という理屈になっているのである。
1969年に東シナ海にガス田があるとする国連アジア極東経済委員会の報告書が発表され、その年のうちに日本企業が試掘申請を出し始めたのに、通産省は中国に文句を言われる事を恐れ、認可を全然出さなかった。
結局、申請から36年後の2005年に、帝国石油に試掘認可を出した。
その間に、中国側は20回も試掘しており、パイプラインを建設して、一部を上海まで運んでいる。
そこに融資しているのが、日本の国債協力銀行と、日本が出資しているアジア開発銀行である。
日本ば自国の産業の妨害をし、中国の開発を支援してきたのである。
尖閣問題に関する実に不思議な文書がある。
1997年、両国の排他的経済水域でのルールを定めた日中漁業協定が作成されたが、それにある書簡が附属している。
当時の小渕恵三外相が、中国の大使に宛てたもので、その書簡には「尖閣諸島周辺の排他的経済水域において中国国民に関してのみ、日本の関係法令を適用しない」と書かれている。
また、中国の大使から小渕外相宛てに、同様の趣旨が記された書簡が送られている。
しかし、異例なことに、双方が内容を確認する交換公文にはなっていない。
これが意味するところは、「日本は尖閣諸島の周辺で、中国漁船の活動を取り締まることができない」という事である。
さらに、中国から同趣旨の書簡を受け取るのは、尖閣における中国の主権を認めることになってしまう。
つまり、本当は受け取ってはいけない書簡なのである。
その点をはっきりさせる為に、交換公文ではなく書簡を交わした、一方的に送り付けられただけ、という形式にしているのである。
この書簡は、客観的にみると、日中間で尖閣諸島をめぐる係争が存在し、それを解決するための書簡である。
この書簡の存在により、日本政府の「尖閣に領土問題は存在しない」という立場は危うくなってしまうのである。
ちなみに、日中間の漁業協定のスタートは、まだ両国の国交が成立していない1955年に、中国政府と民間の漁業団体の間で結ばれたイレギュラーなものだった。
これは当時の鳩山一郎首相が、親米派の吉田茂に打撃を与える為に、アメリカの裏をかいて、正式な外交ルートではなく、裏ルートで結んでしまったものである。

2015年5月17日日曜日

2012年9月11日に、日本政府による尖閣諸島の国有化の閣議決定により、中国では反日暴動が起こった。
しかし、1992年に中国は「領海法及び隣接区域法」を制定し、尖閣諸島だけではなく、台湾や他国と領有権争いのある南シナ海の島などを、自分達の領土だと一方的に規定している。
1992年といえば、鄧小平が南巡講話を行い、天皇訪中で「日中友好」が盛り上がっていた時であり、その裏で、鄧小平は尖閣の「棚上げ論」を反故にし、この時点で中国は「尖閣の国有化」をしていたのである。
ローマ帝国は蛮族でさえも、兵役の義務を課せば、ローマ市民として取り入れる懐の深さがあった。
しかし、27カ国にまで拡大しているEUには、このようなローマ人的意識や共同体意識のこれ以上の拡大はみられない。
EUの本部建物がシャルルマーニュ・ビルと呼ばれている通り、EUの実態はカール大帝が率いたフランク王国の覇権が及んでいた地域が中心である。

2015年5月16日土曜日

ローマ人が自ら持っていない才能を有する存在を、誰でも神にしてしまったので、古代ローマには30万と言われるほど、多くの神々がいた。
日本にも八百万の神は日本の中で自然増殖していったのに対して、ローマ人は征服した民族の神々まで受け容れたから増えていった。
15年かけて執筆された『ローマ人の物語』(全15巻)が2006年12月に完結した。
紀元前753年のロムルスによるローマ建国から、東西分裂後の西ローマ滅亡を経て、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌスが死去する紀元565年まで、1300年の歴史が描かれている。
単行本と文庫本合わせて、執筆していた15年間で775万部売れたという。
大正末期から昭和初期にかけて活躍した葉山嘉樹というプロレタリア作家がいる。
数年前から『蟹工船』がブームになっているが、葉山の代表作である『海に生くる人々』はやはり船員の過酷な労働を描いた作品で、『蟹工船』より3年前に発表されている。
『蟹工船』では労働者が群れとして描かれているが、葉山は実際に船員として働いていた事があり、『海に生くる人々』の方が、細かい所にリアリティがある。
小林多喜二は明らかに先行する葉山の作品を読んだ上で『蟹工船』を書いており、船窓から見える暗い冬の海の描写など、偶然の類似では済まされない箇所があり、完全にパクリ作品である。
プロレタリア文学が日本共産党系と非共産党系に分かれた時、小林多喜二は共産党系に就いたが、葉山嘉樹は非共産党系に就いた。
戦後になり共産党系だけが正しいということで、葉山は歴史から抹殺されてしまい、今や全く忘れ去られた存在になっている。
沖縄に関して、日本政府が触れたくない条約として、「琉米修好条約」「琉仏修好条約」「琉蘭修好条約」の3つがある。
日本になる前に琉球が独立した王朝として、アメリカ、フランス、オランダと各々条約を結んでいたのである。
つまり、少なくともアメリカとフランス、オランダは、琉球を独立国家として認めていたのである。
この条約の3つの原本が、なぜか東京の外交史料館にある。
首里城を開城する時に無理やり持ってきたのである。
日本政府は、2006年9月に、鈴木宗男氏が国会に復帰した最初の質問書に対して、当時の安倍晋三総理の名で、「沖縄がいつ日本に組み入れられたか明確に言えない」と答弁している。
総理大臣官邸は、朝一番でその日のニュースを取りまとめたファックスが届く。
外務省がまとめたもの、内閣情報調査室(内調)がまとめたもの、それから各通信社がまとめたものと、殆ど同じ内容のものが三種類もくるのである。
誰かが一つにまとめればいいのだが、役所の縄張りがあり、それができないのが日本の霞が関文化なのである。
内調は各省庁からの出向者の集まりで、プロパー職員を育成しなければならないと言われ続けている。
世界中を見渡しても、首相に直結した諜報機関で、160人も人員を抱えている国は日本の内調だけであり、外郭団体の世界政経調査会を合わせると300名近い陣容で、人工衛星まで持っている。
戦前の日本のインテリジェンス能力はなかなかのものだった。
戦時中には、スペイン公使の須磨弥吉郎が中心となった「須磨機関」による対米諜報工作の成果は大きく、原爆の開発情報などの情報が多く入っている。
特に戦前、日本が米国内に構築したスバイ・ネットワークをスペインが引き継いだ「TO作戦」が面白い。TOとは「盗」と「東」をひっかけて作った言葉である。
日本のスバイがワシントンのスペイン外交官に情報を提供し、それがマドリッド経由で東京に届いていた。
小渕恵三首相のインテリジェンス能力は非常に高かった。
そもそも本格的なインテリジェンス組織が必要だと言い出したのも小渕首相だったという。
その背景には、小渕首相の叔父の岩太郎氏から若い頃に薫陶を受けて、海外を回っている。
岩太郎は陸軍中野学校出身でゾルゲのグループを摘発した「ヤマ機関」の関係者に、色々と情報について教えていたという。
ブーチンはKGBの出身だが、政治的な画策ができる地位まで行けず、退役した時はまだ中佐だった。
モスクワの町で警棒を持って駐車違反の取締りをしているのが大佐クラスなので、プーチンの出世は遅かった。
中佐が国家元首になるなどという事は、かつてのKGBやソ連軍の歴史からは考えられないことが起きているので、プーチンは今一種の神かかりになっているのであ。
北朝鮮情報を得るのに、東京は最高の場所である。
例えば、北朝鮮の要人リストか欲しい時に、韓国の国家情報院でもらうより、丸善や紀伊国屋で売っている『朝鮮民主主義共和国組織別人名簿』(ラヂオプレス社)の方が正確である。
しかも毎年新版が出ているので、全部買えば時系列で要人のポストの変遷が分かる。
この調査を自前でやろうとしたら、委託研究で5~6千万円かかるものが、東京に来れば10万円で手に入る。
また、神保町には「レインボー通商」という本やがあり、北朝鮮からの流出本を売っている。
店主が中国の延辺で買い付け、リュックサックで担いできた物だが、この本屋はインテリジェンスの業界関係者の間で、国際的によく知られているという。
同時に北朝鮮側も、この本屋の利用価値に目を付け、伝えておいた方がいい事はレインボー通商を介して、自然と然るべ所に伝わるようになっている。
レインボー通商で売られている『金日成著作集』や『露朝事典』の後ろに四角いカッコに入った数字とマル数字がハンコで押してあり、おそらく原簿があって、どこに流したものかが分かるようになっている。
エリツィンはKGBと戦争をして、2度KGBに殺されかけている。
その後、エリツィンは権力を握ったあと、KGBを潰すつもりだった。
側近グループはインテリジェンス体制が完全に崩壊するのを避けるために、KGBを対外諜報庁と連邦保安省に分割するが、エリツィンの怒りの他さきは国内担当の保安省に向かい、防諜庁、連邦保安庁(FSB)などと、何度も名称が変わり、職員は1ヶ月に1回人事異動があり、2ヶ月に1回機構改革があった。
エリツィンの在任8年間ずっとそれが続いたが、プーチンが連邦保安庁の長官になって初めて、無意味な人事異動を止めさせた。
池上彰氏は、宅配で新聞を8紙(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、サンケイエクスプレス、中国新聞、朝日小学生新聞、毎日小学生新聞)とっているという。
更に大学への通勤途中に駅で2紙(東京新聞、産経新聞)を買って読んでいる。
ウクライナの革命の報道では、新聞各社の基礎体力の差がはっきりと出た。
初動でロシア語が堪能な記者を2人、現地に送っている朝日新聞は圧倒的に強かった。
産経新聞は外電に頼りながら、徹底的に「論」で勝負していた。
他の新聞社は、中途半端な内容だった。
新約聖書には27文書が含まれているが、それらは紀元前50年前半から約百年の間に掛れたものと見られている。
この時代には聖書に収録されたもの以外にも、多くの文書やイエスの言行録(福音書)が存在していた。
しかし、最終的にアレクサンドリアの司教アタナシオスの権威によって、367年に27文書のみを新約聖書とすることが決定された。
これによって、新約聖書に含まれない文書は偽典(異端文書)とされ、2001年に発見された「ユダの福音書」もその一つである。
イエス・キリストは、姓名ではない。
イエスは日本人の太郎、一郎のように、当時のパレスチナにいた、どこにでもあるごく普通の名前で、キリストは「油を注がれた者」の意味で救済主を表す。
ユダヤでは、王様が戴冠する時に油を注ぐ習慣があり、王様=救世主というのが、ユダヤ教の伝統的な考え方となる。

「イエス・キリスト」という表現は、「イエスという1世紀に存在した男が、キリストという救い主であると信じている」という神学的表現(信仰告白)なのである。

2015年5月15日金曜日

日本語の「教養」という言葉は、19世紀末から20世紀初頭に使われ始めた比較的新しい言葉である。
この言葉に最も近い外国語は、ビルドゥング(Bildung)というドイツ語で、単なる知識の集積ではなく、「知的能力を開発し、生成していく」という時間的な要素が含まれる概念である。
あるいはドイツ語のクルトゥール(Kultur)という言葉も近く、これは英語のカルチャーに当たる言葉で、ラテン語のコレーレ(colere=耕す)という言葉に由来している。
教養とは「耕す」ことによって生成する知のあり方なのである。
中世神学の世界には「総合知に対立する博識」という格言があり、断片的な俊樹を積み重ねたところで、単なる博識にすぎず、総合的な知、つまり「教養」にはらない。
断片的な知識をつなげて体系的な「物語」にする能力が必要なのである。
拘置所では、手元に置いておける本は原則3冊という決まりになっている。
他に宗教書や教育関係とか、拘置所が認めた場合は、プラス7冊まで手元に持つことができる。
石川知裕・元衆議院議員は、房で佐藤優氏の『国家の罠』と『獄中記』を読んで、「そろそろ相手はこう出てくるな」と予想していたという。
最高裁には全部で15枠あるが、割り当てがあり、業界団体の推薦かに任命される。
出身母体が刑事裁判官、民事裁判官、行政官とかで、後は弁護士、大学教授となっている。他にも8年に1人、外交官枠がある。
検察庁や裁判所から、天下り先の公証人利権(年収3000万円)を外されたら、大変な事になる。
日本では奴隷解放を宣言した人道主義者という印象が強い、米国第16代大統領のエイブラハム・リンカーンには、南北戦争で大統領でありながら軍隊の最高指揮官というもう一つの顔があった。
南北戦争を早期に終結させて合衆国の統一を維持するという政治目的を実現するために、苛烈な作戦を推し進めた。
ナポレオン以来の軍隊同士が会戦の場で決着をつけるという戦争の常識を覆して、南部の一般市民、女性や子供、老人を攻撃目標に加え、後に第一次世界大戦で展開された総力戦を先取りした。
その結果、多くの非戦闘員が犠牲になり、今でもアメリカ最多の戦死者が出たのが南北戦争である。
リンカーンの奴隷解放宣言は、明らかにフランスに向けてのメッセージであり、北軍の大義を打ち出すことで、イギリスの干渉を防ぐことに成功している。
アメリカではリンカーンは最も偉大な大統領の一人されている。
彼は残酷な作戦であっても、アメリカ史の大きな流れの中では、いずれ許されるというビジョンを持っていた。
こうした歴史の予見能力もリーダーの資質の一つと言える。
「キリスト教を始めたのは誰か」いう設問に対して、「イエス・キリスト」と答えると、高校入試や大学入試では正解とされるが、神学部の期末試験では不正解となる。
イエス自身は自らを真のユダヤ教徒と考えており、キリスト教という新しい宗教活動を始めたとは夢にも思っていなかった。
キリスト教という宗教の開祖は、生前のイエスと一度も会ったことがなく、イエスを信じる人々を弾圧していたバウロなのである。

「汝の敵を愛せ」というのはイエスの言葉として有名で、キリスト教の博愛主義を示すものと受け止められている。
敵を憎むのは人間として自然な感情で、憎しみは人の眼を曇らせ、その結果、現状を正確に認識することができなくなってしまう。
そうすると判断を誤り、結果的に自分が損をしてしまう。
つまりイエスが説いているのは、「すべての人を愛せ」という抽象的博愛主義ではなく、人々をまず敵とそうでない者に分けて、その上で「敵を愛せ」と命じているのである。
キリスト教は「自分の敵は誰か」を常に意識している宗教なのである。
敬語は、相手との距離感覚であり文化を示すものである。
例えば韓国は絶対敬語の文化で、部外者に対して上司のことを話す時も「部長がおっしゃっています」と表現し、謙譲語を使わない。
日本では近代になって身分制が廃止されて、社会がフラット化し、敬語は全て丁寧語に収束されていった。
今や敬語や謙譲語は「会社」という身分制の中で使用されている程度で、多少間違っても問題にはならない。
贈り物は2種類に分けて考える必要がある。
1つ目は、お互いに送り合いをする贈り物で、これは人間関係の強化となる。
2つ目は、一方的に行くだけの贈り物で、これは力関係になる。
人間というのは、貰ったら返さなければならないと考えるが、返せないようなものをもらうと、力関係になるのである。
キリスト教では、神はイエス・キリストという自分のひとり息子を人間に与えて、何も悪いことはしてないが、イエスは人間の罪のために死んでいく。
これはいくら何を積んでも我々には返すことができないので、神と人間との間で力関係が生まれるのである。
第二次世界大戦の後で、蒋介石も毛沢東も日本には賠償を要求しなかった。
それは返せないほどの負債にしたかったからであり、日本はお願いしてでも賠償を払うべきだった。
ビルマやインドネシアとは、賠償金を払った時点で和解となり、やった事は消せないが、払う事でリセットされフラットな関係になれたのである。
お中元もお歳暮も、返せばフラットになれる、いわばリセットの儀式なのである。
一般財団法人資産評価システム研究センターが提供している「全国地下マップ」というサービスがある。
これは、全国の主要な道路に1㎡あたりの固定資産性路線価、相続税路線価、地価公示価格、都道府県地価調査価格について、過去4年分を地図に表示できる。
中古物件の購入検討時には参考となるサービスである。

国土交通省が2014年4月23日に公表した「平成25年度マンション総合調査結果」によると、旧耐震基準マンションのうち、耐震診断を行った管理組合は、僅か33.2%にすぎない。
そのうち32.6%が耐震性なしと判断されているが、耐震補強を実施したの33.3%、今後実施する予定が47.6%となり、実施する予定なしが19.0%ととなっている。
また、管理費を3ヶ月以上滞納している住居がある管理組合は37.0%、6ヶ月以上滞納している住戸がある管理組合は22.7%、1年以上滞納している住戸がある管理組合は15.9%にものぼっている。
駅徒歩10分以内の新築マンションの供給戸数と中古マンションの流通戸数のシェア
東京23区 中古78%、新築22%
横浜市  中古94%、新築6%
さいたま市 中古89%、新築11%

SUUMO首都圏版 2015年5月5日号
東京23区の新築マンションと築年別中古マンションの70㎡換算価格
新築    6254万円
築5年以内  6000万円 (▲4.1%)
築10年以内 5278万円 (▲15.6%)
築15年以内 4473万円 (▲28.5%)
築20年以内 3961万円 (▲36.7%)

SUUMO首都圏版 2015年5月5日号
首都圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)の新築マンションと築年別中古マンションの70㎡換算価格
新築    5147万円
築5年以内  4735万円
築10年以内 5811万円 (▲26%)
築15年以内 3347万円
築20年以内 2766万円 (▲46%)
築25年以内 1960万円
築30年以内 2210万円
築31年以上 2264万円
SUUMO首都圏版 2015年5月5日号

2015年5月14日木曜日

都心回帰が進んでおり、通勤・通学距離が短くなっているという。
日経新聞が首都圏の私鉄大手8社を対象に、2003年~2012年度の定期券利用者1人当り担架を集計したところ、2006年度をピークに下落トレンドとなっている事が分かった。
定期券の単価下落には、人口の都心回帰に加え、高度成長期からバブル期にかけて郊外に居を構えた団塊世代の退職が進んでいることも背景にある。
2014年1月に日銀が発表した「生活意識に関するアンケート調査(2013年秋に調査実施)」によると、国民の「インフレ期待」への働きかけに力点を置いている日銀の大胆な量的・質的金融緩和に対して、きちんと理解している人は殆どいないという結果であった。
量的・質的金融緩和について「知っている」という回答が前回の昨年6月調査の36.9%から29.4%に大幅に減少した一方、「見聞きしたことがない」という選択をした人が21.7%から38.9%へ増加している。
東京カンテイやアトラクターズ・ラボの調査でも、駅近ほど中古になった場合、値下がり率は低く、値上がり率は高い。
バス便や徒歩20分以上の立地になると、資産価値の劣化が早く、新築時の物件価格は手頃だとしても、結局は損をしてしまう。
これは単純に駅前の土地が少ないからで、駅からの距離が徒歩3分と20分の立地を考えると、徒歩1分は80メートルなので、3分の土地は駅距離240メートル、20分の土地は1600メートルとなる。
駅からの同心円の面積を比べてみると、徒歩3分の土地は18万平米で、徒歩20分の土地は800万平米となり、50倍もの開きが出てくる。
つまり、徒歩3分の土地を手に入れる事は、徒歩20分の土地より20倍難しいのである。
供給が少ない土地の価値は維持されるのである。