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2015年8月14日金曜日

戦前の日本には伊号潜水艦というのがあり、ドイツやバナマ運がまで出撃していた。
伊・呂・波は、基準排水量がそれぞれ1000トン以上、500トン以上、500トン未満という大きさの区分で、伊号が一番大きい。
中でも伊四百型は長さ122メートルもあり、2012年に中国の潜水艦に抜かれるまで70年近く、世界最大の通常動力型潜水艦だった。
ちなみに有名なドイツのUボートは呂号以下のサイズである。
現在は日本では川崎重工と三菱重工が1年おきに「そうりゅう型潜水艦」を造っている。
安倍総理は原発を世界に売りたがっているが、潜水艦と抱き合わせないと買ってもらえない。
ロシアがベトナムに原発を売った時は、まず最初に潜水艦を売り、抱き合わせ販売をした。
オーストラリアは軍備の更新が遅れており、12隻の潜水艦を必要とし、日本の潜水艦に関心を示している。
非核化政策を採っているオーストラリアは、原子力潜水艦しか造っていないアメリカの潜水艦を買う事ができない。
また潜水艦の輸出国は、オランダ、スウェーデン、ドイツだが、太平洋を回ることができる巨大潜水艦を建造できるのはロシアと日本だけであり、オーストラリアがロシアの潜水艦を買う訳にはいかない。
これまでの「武器輸出三原則」は見直されて「防衛装備移転三原則」に替わり、これまで事実上禁止されていた武器やその技術の輸出が一定の条件のもとで認められることになった。
日本共産党が武装闘争路線を捨て、議会を通じて平和革命をするという方針に転換したのは、1955年の第6回全国協議会(六全協)からであり、国会で多数を獲得し、いわゆる「多数者革命」を平和的にやるとして、それまでの路線を変えた。
日本の左翼には「講座派」と「労農派」の2つがある。
どちらも戦前の左派理論の二大柱であり、「講座派」は共産党系り理論を掲げた一派で、岩波書店から1930年代前半に出た『日本資本主義発達史講座』を執筆したグループが中心となったので、「講座派」と呼ばれる。
「労農派」は当時、社会民主主義者と呼ばれた人達の理論を掲げた一派で、1927年創刊の雑誌『労農』に依ったので「労農派」と呼ばれる。
同じ左翼だが、共産党が講座派で社会党左派が労農派となる。
両者の間で一番違うのは、戦前の「権力」をどうとらえるかで、打倒すべき権力の分析の仕方に対立があった。
講座派は労働者と資本家の対立構造の中で、主として資本家を打倒するが、それ以外の古い地主やその他の権力も倒すために統一戦線てせ新しい時代を作っていこうと考えた。
一方の労農派は、労働者ょ中心とした勢力で資本家を打倒していこうと考えた。
名前とは逆転現象があり、講座派は広範な統一戦線を目指し、労農派は労働者との移民が共闘するような名前だが、労働者が資本家を打倒する路線を目指している。
マルクスは、資本主義を徹底分析して、これは人間を非人間にしてしまうシステムだから、革命をやって潰すしかないと結論づけた。
レーニンは、その革命思想を取り入れ、実際に運動を組織してロシア革命を実現し、ソ連を作った。
その為、この二人の名前をくっつけて「マルクス・レーニン主義」と、一つの主義のように言われる。
しかし、二人の年齢差は50歳くらいあり、二人は直接に会ったことはなく、生きた時代も場所も異なる。
レーニンが13歳の少年だった時に、マルクスは亡くなっている。
レーニンは、具体的にロシアという国において、どうすれば革命ができるだろうかと考えた。
マルクスは資本主義を研究して、革命の前提として、どんな思想がいいだろうかと考えた。
マルクスは具体的にロシアの現状を検討して、革命について語っている訳ではない。
マルクス経済学では、搾取と収奪は異なる概念になっている。
収奪は後ろに暴力があり、強制的に何かを奪い取るのが収奪である。
これに対して搾取とは強制的に奪い取るのではなく、労働者は資本家が提示した賃金で合意の上で働いており、お互いの合意の中で搾取というものが入り、階級差ができてしまう。
マルクスは『資本論』の研究で、打も気づかなかった事に気づいた。
『資本論』には社会主義社会は素晴らしいというような事は、それほど書かれておらず、資本主義の徹底的な分析本であり、「儲け方の秘訣を教える本」として読むことができる。
竹中平蔵氏は、マルクス経済学をよく理解しているので、パソナの会長として、人間の労働から価値を生み出す所に選んでいる。
ちなみに、竹中氏は原発反対派であり、博士論文の中でも「平和の配当」ということを強く主張して、経済の軍事化はやめるべきと強調している平和主義者である。
所得の「上位1%シェア」という数字がある。
これは成人人口のうち1%にあたる高額所得者層に、総個人所得の何%が集中しているかを示す比率で、アメリカの数字を見ると1980年代半ばまで10%以下だったのが、今や20%に近づいている。
日本の数字は戦後ずっと8%前後で、バブル崩壊以後に上昇したが、現在は9%程度である。
ピケティに日本のデータを提供した一橋大学の森口千晶教授によると2012年のデータでは、日本の上位1%のポトムの年収は1270万円になる。
また「上位10%シェア」の場合、そのボトムの年収は580万円となる。
多くの日本人が、格差が拡大して何億円も稼ぐ億万長者が増えたと思っているが、日本の場合は大金持が増えている訳ではなく、高所得層の下部というか中所得層の上部が膨らんでいるのである。
フランスのエマニュエル・トッドという人口学者が、少子高齢化の構造を分析したところ、女性の識字率向上のためで、学歴が高くなればなるほど少子化が進む事が分かった。
だから「産めよ育てよ」という形の政策は、裏を返せば女性の教育水準を下げろということになり、IS(イスラム国)がなぜ女性に教育をさせないか、彼らは経験的に人口を増やすには教育が邪魔をするという事を経験的に知っているのである。
ちなみに「産めよ増やせよ」というのは、太平洋戦争が始まる1941年に閣議決定された人口政策のスローガンである。
「女性活躍担当大臣」などというキテレツなポストまで作り、安倍内閣が盛んに強調する「女性の活用」というフレーズは、極端な男性優位主義が背景にチラつく。
活用させられる対象になっている側からすると、何かを活用するというのは無礼極まりない。
近代資本主義は、近代国家と任務を分かち合って、社会が解体しないように国家による所得の再分配を行うことで、所得格差の縮小に努めて来た。
ところが、新自由主義の台頭によって、先進国の国内格差は拡大の方向で歯止めがかからなくなってきた。
たたじ、世界全体で見れば、グローバリゼーションに伴いお無゛労働に対する先進国の労働者と新興国の労働者の賃金格差は縮小している。
つまり、新自由主義以降の資本主義は、先進国の内部では格差を拡大し、世界全体では格差を縮小する動きをしている。
ピケティは、資本主義社会では大戦争以外で格差が本格的に縮まることはなく、20世紀に格差が酷くならなかったのは、2つの大戦争があったからであり、大戦争に代わる強権発動が必要と主張している。
ピケティの主張のポイントは、格差是正の方策で、現在の国家を超える「超国家」による再配分を提起している。
ピケティは、国家的もしくは超国家的な世界的規模の権力執行機関によって、大金持が国内外に持つ資産から負債を引いた上で、「資本税」を取って経済格差の拡大を抑えるべきと主張している。
しかし国家を運営する官僚に強大な権力を握らせてしまうと、かつてのソ連やマチスドイツのようになる危険があり、ピケティの世界はファシズムみたいなものになる可能性がある。
『21世紀の資本』は『資本論』とは全然違う考え方であり、むしろムッソリーニに近い強い国家による統制を目指す考え方である。
トマ・ピケティは不等式「r(不労所得)>g(勤労所得)」が資本主義の宿命であると言い、マルクスは共産主義への必然的な移行が資本主義の宿命と言った。
トマ・ピケティの『21世紀の資本』が問題にしているのは、格差や不平等である。
マルクスの『資本論』は、本来は売り物ではなかったはずの「労働力の商品化」をカギとして組立られている。
労働者は労働力を商品として売り、対価として賃金を得る。その賃金は生活費、労働者や労働力の再生産費、労働者が技術革新に対応する学習費の「3要素」で決まるとし、革命をやった人間を解放するんだと言っている。
しかしピケティは、そういう所には全く関心はなく、給与でも利潤でも貰ってくるものはとにかく全部が所得と考え、資本と資産もはっきり区別していない。
だから、ピケティの『21世紀の資本』とマルクスの『資本論』は、理論のフレームが全く違うので、同じ「資本」の本と理解して類比的に読もうとしても不毛な試みとなる。
当時18歳だったトマ・ピケティは1989年にベルリンの壁崩壊に直面して大きな衝撃を受けている。
その後1990年に初めて東欧、1991年にはモスクワに旅をしている。
トマ・ピケティが格差の研究を進めたのは、共産主義システムがデザインされた理由や人々が資本主義に対する怒りのあまり、私有財産制を廃止しようとした理由を知りたかったからである。
共産主義には幻滅したが、次はもっと上手くできるか、不平等と資本主義をコントロールするより良い手法を見つけられるかのか、という発想から、ピケティは資本主義の宿命ともいうべき格差拡大のメカニズムを『21世紀の資本』にまとめた。