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2016年12月31日土曜日

日本で自殺者は毎年3万人。
人口比で0.02%、4000人に1人の割合となる。
つまり確率的には、大家として4000室を持っていると自殺者に遭遇することになる。
徒歩5分の物件と徒歩10分の物件を比較すると、価値が4倍違うと考えられる。
不動産業界では徒歩1分は80メートルを目安にしてるのだ、駅から徒歩5分と徒歩10分の土地の面積は次の通りとなる。
徒歩5分  400メートル×400メートル×3.14=50万平方メートル
徒歩10分 800メートル×800メートル×3.12=200万平方メートル
土地の広さが4倍となるので、その分、競合物件が増え埋もれてしまう。
受験のために引っ越しするという状況は、つまり「住む場所」が資本になっていると理解できる。
かつては土地を所有することが、「富裕層」であることを維持するための手段だった。
しかし、現代の富裕層=資本家は、受験の条件の変化を受けて、引っ越しをする人々である。
つまり「土地」以上に「住む場所」が資本になっていると言える。
現代では、「教育」が富裕階層がその優位性を維持するために最もも有効な「資本」になっている。
『年収は「住むところ」で決まる』の著者であるエンリコ・モレッティは、「移住には投資と似た面がある」という。
投資とは将来的に自らの生産能力高めるとめに、現在の資本の一部を投下する行為だが、都市で暮らすことが自分を成長させる機会になる、いい仕事よ巡り逢う機会の確立を高くすることになる。
つまり住む場所が自己投資だと考えるのである。
また、都市社会学者のリチャード・フロリダも、「人種、教育、職業、収入と並んで場所が持てる者と持たざる者を分かつ要因」になっていると指摘する。
ニューヨークのような所得水準が極めて高い場所では、「教育」が移住の理由になっている。
経済学者のエドワード・グレイザーは、情報技術の発達が人と人との間の直接的なコンタクトの需要を生んでいると指摘する。
なぜなら、実際に人と人が体面して会う時間とは、「電子的なコミュニケーション時間を補うものだから」である。
つまり、FacebookのようなSNSを通じたコミュニケーションは人間関係の重要性を高めており、そこで深まった関係性がリアルな現実の場で以前よりも補完されるのである。
また、かつては年を重ねる度に、移動半径が広がり、小学校や中学校の地元つながりは疎遠になる事が多いが、電子ツールの普及と共に再び再構成されているという。
ケータイやスマホの普及により、近い距離の価値が高まった。
夜中に飲んでいるときにLINEで誰かを呼び出そうという場合、気安く声をかけめことがてぎるのは、15分の距離の場所に住んでいる友人である。
東京ではITベンチャーのオフィスは、主に渋谷と六本木に集中している。
IT企業で働く人達は、会社と近い場所に住み、仕事とプライベートが地続きの生活を送っている。
東京に拠点を置くITベンチャーは、近くに住む社員に何らかの家賃補助制度を導入している事が多い。
最初に、オフィス近くに住む社員への住宅補助を制度として広めたのは、サイバーエイジェントであり、この成功を見て多くのITベンチャーが制度として導入している。
サイバーエイジェントは、オフィスから2駅以内に住む社員に3万円の補助を出す制度を、2005年頃に福利厚生として導入し、この制度は「2駅ルール」と呼ばれている。
「2駅ルール」を導入して生まれたメリットに、社内コミュニケーションの活発化が挙げられる。
職住近接の生活の中で、社員同士が仕事終わりに飲みに行く機会が増え、「恵比寿会」や「三茶会」といった社内グループが生まれ、部署の垣根を越えた情報交換の場が生まれたという。
在宅勤務、テレワークに様々な企業が意欲的に取り組み、導入・拡充されつつある。
しかし、Yahoo!は2013年に在宅勤務の禁止を発表している。
Yahoo!が社員に向けた説明は、「在宅勤務により、スピードと品質が犠牲になります。私達はYahoo!として一つになるために顔を合わせる必要があるのです。」
現代の知識集約型産業における中心的な業務は遠隔化できないということをYahoo!は認識しているのである。
彼らが重視するものは、人と人の距離の近さによって生まれている。
『人は意外に合理的』の著者で経済学者のティム・ハーフォードは、「他人の近くにいること」で得られる効用は「頭がよくなること」であると指摘する。
なぜ頭が良くなるかというと、人は近くにいると「お互いに学びあう」からだという。
そして、「産業の知識集約度が高ければ高いほど、その産業は小さなエリアに集中する」という。
また『都市は人類最高の発明である』の著者エドワード・グレイザーは、都市に住むだけで3割増しの給与が得られると指摘する。
優秀な人が都市に集まるからではなく、都市に住むと人は「頭が良くなる」から生産性が高くなり、だから都市に住む人の平均給与が引き上げられるのだという。
都市への一極集中は、日本だけで起こっている現象ではなく、世界中の大都市で同時進行している現象である。
国連統計局のレポートによると、1950年には都市部人口が全体に占める割合は30%だった。
それが現在では世界の人口の半数は都市で暮らすようになり、2050年には66%になると推計されている。
世界的にも人類は都市で暮らすことを選択しようとしていることが分かる。
政策シンクタンクの日本創生会議が発表した「増田レポート」は、統計データを元に人口減少を調査し、多くの地方自治体の消滅可能性を示し、その衝撃は社会現象となった。
増田レポートをよく読めば、「拡散」を志向している訳ではなく、「多極」「集中」を打ち出していることが理解できる。
このレポートが推奨する将来の日本像は、県庁所在地クラスの都市にその周辺の人口を集積させ、東京への人口流出に歯止めをかけることで、人口減少を鈍化させることができるという提案となっている。
これに対して、現在進められている「地方創生」は、全ての地方自治体が生き延びようという、「地方への人口分散」を目指す方向に向かっている。
人口減少社会に必要なのは、「人口の集積」である。
地方創生において、明確に東京圏への流入を減らし、地方移住を増やすという「拡散」の方針が明確に打ち出されている。
地方創生が打ち出す基本目標は「2020年までに東京圏から地方への転出を4万人増加」「2020年までに地方から東京圏への転入を6万人減少」させることだという。
国土交通省・国土政策局の「国土のグランドデザイン2050」の関連資料「首都圏への人口集中・欧米諸国との比較」によると、総人口における首都圏人口の比率が、欧米先進国が軒並み20%以下であるにもかかわらず、日本だけが30%に近づいている。
一方で、国連統計局の「都市化率」では、80%に近いアメリカや、70%のヨーロッパ諸国に対して、日本は66%と低い。
さらに日本の都市化率の上昇は、1990年代以降、鈍化している。
経済合理性に任せておけば自然に大都市圏に集中していたはずの人と経済資源を人為的に地方に押しとどめようとする背政策が、「国土の均衡ある発展」という政策方針の正体である。
by 増田悦佐『都心回帰の経済学』
日本で戦後に人口が都市に集中したのは、高度経済成長期、バブル経済期、そして現在と、経済の状況がよい時期である。
景気がいい時代に都市部に雇用が生まれ、人口移動は景気と連動する。
好況期に人口集中が進み、不況期には人口集中は止まる。
1993年からの4年間は、東京圏への転入を転出が超過している。
選挙では「一区現象」と呼ばれるものがある。
選挙区において一区となる都市部においては、自民党のベテラン政治家でも革新勢力に苦戦、または負けることがある。
浮動票の割合が多い都市部の選挙は、地方よりもその時期の話題の政治問題に流されやすい。
逆に、都市部では地方ほど個々の選挙民の利益が政治によって決定しないので、利益誘導の政治は都市に向かない。
戦後の日本を作った都市政策は集中よりも分散に偏っていたといえる。
都心の分散の中心となる政策は、1950年代末に策定され、1970年代以降に整備されていく「副都心計画」である。
戦前から戦後にかけての新宿、渋谷、池袋は、皇居を中心とした半径5キロに分散している郊外の将棋用集積地でしかなかった。
1960年に決定した「新宿副都心計画事業」では、高層ビル街化の構想が具体的に示され、1970年代後半に新宿は最も集積度の高いビジネス街に生まれ変わる。
東京は都心からではなく、周辺の地域に分散しながら発展を遂げていくことになる。
東京都心への人口集中の受け皿となっているタワーマンションが急速に増えたのは、2000年以降のことである。
規制緩和の一環として「高層住居誘導地区」が1997年に成立し、容積率の上限が600%となり、日影規制が適用除外されたことにより、超高層住宅の建築が可能となった。
タワーマンションは供給数を伸ばし、2006年には全供給戸数に占めるシェアが19.3%まで伸びている。
極めて都心に近い場所に大量の住宅供給が行われているため、東京の地価高騰が押さえられている事は、タワーマンションの功績といえる
かつての「国土の均衡ある発展」という国策を「都心集中」に切り替えた理由の一つに、バブル経済期の都市政策失敗への反省があるという。
バブル期の東京都心部の土地は投機の対象となり、土地価格が異常なまでに高騰した。
当時の安すぎる土地保有税が土地活用の邪魔をし、多くの土地保有者は有効に活用するよりも転売目的で土地を休眠状態にしたのである。
オフィスのための土地を適切に供給することで地価の高騰を抑え、土地保有税を高くすることで土地活用のインセンティブを高めることができれば、このような事態は避けられた。
バブル時代に、都心が床不足になり、郊外の人口が増え、都心のドーナツ化が進んだ。
郊外化が都市経済、都市文化にとってマイナスでしかないことは近年は常識となっている。
このような反省を踏まえて、土地保有税を引き揚げ、都心集中を規制する方針の撤回がバブル後に行われた。
これにより、1990年大以降に急成長した家電量販店やファミリーレストラン、ファーストフード産業などの郊外型ビジネスモデルにとっては逆風の時代となり、都心型店舗へのシフトを余儀なくされている。
現在の都心中心部への人口集中が始まったのは2000年代半ば以降のことに過ぎない。
2000年代前半に、日本は国土政策における大きな転換を行った。
戦後から2000年代に至るまでずっと貫かれてきた「国土の均衡ある発展」という国策を放棄したのである。
都市に集積・集中をさせない法整備として1959年に「工場(等)制限法」が制定され、大都市圏における人口過密化を是正し、経済成長の恩恵を全国に平等に配分することを目的にしていた。
しかし、2002年に同法は廃止され、かつて郊外に移転していた大学が、キャンパスを次々と都心に戻し始めてしまう。
他にも、低成長時代に入ってから施行された「工場再配置促進法」も、都市部で発展するはずの工場に、補助金の支給や優遇金利による融資を行い、地方に移転させようという趣旨の法規制だが、同法も2006年に廃止された。
これらは産業の集積にかかわる規制緩和だが、住宅に関しての都心集中に対する規制緩和として、1997年の「構想自由宅誘導地区」の成立による容積率、日影規制の緩和により、人口の都心部回帰の受け皿としてのタワーマンション建設が急増することになる。