日本政府が国歌を最初に必要としたのは、明治維新後の1869年 (明治2年)だった。
英国王子が来日した際に、欧州の儀式では両国の国歌を演奏する事 を知った新政府が慌てて作ったのが「君が代」だった。
儀式の為に間に合わせの曲だったので、「君が代」には建国の精神 を歌う要素は薄く、歌詞も空疎で、曲も大げさなだけの実用音楽だ った。
英国国歌が王を讃える歌詞なので、それにならったのかもしれない 。
もし、新政府設立後に最初に来日したのが、英国王子ではなく、フ ランス政府の高官だったら、維新政府らしい革命歌になっていたか もしれない。
ちなみに、この時の曲は歌いにくく、1880年(明治13年)に 改作されたものが、今の「君が代」となった。
その後、明治政府は「君が代」は近代国家の国歌としては適切でな いと、1882年に、今の東京藝術大学音楽部に当たる音楽取調掛 に対して、国歌を選定するよう指示している。
この時に、改めて国歌を制定していれば、「君が代」は国歌でなく なっていたかもしれない。
音楽取調掛が無能だったおかげで、新たな国歌は作られなかった。
英国王子が来日した際に、欧州の儀式では両国の国歌を演奏する事
儀式の為に間に合わせの曲だったので、「君が代」には建国の精神
英国国歌が王を讃える歌詞なので、それにならったのかもしれない
もし、新政府設立後に最初に来日したのが、英国王子ではなく、フ
ちなみに、この時の曲は歌いにくく、1880年(明治13年)に
その後、明治政府は「君が代」は近代国家の国歌としては適切でな
この時に、改めて国歌を制定していれば、「君が代」は国歌でなく
音楽取調掛が無能だったおかげで、新たな国歌は作られなかった。