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2013年11月26日火曜日

日本政府が国歌を最初に必要としたのは、明治維新後の1869年(明治2年)だった。

英国王子が来日した際に、欧州の儀式では両国の国歌を演奏する事を知った新政府が慌てて作ったのが「君が代」だった。
儀式の為に間に合わせの曲だったので、「君が代」には建国の精神を歌う要素は薄く、歌詞も空疎で、曲も大げさなだけの実用音楽だった。
英国国歌が王を讃える歌詞なので、それにならったのかもしれない
もし、新政府設立後に最初に来日したのが、英国王子ではなく、フランス政府の高官だったら、維新政府らしい革命歌になっていたかもしれない。

ちなみに、この時の曲は歌いにくく、1880年(明治13年)に改作されたものが、今の「君が代」となった。

その後、明治政府は「君が代」は近代国家の国歌としては適切でないと、1882年に、今の東京藝術大学音楽部に当たる音楽取調掛に対して、国歌を選定するよう指示している。

この時に、改めて国歌を制定していれば、「君が代」は国歌でなくなっていたかもしれない。
音楽取調掛が無能だったおかげで、新たな国歌は作られなかった。