明治から昭和の初めにかけて、脚気と結核は日本人の二大国民病と言われていた。
特に脚気は、人口3000万人の時代に、毎年100万人の人が発病し、数万人が死亡していた。
特に脚気は、人口3000万人の時代に、毎年100万人の人が発病し、数万人が死亡していた。
日清戦争では戦闘による負傷が原因で亡くなったのが453人だったのに対して、脚気にかかった人が4万8000人で、このうち2410人が脚気によって亡くなっている。
そして日露戦争では、戦傷死した人が4万7000人だったのに対して、脚気にかかった人は21万2000人、このうち2万8000人が脚気で命を落としている。
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