戦後の非ナチス化政策は、西ドイツと東ドイツでは対応が異なった。
ドイツ民主共和国(東ドイツ)の日常について描いた『私は東ドイツに生まれた』によると、東ドイツは1949年の建国の時点で、約1900万人の人口がいて、複数政党制をとっていた。
その政党の中に、かつてナチ党員だった人々のために設立された「ドイツ国民民主党」という政党があり、党員数は800万人にのぼったという。
東ドイツでは「旧ナチス」というだけで戦犯にすると、国家の運営ができない状態だった。
そこでソビエト軍事政府は、ナチ党に所属していただけで戦争犯罪には手を染めなかった党員に社会復帰への道を開き、市民権や政治的権利を回復し、1948年には非ナチス化終了を正式に宣言した。
そこでソビエト軍事政府は、ナチ党に所属していただけで戦争犯罪には手を染めなかった党員に社会復帰への道を開き、市民権や政治的権利を回復し、1948年には非ナチス化終了を正式に宣言した。
つまり。旧ナチス党員の技術官僚を中心に寛容な政策をとった事で、東ドイツではナチズムが完全に解体されない状態が生じてしまった。
現在、旧東ドイツ地区でネオナチの活動が盛んなのも、東ドイツにおける脱ナチス化の不完全さによるところがある。
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