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2016年1月26日火曜日

現在の日本の高校教育では、世界史は必須だが、日本史は必須ではない。
そこで学習指導要領を変えて、日本史と世界史を併せて「歴史総合」という一つの教科として教えることが検討されているという。
しかし、この場合、世界史が国史に吸収される方向に行く危険性がある。
旧ソ連時代の歴史教育では、「ソ連史」しかなく、「世界史は最終的にソ連史に包摂される」という考えに基づく歴史観だった。
サウジアラビアの歴史教科書も、ソ連の教科書と似た作りになっていて、殆どがイスラムの歴史で、世界にはイスラムしかないという内容になっている。
近代の日本史の歴史の枠組は、「国史」「東洋史」「西洋史」で、これは『今昔物語』の天竺、震旦、本朝という分類を元にしている。
天竺の代わりが西洋史、震旦の代わりが東洋史、本朝が日本史で、三朝史観である。
文字の表記法は国家にとって非常に重要な問題となる。
中国共産党が画数の少ない簡体字にしたのかというと、表向きは識字率を高めるためだが、その本質は国民から以前の知識を遠ざけるためだった。
簡体字教育が普及すると、それ以前に使われていた繁体字が読めなくなり、共産党支配以降に認められた言説だけが流通するようになり、歴史を断絶させ、情報統制を行ったのである。
ロシア革命の後でも、ソ連はロシア語の表記を少し変えて、文字を4つ消してしまった。
ロシア革命前の宗教書や反共的な文書は図書館に収められているが、特殊な訓練を受けた人しかよめなくなっている。
ナチスドイツがひげ文字のアルファベットではなく、英語と同じ読みやすいアルファベットを採用したのも同様である。
戦後日本もGHQが招聘した教育使節団の勧告によって、漢字廃止、ローマ字表記にされてしまう可能性があった。
少し前まで一般的に使われる漢字を「当用漢字」と言っていたが、これはローマ字表記を採用するまで、当座の間だけ使ってよい漢字、という意味である。
それが「常用漢字」になったのは1981年のことである。
近代教育の始まりを考えると、「帝国」の存在と密接に関わってくる。
例えば大英帝国は、植民地経営のための優秀な官僚を育成するつめに、現地に高等教育機関を設立した。
バクダッド大学やハルツーム大学は、そのようにして設立されたものである。
これに対して、フランスでは現地の優秀な人材をフランス本国に呼び寄せて、本国の大学で教育をした。
この結果、今日においてイギリスに統治された国には大学があり、フランスに統治された国には、優秀な人材はいても良い大学はない。
ちなみに植民地統治に関して、最も酷かったのはポルトガルで、人材育成もインフラ整備も何もやっていない。
日本もイギリスに見習い、台湾に台北帝国大学、ソウルに京城帝国大学を作り、上海には東亜同文書院、満州には満州帝国大学、ハルビン学院を設立した。
しかし、沖縄に対してはフランス式を採用し、高等教育機関を作らなかった。大学だけでなく、高校さえも作らなかった。
師範学校を専門学校に昇格させているが戦争末期のことである。
これに対して、アメリカは沖縄統治に当たって教育を重視し、戦後すぐに英語学校を設置し、ミシガン州立大学から顧問団を招聘し、琉球大学を創設する。
沖縄のエリート層がアメリカに対して好意的なのは、日本が高等教育機関を作らなかったのに対して、アメリカは占領初期から沖縄のエリート養成を考えたことが大きい。
優秀な沖縄の学生をミシガン大学に留学させ、沖縄のエリートを育てたのである。大田昌秀元知事はアメリカ留学世代である。
現在は地場エリートは、沖縄県内の大学で再生産されていく構造になっており、沖縄県庁職員の半数は琉球大学出身で、県内の大学出身者を含めると、かなりの割合に達する。
イスラム国などのイスラム過激派は、「神の主権」を主張している。
間違いを犯す存在である人間が法律を作るなど、とんでもない間違いであり、民主主義はダメで、神様が主権者であり神は間違えない、という考えに基づいて「シャリーア」(イスラム法)を絶対視する。
だから「人権」の反意語は「独裁」ではなく、彼らにとっては「神権」になるのである。
キリスト教とイスラム教の大きな違いは「原罪観の有無」にあり、イスラムは原罪意識の無い楽観的人間観で、神が命じれば聖戦の名の下に、いかなる暴力も許されてしまう。
ウェストファリア条約をきっかけとして「人権」という概念ができたが、イスラム原理主義は、世界の歴史をウェストファリア条約以前の世界に戻そうとしていると考えられる。
第二次大戦末期に、アメリカの原爆開発は、まずウラン型が1個でき、プルトニウム型の原爆が2個できた。
プルトニウム型は量産体制に入っていたが、ウランの濃縮は時間がかかるため1個しかできていなかった。
ウラン型は構造が単純で間違いなく爆発するので、実験の必要はなく、温存しておくこととなった。
一方で、プルトニウム型は、誤差なく中心部に爆縮しないと上手く爆発しなてので、こちらは実験することになった。
当時、軍幹部は実験は不要で早く日本に投下するよう主張したが、開発者のオッペンハイマー博士が実験は必要だとして、1945年7月16日午前5時にニューメキシコのホワイトサンズという米陸軍の射撃場で実験を行った。
秘密裡に実験を行ったが。想定以上の大きな爆発だったため、200キロ離れた所でも爆音が聞こえ、窓ガラスが割れ大騒ぎとなり、付近の住民は被爆したという。
2015年は、核という人類史最大のパンドラの箱を開けてしまった年と言える。
きっかけは、英米独仏露中の六カ国とイランとの間で結ばれたイラン各問題に関する合意で、今後、世界中に核が拡散する恐れがある。
一般に、この合意は、1979年のイラン革命以来、続いてきたアメリカとイランの対立に終止符を打つもので、中東や世界に平和をもたらすものとして、ポジティブに評価されている。
しかし、この合意には「イランが核爆弾1個分の核物質を獲得するまでの期間が1年以上かかるようにする」という条項があるが、言い換えれば、将来、イランが核を持てる事を認めているのである。
この合意が成立した直後に、イエメンで内戦が激化し、シーア派勢力が活発化しており、イランが事実上の核カードを使い始めたことを意味する。
数年以内にイランの核保有をきっかけに、核拡散が起こる。
大きな動きとしては、サウジアラビアとパキスタンとの秘密協定の存在で、同じイスラム教スンニ派のパキスタンが核兵器を持つのは意義がある事として、サウジアラビアが開発費を支援し、イランが核兵器を持ったら速やかにパキスタンの核弾頭の一部をサウジアラビア領内に移すというものである。
この秘密協定が実行されると、カタール、オマーン、アラブ首長国連邦などもパキスタンから核を買い、エジプトとヨルダンは自力開発することになる。
『コーラン』にも『ハディース』にも核兵器を使ってはいけないとは書かれていない。
また、この中東の核拡散は極東にも影響し、北朝鮮の核に対抗して、韓国が核保有国を目指すことになる。
ドローンの技術進化により、兵器の体系も全く変わっていくことになる。
中国がいくら空母を建造しても、強力なドローンを開発してしまえば、空母など沈められてしまう。
日本帝国海軍の大艦巨砲主義と同じで、日本も航空機の時代になって空からの攻撃に耐えられない事を知りながら、大和や武蔵を建造してしまった。
中国が軍事的なエネルギーを空費する事自体は、日本にとって有利なことであるが、注意が必要なのは、せっかく空母を造ってしまったんだから使わざるを得ないという、不合理な合理主義が中国で作動してしまう危険性がある事である。
大和、武蔵を造ってしまった判断のゆがみと、勝てる見込みのない対米英戦を始めてしまうことは、どこかでつながっている。
「石油が無ければ戦えない、だから戦争をする」というのは、当人達にとっては合理的な判断なのである。
戦争の経済学からすると、敵を殺さない方がむしろ効率的となる。
だから非殺傷兵器の研究は進んでいる。
例えば、対人地雷は基本的に殺す目的ではなく、敵兵士の足が吹き飛んで苦しむような状態にさせ、周りの兵士が二人がかりで助け、合計三人を宣戦から離脱させる事を目的にしているので、わざと威力を弱く調整している。
旧日本軍がずっと三八式歩兵銃を使用し続けたのも、同じ理由である。
日露戦争に使用した旧式銃を第二次大戦でも、なぜ使用したのかという批判はあるが、物量が足りなかったという理由でけではなく、殺傷能力が弱いので、米軍に負傷者がたくさん出たからである。
世界史を振り返ると、戦争や兵器が歴史を変えて来たことが分かる。
フランス革命を通じて出て来たナポレオン率いるフランス国民軍は、圧倒的な強さを誇った。
それ以前の戦争は傭兵による軍隊だったので、身の危険を感じると逃亡する兵士が続出したと言われている。
しかし、ナショナリズムに突き動かされた国民の軍隊は、死を恐れないので強い。
しかし、現代では先進国では人命の価値が非常に高くなってしまい、戦争を避ける傾向がある。
ところが、イスラム原理主義を信奉する武装組織は、「聖戦」という概念を使うことで、人命のコストを下げることに成功してしまった。
戦死しても、殉教して天国に行けるので、死を恐れずに戦い続ける事が可能になっている。