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2015年12月8日火曜日

スイスの金融業界では、ドイツ語圏のチューリッヒでドイツや英米の顧客を扱い、フランス語圏のジュネーブでフランスとイタリア、スペインなど南欧の顧客を担当するという棲み分けができている。
スイス政府はプライベートバンクを基幹産業として育成するために1934年に「スイス銀行法」で「その職務もしくは職責上知り得た秘密を漏らした者、あるいは秘密を漏らすよう他人を教唆した者」に対して懲罰刑を含む刑罰を科すと定めた。
スイス銀行法の条文には、例外規定が設けられておらず、その守秘性は鉄壁とされてきたが、この国家の主権が無条件で認められた時代は70年代で終わり、独裁者の不正な資金を預かっているとして国際的な非難を浴びることとなる。
その結果、スイス政府は1986年にマルコスに関するスイス国内の全資産を凍結、1990年には刑法に資金洗浄の罰則規定を設け、犯罪に絡む資金と知りながら預金を受け入れた行員に最高5年の懲役刑を科すと定めた。
しかし、それでもスイスは脱税を犯罪と見なさないことで、守秘性の最後の砦を守っていた。
スイスでは刑事上の責任が問われるのは、書類の偽造を伴う積極的脱税だけで、無申告や申告漏れは消極的脱税として行政罰しか科されない。
スイス政府は租税条約で口座情報の提供に合意しているが、これはあくまでも積極的脱税が対象で、金融機関の顧客の大半を占める消極的脱税には適用されなかった。
だが、このダブルスタンダードも「UBS脱税幇助事件」で崩壊することになる。