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2016年3月16日水曜日

独裁が現実となった時、革命は権利となる。
by ビクトル・ユゴー(19世紀フランスの文豪)
革命の種は抑圧によってまかれる。
by ウッドロー・ウィルソン(第28代アメリカ大統領)
反知性主義というのは、大学を出ていないから反知性主義になるとか、高等教育を受けていれば反知性主義にならないというのではない。
客観性や実証性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解するという態度のことである。
反知性主義は、もともとは米国から生まれたもので、民主主義を担保する意味を持つ言葉だった。
18世紀、米国ハーバード大学の神学部は、ものすごく高い地位を占めてて、そこの出身者だけが、ひどく威張り散らしていた。
そこで、政治というのは知識量であるとか情報量であるとか、教育を受けたかどうかではなく、米国のために一生懸命やるという意識があればいい。
反知性という形で民主主義を担保しないと、高等教育を受けた人、専門知識を持っている人だけが権力を握ることによって、民主主義が実現できなくなる。
そもそも、こういうところから出て来た肯定的な意味合いの言葉だった。
1997年11月に、エリツィン大統領と橋本龍太郎首相がシベリアのクラスノヤルスクで、一緒に魚釣りをしながら、「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結すべく全力を尽くす」という「クラスノヤルスク合意」を結んだ。
「東京宣言」は1993年10月で、その中には「択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島に関する帰属の問題を解決して、早期に平和条約を締結する」と書かれていた。
つまり、「クラスノヤルスク合意」というのは2000年の終りまでに、北方領土問題を解決するという合意だった。
「イスラム国」には永続性がないと考えられる。
なぜかというと、「生産の思想」がないからである。
「イスラム国」には物づくりという発想がなく、基本的には収奪の思想しかないので、仮に全世界を席巻することになったとしても、寄生虫と一緒で宿主が死んでしまえば、寄生虫も死んでしまう。
その意味では、まさに「現代のガン細胞」と同じなのである。
石打ちの刑と、首を切るのと、どちらが厳しいか、理解できるヒントとして「油山事件」というのがある。
福岡市南区に油山という山があり、1945年にB29が無差別爆撃をした。
学校や民家に爆弾を落とすことは戦時国際法違反で、死者を出した時は、軍法会議を行って、その判決で死刑を言い渡すのは、国際法上は合法となっている。
それでパイロットと爆撃手が死刑判決を言い渡され、その執行が銃殺だったら、何の問題も無かったのだが、斬首にしていた。
そうしたら、戦後にB・C級戦犯として関係者が追われたのである。
首を切られた兵士というのは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の考え方だと「この世の終わりに、人間はどう復活するか。首が落っこちたら復活できないじゃないか」という恐怖になってしまう。
首を切り取るということは、「死後の命がない」という意味になるのである。
だから彼らにとっては、首が落ちない石打ちの刑よりは、首を切ってしまう方が怖いのである。
絞首刑で首がつながっていて、完全にちぎれないという事には意味があるのである。
売春や買春は、イスラム法では石打ちの刑となっている。
石打ちというのは、どうやるかというと、大きい石を投げてぶつけたら1回で死んでしまうが、小さい石ならすぐには死なない。
こぶし大ぐらいの石打ち用の「特別の石」があり、これを山盛りにして、みんなで投げて殺すという。
そうすると、鼻は折れて、目は飛び出して、歯が折れ、ものすごく苦しんだ後に死ぬ。
処刑の中で最も苦痛な処刑が、石打ちなのである。
イスラム教シーア派のハンバリー法学派の一派のワッハーブ派はサウジアラビアの国教である。
ちなみに、サウジアラビアとは「サウード家のアラビア」という意味である。
サウジアラビアは原理主義国家で、「6世紀の当時に世界を変える(戻す)」という目的を持っている。
サウジアラビアでは、女性は日本の小学校5年生以上に相当する教育を受けることはできず、車の運転も禁止となっていて、女性の政治家というのは考えられない。
しかし、英国のマーガレット・サッチャー首相がサウジアラビアを公式訪問して、ファハド国王と会談している。
これをどう説明したかというと、サウジの宗教評議会がサッチャーについて深く分析し、一見、見た目は女のように見えるが、過去の行動と言動を見ると「明らかに男」であるということで、男として受け入れたという。
イスラムのジェンダー論では、1人の人間の中には男の要素と女の要素があり、サッチャーは男の要素の方が明らかに多く、だから性同一障害であるということで、サウジアラビアに受け入れられたのである。
我々は時間が経つとともに物事は進歩すると考える。
ところが、日本人を含めて、時間が立てば進歩していくという考えは、ここ200年ぐらいの流行にすぎない。
進歩というのは、むしろフランス革命以降に出てきた考え方である。
例えば、「初心忘れるべからず」という諺のように、初心の方が正しいという考え方もある。
時間の経過とともに、事態はだんだん悪くなっていくという考え方を「下降史観」という。
「明治維新」はどうして「明治改革」でないかというと、「維新」というのは過去に戻ることによって良くなるという考え方で、明治維新の時に議論となった。
我々はどこまで戻れば良いのか、建武の中興か、それとも律令制か、それとも天地開闢まで戻る必要があるのか、という議論が日本の保守陣営の中で当時展開されたが、「過去に正しいものがある」という原理主義的な考え方は、どこの国にもあるのである。
キリスト教のプロテスタントも、イエス・キリストの時代に戻れという「復古維新運動」である。
だから、イスラム教シーア派のハンバリー法学派のように「ムハンマドが生まれた頃のアラビア半島が一番良かった」という考え方が出てくるのである。
ちなみに、時代を経れば経るほど人類は進歩していくというのが「進歩史観」で、よくなったり悪くなったりしてグルグル回っていてもトータルでみたら良くも悪くもならないというのが「循環史観」である。
この3つに歴史観は分かれる。
イスラム教にはスンニ派とシーア派があり、スンニ派が主流派で、今、問題になっているテロはこの主流派のテロである。
シーア派については、イランの国教である「12イマーム派」というグループの事だけを知っていれば良いが、今は脅威にはなっていない。
シーア派には他にも、インドの方に「7イマーム派」とか、シーア派を自称しているが山岳信仰が入った「アラウィー派」などの少数派も存在する。
イスラムの主流派であるスンニ派は、4つの法学派に分かれる。
1番目はハナフィー法学派で、トルコで強い。
2番目はシャーフィイー法学派で、インドネシアに強く、ロシアの北コーカサス、チエチェン、イングーシとかダゲスタンで強い。
3番目は、マーリキ法学派で、エジプト、チュニジア、モロッコ、マグレブ諸国など、アフリカの北の方で強い。
この3つの法学派は、世の中の事柄や世俗の人達、他宗教との折り合いをつけられるグループであり、その土地や伝統を尊重することができる。
だからこの3つの法学派にぞくしている地域では問題が生じにくい。
4番目にハンバリー法学派というのがあり、イスラム過激派の95%以上はここから出ている。
この法学派は原理主義そのもので、世の中の全てのことはコーランとハーディースという本の中に書いてあり、それさえ読めば、世の中の事は全て分かるし、その指示は出ているという考え方をする。
ハディースというのは伝承のことなので、ある人がこの話をその前の人から聞いて、その前の人はさらにその前の人から聞いてというふうにして、最後に「・・・とムハンマドが言った」というふうに、ムハンマド発言の前に、多くの前提がついているが、預言者の言行録である。
だから、「世の中が一番正しかったのは6世紀で、ムハンマドが現れたあの時期が一番いい時期だ」ということになり、時代を経れば経るほど、人類は退化していくという思想になる。