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2017年3月28日火曜日

中国の南沙諸島の人工島に対して、米軍は2015年に「航行の自由」作戦を実行した。
日本はアメリカの作戦に支持は表明するものの、「集団的自衛権に基づいて、海上自衛隊のイージス艦を出す」という行動には出ずに、どこか腰が引けている印象がある。
その原因は、沖ノ鳥島にある。
日本最南端の沖ノ鳥島は、満潮時に海面から16センチくらいしか上に出ていない。
だから現在、日本政府はその周りをチタン製防護ネットで包み、周囲をコンクリートブロックで囲んで埋め立てている。
そして「岩」を「島」だと言い張って、200海里の排他的経済水域を日本領として主張している。
日本も島ではなく岩と認めているものもある。
伊豆諸島の鳥島の先にある「そうふ岩」で、標高99メートル、東西84メートル、南北56メートル。
「そうふ岩」を岩と認めて、それよりも小さい沖ノ鳥島を島だと主張する事に説得力が欠けている。
海洋法では島と岩と暗礁は区別されている。
島というのは、人が住めるところであり「自然に形成された陸地であって、見ずに囲まれ、高潮時においても水面上にあるものをいう」と定義されている。
そして島には、領海、接続水域、排他的経済水域が適用される。
岩は国連海洋法条約で「人間の居住又は独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的水域又は大陸棚を有しない」と定められている。
この規定に従えば、島と岩は「高潮時においても水面上にある」点で共通しているが、人が住めるかどうかで分かれているということになる。
そして岩の場合、12海里の領海は認められるが、排他的経済水域を持つことはできいなということになる。
さらに1日のうち30分でも1時間でも水の中に沈んでしまうものは岩ではなく暗礁になる。
暗礁は完全に公海であり、領海も排他的経済水域を持つことはできない。
これが現在の国際法のルールとなっている。
中国は1996年に国連海洋法条約を批准している。
ところが、そのルールに背いて南沙諸島で岩礁を埋め立てても人工島をつくっている。
中国が埋め立てたものを、満潮時に水面下に沈んでしまうので、暗礁になる。
そもそも領海としては認められないものである。
サウジアラビアは20年くらい前まで、国家予算と王家であるサウード家の家計の区別がついていなかった。
国家予算を立てていなかったのである。
国政選挙もないが、国が国民の生活の面倒を全部見てくれる。
汚い仕事、辛い仕事は全てイエメン人やパキスタン人にやらせて、サウジアラビア人は高級官僚になるという。
ロンドンのエスコートクラブに行くと、アラビア語表記があり、サウジアラビアのお客が多いという。
その店は「結婚あっせん所」という形態になっているという。
イスラム教では、結婚する時に必ず離婚の条件について取り決めて契約しないとならない。
だから名門の女性の親は、娘を離婚させたくない場合に、離婚の条件として支払が不可能なくらいの高い慰謝料の契約をするという。
ロンドンの「結婚あっせん所」は、聖職者が経営しており、写真をみせて「この娘は結婚時間2時間、慰謝料は3万円」という説明がある。
これを「時間結婚」という。
イスラム教では4人まで結婚できるので、金持ちは3人と結婚して、4人目は空けておいて、こういう「あっせん所」で時間結婚するという仕組みになっているという。
だから600回結婚したとかとい人が沢山いるらしい。
「人権」の反対語は、「独裁」とか「抑制」ではなく、「神権」である。
エジプトで民主的な選挙の結果、イスラム主義の組織であるムスリム同胞団に支持が集まったかを理解する上で、「人権」と「神権」の違いを押さえておく必要がある。
中世ヨーロッパでは神が全権を持っているという考え方が社会を覆っていたが、近代以降になると啓蒙思想が広まり、「人権の思想」へ転換していく。
「人権の思想」は近代ヨーロッパの勢力拡大とともに、世界中に拡散していき、その結果、人民の代表を選挙によって選出する代議制民主主義が定着していく。
人権の思想は、シスラム世界にも浸透し、トルコ、イラン、シンドネシア、パキスタンでも民主主義という形式が取り入れられている。
しかし、アラブ世界だけは人権から神権への転換が起こらなかった。
だから現在でも神権が中心であり、人間が自己統括する余地はない。
そういった状況で、民主的な選挙を導入すると、民衆は進言を否定して神権を支持するムスリム同胞団に投票してしまう。
結果、民主的な選挙を通じて、民主主義を否定する政権が誕生してしまうのである。
EUの最大の目的は、ナショナリズムの抑制である。
二度の世界大戦を経て、よーろっは゜はあまりにも大きすぎる犠牲者を出してしまった。
第一次世界大戦で1600万人、第二次世界大戦で5500万人の死者が発生し、さらにスターリン体制の下で殺害されたり、餓死させられたいした2000万人を加えるとと、1914年から1944年までの31年間に9100万人が命を落としている。
EUとは「二度と戦争だけはしたくない」という独仏同盟を中心とする西ヨーロッパの帝国と考えねばならない。
EUにはナショナリズムや民族を超えた価値観として、ラテン語で「コルプス・クリスティアヌム」という概念がある。
「コルプス・クリスティアヌム」とは、ユダヤ・キリスト教の一神教の伝統である「ヘブライズム」、ギリシャ古典哲学の伝統である「ヘレニズム」、ローマ帝国のラテン法の伝統である「ラティニズム」という3つの要素から構成された総合体のことである。
日本語に訳すと「キリスト教共同体」となる。
この体系は中世に確立し、近代になって世俗化していくが、今なおヨーロッパ的な価値観の根底をなしている。
EUもこの3つの方かんによって結び付けられる文化の総合体なのである。
文明はコピーできるが、文化には制約性があり、同じ文化的価値を共有する者は包摂し、そうでない者には門戸を閉ざす。
これはEUの広がりを見るとよく分かる。
EUがロシアやウクライナに延びないのは、「コルプス・クリスティアヌム」がカトリック・プロテスタント文化圏のものであり、正教文化圏を含みにくいからである。
また、トルコがEU加盟を希望してもなかなか入れないのは、イスラム文化圏を含みにくいからである。
ドイツは輸出大国であり、GDPに占める輸出の割合は4割近い。
ちなみに、日本は1割台の前半しかない。
従ってドイツ経済の特徴は、内需が弱い点である。
よって、EUという帝国内で覇権を握っているドイツにとって、EU内の自由貿易体制を維持することが富を蓄積する最善の手段となる。
EUでは南部の国々が財政危機に見舞われているのに対して、北欧側は相対的に経済力が強いという非対称性がある。
この違いを読み解く鍵は宗教にある。
南部にはローマ・カトリック国、北部にプロテスタント国が多い。
北部ヨーロッパの強い経済の鍵になるのは、プロテスタントのカルヴァン派・改革派である。
彼らの信仰心の根底には、生まれる前から神に選ばれているという選民思想がある。
天国に神のノートがあり、そこに自分の名前が書かれている。
従って、カルヴァン派の信者は、「自分達はこの世での成功が保証されている。一見失敗したようであっても、それは神の試練であり、それに耐えれば必ず成功する。世の中のため人のために努力すれば神は喜ぶ。自分の人生は神を喜ばすためにある」という教えを信じている。
そこに生じる禁欲的な職業倫理が強い経済に結びつくのである。
一方で、カトリック国で資本主義が生まれなかったのは、天国における来世を重視するカトリシズムと関係がある。
この世はたかだか80年だが、あの世は永遠である。
だからカトリックの人々は自分がこの世に貢献するよりも、天国に行けるよう教会に寄付しようとするので、資本は社会を循環しない。
お金は教会にたまり、教会インフラという形で富を蓄積する。
ギリシャ危機の本質を理解するためには、ギリシャの近現代史を学ぶ必要がある。
古代ギリシャの滅亡以降、ギリシャの地は、マケドニア、ローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン・トルコの順番で支配され続けた。
つまり、「ギリシャ」という国は、その間ずっと存在していなかったのである。
ギリシャという国家は、1822年のギリシャ独立戦争が発端となって誕生する。
オスマン・トルコの支配下にあったギリシャが独立を求めて蜂起してが、独立戦争の陰の主役はイギリスとロシアであり、ギリシャは19世紀に恣意的に作られた国家なのである。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、イギリスとロシアは中央アジアの覇権をめぐって対立しており、その中でオスマン帝国をいかに解体していくか、という戦略の一環としてギリシャが作られた。
独立運動の中心となったのは、当時、ロシア領の黒海沿岸にすんでいたギリシャ人で、一方、オスマン帝国のギリシャに相当する地域に住んでいた人々は、帝国内のキリスト教の共同体に入っていたため、「ギリシャ人」というよりも「オスマン帝国のギリシャ正教徒」というアイデンティが強かった。
こうして1829年に独立したことから、現代のギリシャが始まる。
国王にはドイツのバイエルンの王子オットーを迎えたが、あまりにも専制的だったため1862年に革命が起きて追放される。
その代わりに迎えられたのが、デンマークの王子だった。
このようにギリシャは列強の介入によって作られた人工国家だから、誰を国王にするかも列強の意のままだった。
ギリシャが人工国家であることを示す出来事として、1923年にギリシャとトルコ間の住民交換がある。
1829年の独立から第一次世界大戦後まで、ギリシャとトルコは度々戦争をするが、オスマン・トルコが解体し1923年にトルコ共和国が誕生し、両国が戦争を終結した際の条約により、アナトリアにいた正教徒をギリシャに移し、ギリシャにいたムスリムをアナトリアに移すという住民交換を強制的に行っている。
第二次世界大戦でドイツに占領された際に、ギリシャでは、共産主義者と自由主義者による2つのドイツ抵抗運動が起こる。
この両者は手を組むことはなく、対立を深めていき、1944年に進駐軍によってドイツ支配から解放された後、ユーゴスラビア、ブルガリア、アルバニアと同様にギリシャ国内でも内戦が始まる。
そこで、スターリンとチャーチルの会談により、秘密協定が結ばれユーゴスラビアとアルバニア、ブルガリアはソ連の勢力圏とし、ギリシャは欧米の勢力圏と決められた。
問題は欧米の支援の仕方で、工業が発展した工場労働者が増えると共産党による組織化がされる恐れがあり、ギリシャの産業化を支援しなかったことである。
そのため、農業と観光だけの国にし、NATOの基地を置き、金銭的援助によって経済が成り立つようにしてしまった。
西側欧米諸国の戦略によって、ギリシャ経済には基幹産業がないので慢性的な財政赤字の構造となり、債務危機に陥るのは当然なのである。
戦後の非ナチス化政策は、西ドイツと東ドイツでは対応が異なった。
ドイツ民主共和国(東ドイツ)の日常について描いた『私は東ドイツに生まれた』によると、東ドイツは1949年の建国の時点で、約1900万人の人口がいて、複数政党制をとっていた。
その政党の中に、かつてナチ党員だった人々のために設立された「ドイツ国民民主党」という政党があり、党員数は800万人にのぼったという。
東ドイツでは「旧ナチス」というだけで戦犯にすると、国家の運営ができない状態だった。
そこでソビエト軍事政府は、ナチ党に所属していただけで戦争犯罪には手を染めなかった党員に社会復帰への道を開き、市民権や政治的権利を回復し、1948年には非ナチス化終了を正式に宣言した。
つまり。旧ナチス党員の技術官僚を中心に寛容な政策をとった事で、東ドイツではナチズムが完全に解体されない状態が生じてしまった。
現在、旧東ドイツ地区でネオナチの活動が盛んなのも、東ドイツにおける脱ナチス化の不完全さによるところがある。
イギリス、アメリカ両国が孤立主義を選択できるのは、どちらも「海洋国家」だからである。
地政学では、国家を大きく「ランドパワー(大陸勢力)」と「シーパワー(海洋勢力)」に分けて考える。
ランドパワーは、大陸にあって複数の国と国境を接している国家で、その勢力は陸軍が中心となる。
これに対して、シーパワーは海に取り囲まれた島国で、主力は海軍となる。
ちなみにアメリカも主力は海軍である。
地政学の分野で、海洋国家の特徴を論じた古典に、アメリカの海軍士官アルフレッド・T・マハンの『マハン海上権力史論』がある。
1890年に発表された同書は、過去の海洋戦略を詳細に解説しながら、アメリカが海洋覇権を握るために必要な戦略を考察するものである。
海洋国家は海を通じて、どこまでも行くことができ、逆に行かないという選択肢も手に入れられる。
つまり、海洋国家は大陸にかかわるかどうかの選択肢を持つことができる。
イギリスとアメリカは、必要が無いと判断した場合は、「孤立主義」という選択肢を選ぶことできるのである。
イギリスの正式国名が「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」であることから明らかなように、イギリスの国名には民族を示唆する言葉は一つもない。
近代になって、他の諸国が「一民族=一国家」の原則で国民国家化する時期にも、イギリスは前近代的な帝国を維持してきた。
しかし、今回のEU離脱をめぐり、スコットランドだけでなく、アイルランド、ウェールズの民族意識が活性化する可能性があり、連合王国の解体につながりかねないリスクを抱えている。
イギリスはEU離脱を選択することで、国内政治にこれまでにない分断をもたらしてしまった。
これはトランプ現象とも共通する。
イギリスもアメリカも秩序を安定させるために孤立主義を選んだが、結果的に国内の分断を深め、秩序をさらに不安定化させるリスクを生んでいる。
アメリカ的な民主主義の基本は、「白人の民主主義」だということである。
この点を家族の相続システムから明らかにしたのが、フランスの人類学者エマニュエル・トッドである。
トッドが提唱する「家族システム」とは、父子の間の関係と、兄弟姉妹間の相続関係によって世界を8つのタイプの家族型に分類し、それぞれの家族タイプのあり方が中心的なイデオロギーを規定するという理論である。
宗族システムが異なると、デモクラシーの理想型も異なってくる、つまりデモクラシーは単一の概念ではないということである。
例えば、地中海のヨーロッパ側、スペイン中央部のカスティリア地方やパリ盆地では、男女の別なく厳密な平等相続だったので、ここから「平等」を最も重要な価値とするデモクラシーの概念が生まれてくる。
パリ盆地型デモクラシーでは、平等の理念が絶対的価値をもっており、それが社会的平等に留まらず、経済的平等をも要求することになり、フランスでは社会主義と革命が蔓延することになったという。
それに対して、イギリス、ドイツ、日本では、伝統的に特定の一人が全遺産を相続する。
イギリスの場合、遺言が相続において重要な位置を占め、長男や長女といった生まれた順序、性別にかかわりなく、指名された人間が全ての財産を相続する。
ドイツ、日本は長子相続型である。
このように特定の一人が財産を総取りでそうぞくする場合、相続できなかった子供に対して救済する弱者改善措置が作用する。
ここから、社会的不平等が存在することを前提に、それを社会システムで解消することを第一とする、社会民主主義タイプのデモクラシーが生まれてくることになる。
アメリカの経済はGDPベースで見るならば決して悪いわけではないが、階級は固定化し、「格差」という言葉ではもはやカバーできない「絶対的貧困」と言うべき状況が確立している。
上位1%の所得シェアは、1980年では10%だったのが、2008年には21%に増加している。
これは大恐慌前の1920年代のアメリカと同じレベルである。
さらにエリート層の世襲化も進行している。
格差が固定化すると、新自由主義のもとでは、カネがなければ、よい教育を受けることも、貧困から這い上がることもできない。