J・K・ローリングの『ハリー・ポッタ』は、世界73の言語に翻訳され、シリーズ累計4億5000万部を超える大ベストセラーである。
彼女にとって、シリーズ第1作となる『ハリー・ポッタと賢者の石』は、シングルマザーとして幼い娘を育てながら、仕事も収入もないギリギリの状態で初めて書き上げた小説だった。
しかし、12の出版社から出版を断られている。
しかし、12の出版社から出版を断られている。
1990年の夏、彼女が25歳の時にマンチェスターからロンドンかに帰る4時間の列車の中で、突如として『ハリー・ポッタ』の構想が浮かんできた。
その時点で、この壮大な物語が7部作のシリーズになることが分かっていたという。
その時点で、この壮大な物語が7部作のシリーズになることが分かっていたという。
構想から3年が過ぎた時には『ハリー・ポッタと賢者の石』の3章まで書き、1995年にようやく全17章を書き上げる。
彼女は原稿を代理人に送り、出版社探しを初めたが、作品のクオリティではなく、幼児書の適切な長さが4万語とされているに対して、『ハリー・ポッタと賢者の石』は9万語を超える超大作だった事がネックとなった。
英国最大手の出版社ハーバー・コリンズ、世界的に有名な老舗出版社ペンギン・ブックスをはじめとした主要な出版社からは全て断られ、12社から断られた。
唯一、出版を決めたのがブルームズベリーという出版社だった。
原稿を部下から受け取った社長のジェル・ニュートンは、家に持ち帰ったものの、超大作ということもあり、なかなか読む気になれなかったという。
8歳の娘のアリスが勝手に読んで「パパ、これは他のどんな本よりも面白いよ」と感想を述べたのが切っ掛けで、ジョアンとの契約を決めたという。
原稿を部下から受け取った社長のジェル・ニュートンは、家に持ち帰ったものの、超大作ということもあり、なかなか読む気になれなかったという。
8歳の娘のアリスが勝手に読んで「パパ、これは他のどんな本よりも面白いよ」と感想を述べたのが切っ掛けで、ジョアンとの契約を決めたという。
こうして1997年夏に発売が決定した『ハリー・ポッタと賢者の石』の初版はわずか500部で、ジョアンが受け取った契約金は25万だった。
その後、瞬く間に世界的なベストセラーとなり、2007年には7部作の完結編となる『ハリー・ポッタと死の秘宝』が出版されることになる。
その後、瞬く間に世界的なベストセラーとなり、2007年には7部作の完結編となる『ハリー・ポッタと死の秘宝』が出版されることになる。
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