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2015年12月21日月曜日

クジラ資源の急減を受けて、捕鯨の国際協調を図るために1948年に発足したのがIWCである。
このIWCは、国連とは無関係な捕鯨に関しての基幹的な存在である。
各国がIWCの管理者であるアメリカに任意で加盟を通告し、国際捕鯨取締条約に加入するだけで、捕鯨に関わる国かどうかは資格に問われない。
実際に参加国の中には、モンゴル、スイス、チェコ、ハンガリーといった内陸国家も入っている。
また、国内に伝統的捕鯨文化の先住民族イヌイットを抱えるカナダや、北極圏の捕鯨拠点として栄えたアイスランドは、IWCから脱退(アイスランドは復帰)するなど、必ずしも捕鯨国が参加している訳でもない。
しかも、この状況には日本が一役を担ってしまった経緯もある。
IWCで捕鯨継続に賛成する国を増やすために、捕鯨に直接関係ない国を開発援助を背景に賛成核としてIWC加盟に勧誘したという事情もあった。
しかし、現在では援助が終了したこともあり、旧援助国の中には捕鯨反対に回ってしまってた国もある。
40才以上の世代には、日本の貨幣は708年の「和同開珎」から始まると社会科の授業で教えられてきたが、現在の社会の教科書では日本最初の銭貨は天皇の権威を象徴するために導入された「富本銭」と教えられている。
683年以前に鋳造されたと考えられる「富本銭」の存在は、歴史研究では実はかなり早くから指摘されていたが、遺物が大量に発見されて教科書に反映され始めたのは今世紀に入る頃だった。
この「富本銭」を鋳造した時代の日本政府は、その時期に画期的な発展をみせていたヤマト政権だった。
ヤマト政権の首長である天皇は大王(おおきみ)と称されていて、いつ頃から天皇の呼ばれ始めたのか、歴史学の中でも定かではないが、その可能性かせ高いと考えられるのが富本銭の鋳造期にあたる天武天皇時代である。
672年に壬申の乱という皇位継承抗争に勝利して、実力で権力を強大化させ、中国の思想に倣って「天命を受けて地上を統治する皇帝」を意味する「天皇」を称したと考えられている。
これは、それまでの「諸王の中心的人物」ほ表す「大王」とは隔絶した権威を持つ称号であり、その称号にふさわしい事業こそが、中国の皇帝を模倣した銭貨の鋳造だったのである。
南米アンデス原産のタバコが世界に広まったのは、大航海時代のコロンブスによるアメリカ大陸到達が切っ掛けだった。
先住民のアステカ王国などで、一種の鎮痛剤として呪術、医療的に用いられていたタバコを、スペイン人が持ち帰った。
薬草を意味する「tabaq」という言葉が名称の由来になったと言われている。
タバコの葉に含まれるニコチンは精神安定に寄与するが、常習性を伴い、ニコチンが欠乏すると禁断症状で逆に精神不安定になる事に気づいたスペインは、ヨーロッパ中に喫煙習慣を植え付け、植民地南米におけるタバコ栽培で大儲けをした。
その後、北米を植民地として獲得したイギリスがタバコを専売制に成功し、自国民や植民地の喫煙家から富を巻き上げる政策を確立し、ヨーロッパ列強もこの政策を導入した。
大航海時代にキリスト教布教の宣教師によって、日本にも戦国時代にタバコがもたらされた。
そして江戸時代には、鎖国政策で貿易制限された事もあり、タバコは国産化され商品作物として農家の現金収入源となり、各地の大名によって専売制が敷かれていた。
木綿は身近なものなので一番古くから衣類に使われているような先入観を持ってしまうが、実は木綿は衣類の天然素材としては、最も新しい部類に属する。
弥生時代、平安時代、鎌倉時代にも日本には木綿はなかったので、当時は麻や絹といった別の素材の衣類を着ていたのである。
木綿が伝わる以前は、「綿」という言葉は、生糸にならなかったクズ繭をほぐした真綿だった。
真綿は蚕から生まれる動物性の繊維で、木綿とは全く別系統のものになる。
植物の木綿は元々は中米を原産地としてい、アジアのインダス文明やインド近辺では8世紀に栽培がおこなわれるようになった。
交易により綿布もヨーロッパに伝わったが、植物としての木綿そのものの知識がヨーロッパ全土に広がったのは14世紀の中世くらいだった。
綿花がイメージできないヨーロッパの人々は「小さな羊が実る木」を創造したと言われている。
木綿栽培が中国に伝わったのが10世紀、朝鮮半島には14世紀に伝わり、日本には15世紀以降の日朝貿易でもたらされた。
当時の木綿の用途は甲冑の下に着用する兵衣が挙げられ、吸水性と通気性、肌触りに優れる木綿は最適だった。
次にトートバックの素材として知られる船の帆布で、木綿には縮んで布の目が詰まるという特徴を強みにして、風を通しにくい帆を実現できた。
それまでは藁で編んだムシロや麻布が利用されていたが、目が粗いため風が抜けてしまい、推進力を得にくかった。
戦国時代になると木綿の用途が増えていくのに対して、大陸との貿易が衰退し、木綿の輸入が減少しいてき、日本でも木綿の栽培が始まることとなった。