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2018年2月9日金曜日

「矛盾」というと、中国の古典に出てくる話を思い出すが、あの矛盾は西洋の論理学でいう「矛盾」にはあたらない。
矛盾という話は、町で矛を売っている人が「どんな盾でも突き抜ける矛」と言いつつ、同じ人が「どんな矛からも守ることがでかる盾』と言って両方を売っている。
ではこの矛でこの盾を突いたらどうなるかという内容で、話はそこで終わっている。
しかし、突いてみたら結局どちも破られないという結果が存在する。
つまり、どちらも壊れなければ、盾の方が強いということで、盾の売り文句が正しかったことにな。
ということは、これは矛盾ではなく西洋哲学でいう対立となる。
対立というのは両方をぶつけ合わせること、一方が他方を飲み込むことで解決できるのである。
矛盾というのは、構造を転換することによって容易に解決できるが、対立というのは、どちらかがどちらかを飲み込む形でしか解決できない。
論理の中で重要なのはトートロジー、つまり同語反復であり、これは論理的に絶対に崩れない。
イラクのサマワへの自衛隊派遣をめぐり、戦闘地域について小泉純一郎総理の説明は、まさしくトートロジーだった。
非戦闘地域について定義をしてくれと言うと「自衛隊が派遣されている地域が非戦闘地域です」と答え、では自衛隊はどきに派遣できるのですかと言うと「それは非戦闘地域です」と、この議論を約半年繰り返した。
小泉そりの論理の強さは何かというと、同語反復である。
だから強いし崩れないが、しかし自衛隊の派兵基準に関する情報は、その中には何もない。
論理学を学ぶテキストとして、東京大学の矢野茂樹著『論理学』(東京大学出版会)は、お薦めである。
この本は東京大学の教養学部、専門課程で論理学を学ぶための教科書である。
本当に論理学を身に着けたいのであれば、この本を本格的に勉強するのが最もよい。
しかし、野矢先生がある私立大学で、この『論理学』をテキストを使って授業をやったところ、みんな寝てしまった事があった。
そこで、論理式を全て外して、日常言語だけで授業をしたところ人気授業となり、その時の講義をもとに改めて作ったのが『論理トレーニング』だった。
これには練習問題の解答編が無かったので、その後『新版 論理トレーニング』にして丁寧に解答が書かれた。
キリスト教はもともとユダヤ教を母体に生まれている。
イエス自身は自分のことをキリスト教徒とは思っておらず、自分をユダヤ教の改革者と思っていた。
イエスが「まむしのからよ」と悪口を言っているパリサイ派という人たちがいるが、客観的にみると、イエスはパリサイ派である。
パリサイ派は職人が多かったが、イエスは大工だった。
そして、イエスの言説、立法観もパリサイ派と共有の認識をしており、国家との緊張関係もパリサイ派に特有なものである。
一神教というのは基本期には自分と神様との関係が重要なので、自分以外には無関心、他の人が何を信じているかということについても関心がないので、それ故に寛容である。
だからエルサレムに行くと、カトリックの教会もあれば正教の協会もあり、ユダヤ教のシナゴーグもあ、イスラムのモスク、シーア派もスンナ派もいる。
かつては紛争も偶発的にしか起きなかったし、今のようにイスラムとユダヤ教の関係がおかしくなったのはイスラエル建国後の話である。
つまり一神教が非寛容で、多神教が寛容であるというは、一神教の歴史からしても、論理からしても成り立たない。
一神教が非寛容になっていくのは、大航海時代以降、帝国主義の流れからで、特定の文明を拡大していこうという中で、キリスト教と文明が同一視されたことによって起きてくる現象である。
実は十字軍もその文脈で見ると分かりやすい。
十字軍の基本的な目的は財宝を取りに行くことだった。
実際にイスラムよりも正教会の方が財産を持っていたので、十字軍はイスラムと戦うよりも、むしろコンスタンチノープルの正教会との闘いニウエイトを置いていた。