1000年以上にわたって信じられてきた地球が宇宙の中心だとする「天動説」に対して、地球は太陽の周りを回っているのだとする「地動説」を唱えたのは、天文学者のコペルニクスである。
しかし、天動説を数学的に証明しようとすると、太陽も金星もありうないほど複雑な動きをして、ようやく天動説の理論が成り立つ。
コペルニクスは「地動説」を大々的に発表することはなく、理論の概要をまとめた小冊子を、数人の仲間に配っただけで30年以上も沈黙を守っている。
天動説を唱えるプトレマイオスの『アルマゲスト』には具体的な観測データがあまり載っておらず、数学的な理論でけではく、詳細な観測データとセットにして決定的な事実を突きつけないと賛同を得られないと考えた。
水星は3ヶ月、金星は225日、地球は1年、火星は687日、土星は30年かけて太陽の周りを回っている。
つまり、事実をベースに説明しようとすれば30年分の観測データが必要となる。
そして最もハードルが高かったのは、聖書の中で神が大地の土台をいつまでも動かないように置いた、という話が出てくることにより、地動説は神に逆らう暴論となる事だった。
コペルニクスは、最初に小冊子を作ってから30年後に地動説をまとめた著書『天体の回転について』の出版直前に70歳の生涯を閉じることになる。
原稿の内容を最終確認するための本の試し刷りが上ってきた当日のことだったという。
コペルニクスの『天体の回転について』は世間から完全に無視された。
その最大の理由は、この本が刷り上がる直前に校正者が勝手に「これは単なる仮説であり、真実であるとは限らない。観測結果と一致する計算結果を出すだけて十分なのだ」という序文を書いたからだった。
この序文を書いたオジアンダーは、熱心なキリスト教徒の神学者だった。
コペルニクスの弟子はこの序文に激怒したが、何十年もの間にキリスト教関係者から批判の声があがらなかったのは、この序文のおかげだとも言われている。
そして、コペルニクスの地動説は、17世紀の天文学者ヨハネス・ケプラー、「それでも地球は回っている」と言ったガリレオ・ガリレイに受け継がれ、完成することになる。
ちなみに、ローマ教皇庁とカトリック教会が正式に「地動説」の正しさを認めたのは1992年だった。