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2016年12月11日日曜日

日本の高度成長を象徴するものに新幹線がある。
昭和39(1964)年の東京オリンピック開催の直前に、東京ー大阪間に東海道新幹線が開通した。
東京ー大阪間を4時間で結ぶ超高速鉄道は、当時世界一の運行速度だった。
この新幹線が開通したのは終戦から20年も経っていないのである。
しかも工事が開始されたのは、昭和34年からであり、日本が焼け野原になってから僅か14年で新幹線を着工し、着工から5年で開通させているのである。
この素早い新幹線の建設には理由があり、実は新幹線は戦前から計画され、既に一部が着工されていたプロジェクトだったからである。
戦前の新幹線構想は「弾丸列車計画」と呼ばれ、東海道本線、山陽本線に高速鉄道を走らせるというものだった。
日本は朝鮮を併合し、満州にも植民地を持つようになり、大陸への膨大な輸送のニーズが生じた。
日本ー満州間の旅客量は、昭和6年には30万人だったが、昭和12年には52万人、昭和14年には90万人を超えている。
そこで昭和13年に、東海道、山陽本線とは別に、広軌道の鉄道を走らせる「弾丸列車計画」が始まる。
日本の鉄道は、狭軌と呼ばれる幅の狭いレール(1435ミリ未満)が主流となっており、国鉄のレール幅も1067ミリである。
鉄道用地の取得がしやすいようにレール幅を狭くしたのである。
しかし、レールの幅が狭ければ、車両も小型化し、エンジンも小さくなるため、速度は遅くなる。
「弾丸列車計画」では、世界標準の軌道である1435ミリに合わせることになった。
この計画は鉄道省や軍部による審議を経て昭和15年に実施が決定した。
建設計画は「自足150キロ、軌間1435ミリ、車両長さ25メートル、ホーム長さ500メートル、1日に片道42本の旅客列車を走らせる」となっている。
また東京ー大阪間は4時間、東京ー下関間は9時間で結ばれるとされ、これらの数値は新幹線と非常に似ている。
鉄道省は戦前に用地の一部を既に取得しており、トンネル掘削工事の研究もされ、東山トンネルは一部の工事が着工され、それらの多くは新幹線でそのまま流用されている。