満州出身者の影響は、ずっと日本を覆い続けている。
民放ができた初期のころ、外地から帰った人材が、どんどん地方の民放や地方新聞に入っていった。
民放ができた初期のころ、外地から帰った人材が、どんどん地方の民放や地方新聞に入っていった。
新幹線の流線形も、南満州鉄道の特急あじあ号にそっくりである。
のぞみ号もひかり号も、釜山からソウル・平壌を通って新京に行く急行列車の名前である。
のぞみ号もひかり号も、釜山からソウル・平壌を通って新京に行く急行列車の名前である。
ちなみに、当時は、東京駅で瀋陽とか新京と言って、切符が買えた。
当時の満鉄の車両は、ドイツ製の冷房を備えている豪華列車で、その時に満鉄にいた十河信二(そごう しんじ)が、終戦後に国鉄の総裁となり、新幹線を構想したという説もある。
満州は不思議な領域で、国籍を作らなかった。
だから満州国という国籍はなく、日本人は日本国籍だった。
だから満州国という国籍はなく、日本人は日本国籍だった。