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2018年7月26日木曜日

霞ヶ関では、予算を獲得、消化する事が一義的であり、予算を残して利益として残すという発想は存在しない。
年度内に消化しなかった予算は、国庫に変換する事になるからである。
国富論の第5篇第3章では、「国債が累積した国は、貨幣の金銀の品位を落とすなどの詐欺的行為で、借金を踏み倒す」と述べられている。
現代のにおいて、国債が累積した国は、経済成長とインフレによって切り抜けるしかない。
しかし経済成長とインフレでは追いつかない程の国債を発行している国でよく採られるのが、通貨レートの切り下げである。
ドル円は、40年前までは1ドル360円だったが、アメリカの度重なるドル切り下げにより、現在は110円で取引されている。
ドルの対日本円の価値は、この40年で3分の1に下がっている。
つまり、米国債を買ってきた日本政府はこれで大損しているのである。
アベノミクスの円安容認政策は、通貨の切り下げ政策ともいえる。
現在の日本の不動産に関する税制は、富国論の提言に真っ向から反対する理屈で、固定資産税は用いられている。
日本の固定資産税は、住宅に関しては通常の6分の1になる減免制度がある。
これは貸家や賃貸アパートにも適用されており、その理由は「もし固定資産税を普通に課せば、その分が家賃に反映されてしまう」という理屈となっている。
しかし、アダム・スミスによれば、家賃税を課しても、それは建物の所有者の利潤が減るだけであり、家賃には反映されないはずなのである。
実際に、日本でも戦後の一時期、固定資産税を非常に高くしていた時期があった。
その時は不動産業者の多くが廃業し、貸家による儲けが減ったため、家の価格が非常に下がり、持ち家率が上昇している。
つまり、それなりの固定資産税を課すことは、家賃を上げることにはならず、貧富の差を解消する方向に向かうということが過去のデータからも分かっている。
それに関わらず、現在の日本の住宅固定資産税には大きな割引制度が設けられ、先進国の中では非常に低い税率となっている。
富国論では、導入すべき公平な税として「家賃税」が挙げられている。
これは家賃収入に対して一定の割合で課される税金のことである。
当時のイギリスでは、都心部の多くの土地を一部の貴族が所有しており、金持ちの多くが借家に住んでいた。
国富論発刊から100年後の1872年時点でも、イングランドとウェールズでは国土の7割を僅か1万数千世帯が所有していた。
イギリスの土地所有は、相続税が創設される1949年まで、そのような状態だった。
国富論では、生産性を上げることが国を豊かにする鍵だとし、生産性を上げるために国民の質を高めるのが最大の要素となると述べられている。
国富論は、いかに優秀な国民を育てるかということが、サブテーマといえるほど重視して書かれており、教育の重要性が繰り返し述べられている。
日本が明治維新以降に急成長できたのも教育制度を整えたからだといえる。
明治新政府は、わずか数年で義務教育制度を整え、明治中期には大半の子供が教育を受けることができた。
日露戦争当時、日本はロシアよりも遥かに識字率が高かった。
国富論の第4篇第3章で、貿易収支は二国間だけの収支でかんがえるべきではないと述べられている。
二国間の貿易収支の悪化を理由に、相手国からの輸入を制限することの不合理さを説いている。
「フランスからの輸入が多すぎるからと言って、フランス産のぶどう酒やフランス産の繊維製品の輸入を制限すると、質が悪く高額なポルトガル産のぶどう酒や繊維製品を輸入する羽目になりかねない」
「それはイギリスの国全体で、質がわねく安いものやめ、質が悪く高いものを買うということになる」
と具体的に述べられている。
現在の米国の中国への関税制裁は、1776年に国富論で否定されている対応なのである。
アダム・スミスと同じく、ケインズも後年、イギリスの植民地からの撤退を提言している。
イギリスと植民地の財政状況、貿易状況を分析し、植民地は異議留守本国の経済を疲弊させていると、植民地政策に反対している。
自由な経済活動を推奨したアダム・スミスと、不景気時には国の財政出動によって需要を作るべきというケインズは、正反対のような見方をされる。
しかし、両者とも国や国民を富ますためにどうすべきかを目的に掲げ、当時の経済商況を詳細に分析して方策を探りだしたという点で共通している。
時代が違ったため違う方策が導きだされたに過ぎなかった。
国富論の時代は工業化が進んでおらず、不景気による大量失業という現象は無かったので、ケインズのように「失業」はあまり重要ではなかった。
ちなみに、ケインズはアダム・スミスのことを敬愛しており、偶然にも誕生日が同じだったことを生涯誇りにしていたという。
アダム・スミスは1723年6月5日生まれ、ケインズは丁度160年後の1883年6月5日生まれだった。
国富論が出版された1776年は、アメリカ独立戦争の真っただ中だった。
当時、イギリスのアメリカ植民地ではイギリスの税金が課されていなかったにも関わらず、フランスの植民地と接していたので、小競り合いが絶えず、膨大な経費を使ってイギリスはアメリカの植民地を防衛していた。
アメリカの植民地にはイギリス議会の議員は配分されていなかったので、「代表なくして課税なし」という理屈で、アメリカの住民は課税を拒否していた。
そこで、イギリスはお茶を専売品とすることで、間接税を課そうとしたところ、アメリカの住民はそれを拒否し、フランスの支援を仰いで自靴戦争に踏み切った。
アダム・スミスは、この結末を見越したかのように、植民地からの撤退を提言していた。
国富論が発行されたのは、アメリカ独立戦争終結の7年も前だった。
「植民地を合併させる」というと支配を強めるといったネガティブなイメージが持たれがちだが、本質的には「その地域を自国と同じように扱う」ということである。
植民地とは「支配と搾取はするが統治に責任は持たない状態」であり、合併は「現地の人々の権利や安全を保障する」というとになる。
現在の日本では、戦前の朝鮮が日本の植民地たったと言われることがあるが、合併状態であり、日本人と朝鮮人は同様の権利を持っていた。
朝鮮人にも日本人と同様に参政権があり、昭和7年には朴春琴(パクュングム)氏が、東京4区(深川)から民族名のまま立候補し、当選している。
昭和20年には朝鮮半島にも衆議院の議席が22議席与えられている。(終戦により、この制度での選挙は一度も実施されなかった)
戦時中の朝鮮の就学率は6割に達しており、欧米の植民地と比べると驚異的に高かった。
イギリスの植民地だったインドでは、1947年の独立時には就学率は3~5%しかなく、当時のインド人にとってイギリス議会の参政権など想像もできない状態だった。
もちろん、日韓併合は朝鮮人が望んだものではなく、戦前も様々な差別はあったので、合併にも問題点があることは指摘されている。
アダム・スミスは、国富論の中で「植民地今のままにしておくべきではない。正式に合兵して本国と同じような責任を持った統治をしたうえで税を徴収せよ。それができないのであれば、潔く手を引け」と提言している。
アダム・スミスは、当時繁栄し始めていた来たアメリカについて、イギリス政府が建設したのではなく、イギリスでの迫害に耐えかねた清教徒やカトリック教徒が作ったのだと述べている。
アメリカに自由が与えられたは、当時の北アメリカが植民地して、それほど重要ではなかったからである。
18世紀までのアメリカは、金銀の鉱山があった南米、貴重な香料が採れた東アジアに比べて重要ではなかった。
アメリカでゴールドラッシュが起きたり、巨大な油田が発見されたのは、独立以降のことである。
もし来たアメリカで、早くから資源が発見されていれば、経済的な自由は与えられず、イギリス政府肝いりの独占貿易会社によって他の植民地と同様に支配されていたかもしれない。
イギリスは、他国への侵攻や植民地など非人道的な事を多々行ているが、自国民の自由や人権の保障につしては、間違いなく世界で最も早く制度を整えたといえる。
1215年にはマグナ・カルタにより「国王が勝手に課税できないこと」「国民は法か裁判によらなければ生命や財産を侵されないこと」「事業や交易の自由」などが完全ではないが認められている。
これはフランス革命に先立つこと約600年となる。
そして1628年の「権利の請願」、1688年の「名誉革命」を経て、国富論の時代には、国民の自由や人権の保障は、ほぼ現代に近い形で認めらていた。
それが、イギリスの経済的な成功の一番大きな理由であるとアダム・スミスは述べている。
つまり、自由や人権の大切さを経済的な面から解き明かしたのである。
国富論では、全編を通うじて、自由や人権の大切さか訴えられており、思想書でもある。
国富論で有名なフレーズである「神の見えざる手」と言う文書は、第4篇の第2章にあり、中盤にならないと出てこない。
つまり、本人はそれほど重要な言葉だと思って書いた訳ではないのである。
「個人が利益を追求することが即ち社会の利益にもつながる」
といったこの文章だけを読めば、「自分の利益を追求することが社会にとって一番いい」と解釈し、強欲的資本主義者の免罪符として用いられてしまった。
しかし、この文書が入っている第4篇第2章は、「独占貿易」「輸入規制」への批判がテーマとなっている。
この章で、アダム・スミスは、イギリス政府がやっている独占貿易と輸入規制を廃し、自由取引をしたほうが結果的に国のためになるという主旨で書かれており、その表現の一つとして、「神の見えざる手に導かれて」という言葉を使っている。
あまくまでも、政府が行っている独占と輸入規制を辞めさせるための論法の一つだったのである。
国富論の全編を通して読めば、「神の見えざる手」というのは、「人はただ自分の利益追求だけを考えればいい」という主旨でない事は明らかである。
国富論では「資本家は労働者よりも強い立場なのて、賃金の決定にも大きな力を持っている。しかし、資本家は労働者が家族を養えるだけの賃金は必ず払わなくてはならない。それは妻と子供2人を育てるだけの賃金である」と述べられている。
また「家の仕事がある妻は働き手として換算してはならない。そして、子供4人分程度(当時はイギリスに限らず子供の死亡率が高かった)の生活費は必要かもしれない」ともつなげている。
アダム・スミスの推奨する「自由な経済活動」というのは、最低限度のモラルが当然守られるという事を前提としている。
アダム・スミスの『国富論』の約100年後に、カール・マルクスの『資本論』が刊行される。
経済学を代表するこの2つは、お互いに正反対にあるかのように位置づけられることが多い。
しかし、アダム・スミスも、マルクスよりも100年早く、労働者は資本家よりも弱い立場にあることを明確に認識していた。
そして、資本家と労働者の決定的な対立を防ぐ方法として、労働者の生活費の保証を資本家に求めた。
この解決方法として、マルクスは「経済を全て共産主義政府の管理下に置く」という方法を主張し、アダム・スミスは「モラルのある経営」を求めた。
また、国富論では「政府が経済に関与することの害悪」も大きなテーマの一つとなっており、みかたによっては共産主義の破綻を見越していたともいえる。
国富論というと、「神の見えざる手」という言葉ばかりが独り歩きする。
この「神の見えざる手」という言葉は、「経済活動は全て自由にすれば、自然に調和が保てる」という意味で使用されがちであり、近年の強欲的な資本主義を肯定する言葉として使われている。
しかし、「神の見えざる手」という文言は、国富論の中の一部に出てくるだけで、国を豊かにする基本原則としては、「生産性の向上」と「適切な配分」が必要であり、その手段の一つして「自由な経済活動」を挙げているに過ぎない。
国富論では、経営者が労働者に払わねはならない賃金基準についても言及している。
また、それぞれの階層の人が公平だと感じる「適切な交換」とは何かを具体的に追究し、しかも、それは人として当然のモラルを守るということが前提とされている。
国富論では、2つのことがテーマとなっている。
1つは「生産性を上げるにはどうすればいいか」。
2つ目は「生産物がどうやったら上手く分配できるか」である。
そのため、国富論の冒頭では、「我々が原始人よりも遥かに豊かな生活を送れているのは、生産性の向上と適切な分配のお陰である」と述べられている。
「交換」は「技術革新」と同様に、人類の発展に欠かせなかった。
『国富論』の正式名称は「An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations」である。
直訳すると「国富の性質と原因の調査」となる。
国富論では全編に共通して「国民全体が豊かにならければ、国は豊かにはならない」といる原理原則がある。
これは理論というよりも、「最低限の常識」「当たり前の前提条件」として扱わている。
そして、国富論では「国民全体を豊かにするにはどうすればよいか」という主旨で書かれている。
アダム・スミスは経済を自由にすべきと述べている一方で、「課税負担は富裕層に多くなるのが自然である」とハッキリと明示している。
アダム・スミスは、1759年に商業的にも成功を収めた『道徳感情論』を出版している。
この道徳感情論は、人の感情が社会に及ぼす影響を分析した心理学の原型ともいえる内容である。
「共感や憐憫の情が安定した社会を作るための大事なスキームである」という考え方と、17年後に出版した『国富論』では「個人的利益を追求すれば社会は幸福になる」という考え方は、一対であり両方の大切さを訴えている。
『国富論』は『道徳感情論』よりも更に成功を収めたため、アダム・スミスの代名詞が『国富論』となってしまい、「個人的利益を追求すれば社会は幸福になる」だけが、拡大解釈されることになってしまった。
不動産投資で30年のローン返済がある場合、金利が高いスルガ銀行では最初の10年、他行では最初の15年の返済期間が経過すれば、銀行としては融資全体で得られる利息の半分近くの回収ができていることになる。
1億円の借入がある人が、20年返済して残債が4000万円まで減り、そのタイミングで破綻した場合、物件は任意売却となる。
例えば、この場合に、銀行が融資期間30年で1億円を融資し、全期間の合計利息が6000万円だったとすると、返済期間が20年経過すると全体の利息6000万円のうち、5500万円近くの利息を回収しており、ほぼ儲けを得ていることになる。
だから4000万円の抵当が残っていて、仮に物件が3000万円で任意売却となり1000万円の不良債権が出たとしても、それまでに回収した金利分と相殺して全体でプラスになっている。