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2015年11月7日土曜日

「終わりなき恐怖が続くより、恐ろしい形で終わったほうがいい」
By マルクス
アウシュビッツで生き残ったユダヤ人の話は壮絶である。
ナチス・ドイツの戦況が悪化し、最後にナチスが収容所を放棄して出ていく日に、辺りにかつてない、いい匂いが漂ったという。
見ると、肉がたっぷり入ったスープが用意してあって、それを作ってナチスは出て行ったのである。
ところが、「あいつらも最後に人間らいし心を見せた」と喜んでそれを口にしたユダヤ人は、全員死んでしまった。
青酸カリ入りだったのである。
生き残ったユダヤ人は、体が弱り切っていて、食事場まで這っていくこともできなかったから、無事だったというのである。
このように、運で逃れる修羅場もある。
修羅場に直面した場合、正面突破するのではなく、体をかわす事も大事である。
検察が起訴するのは小沢一郎でも鳩山由紀夫でも、どちらでも良かったはずである。
しかし、鳩山氏の方が上手くかわして取引した事で、刃が小沢氏に向かった。
鳩山由紀夫の「故人献金」問題は、どう言い訳しても完全なクロである。
一方の小沢一郎は、裁判で無罪になったにも関わらず、政治的に立ち直れないほどのダメージを被ってしまい、戦術を誤ったとしか言いようがない。
現在、イランはウランを20%まで濃縮することができる。
原子力の平和利用を考えているだけならば、ウラン濃縮は5%まで行えれば十分なはずである。
ウラン濃縮を90%まで進めると広島型の原爆製造が可能となる。
イランにとって、このために必要な時間は1年と見られている。
イランは核爆弾を小型化し、弾道ミサイル「シャハブ3」に搭載することが可能となり、イスラエル、東西ヨーロッパが射程圏内に入る。
ちなみに「シャハブ3」は北朝鮮の弾道ミサイル「ノドン2」のコピーを改良したものである。
過去の歴史で、「イスラム国」によく似た昨日を果たした組織がある。
1919年3月に創設された「コミンテルン」(共産主義インターナショナル=国際共産党)である。
1917年11月にロシアで社会主義革命が成功したのを受けて、ボリシェビキ(共産主義者)は世界的規模で革命を起こそうとした。
その司令塔となったのがコミンテルンで、本部はモスクワに置かれたが、ソビエト・ロシア(1922年以降はソ連)とは関係ないという建前だったこともあり、コンテルンの公用語は、ロシア語ではなくドイツ語だった。
コミンテルンは各国に支部を作り、革命運動を指導した。
日本共産党も当初は、国際共産党日本支部と名乗っていた。
ナチス・ドイツと戦う際に、コミンテルンが存在するとソ連と米英の資本主義国との同盟関係に支障を来すということで、1943年5月にコミンテルンは解散した。