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2016年12月8日木曜日

明治政府の税収の大きな柱は酒税だったという。
日清戦争の12年前の明治15(1882)年に、日本は韓国王朝をめぐり清との間で起こった壬午事変を機会に軍備を増大させたが、主に酒税の増税で賄われた。
明治11(1878)年には1石1円だったものを、明治13(1880)年には1石2円に、明治15(1882)年には1石4円に引き上げている。
1石とは一升瓶100本分のことである。
明治15年の酒の値段は1石20円だったので、酒代の20%が酒税だった。
この明治15年の酒税増税で年600万円以上の増収となっている。
明治15年から日清戦争までの陸軍の増強費が年400万円、海軍の増強費が年300万円だったので、軍事費の増加分はほぼ酒税増税で賄ったのである。
そして日清戦争が勃発した時には、特に増税をしておらず、日本は酒税だけで日清戦争を戦い抜いた。
大正時代に秋田の大曲税務署が出した密造酒に対する警告書には、「わが国では20個師団の兵を置くには1年に8000万円を要し、60万トンの海軍を保つには1年5000円万円を要するから、結局酒税1億円と砂糖税3200万円だけあれば、陸海軍を備え置いてありあまるわけである」と記されている。
大正時代の酒税による税収は1億円あり、それだけで陸海軍の年間費用が賄えたというのである。
戦前の日本というのは、税金はそれほど高くなく、庶民には直接税は殆ど課せられていなかった。
現在の我々の給与や所得には、所得税、住民税が課せられているが、戦前にはそれが無かった。
職人や使用人、サラリーマンの賃金に税金が課せられるようになるのは、第二次大戦直前の臨時特別税からである。
高額所得者に課せられていた所得税も、太平洋戦争前までは一律8%であり、累進課税ではなかった。
また法人税という概念もなく、企業も個人と同じように8%の所得税が課せられていただけだった。
明治政府は日清戦争、日露戦争と国家の存亡をかけた大戦争を2度も経験している。
しかし、明治日本の国民が負担していた軍事費の割合はそう高くはなく、戦争をしていない時期は歳出の3割程度だった。
この軍事費の割合は欧米諸国に比べても高いわけではなく、ちなみにイギリスは第一次大戦までの10年間(1905年~1914年)の平均が国家予算の41%を軍事費に投入している。
(出典『軍備拡張の近代史』)
            軍事費   歳出割合  GNP比
1868年(明治元年)   4,546千円  14.9%
1871年(明治4年)   3,348千円  17.4%
1877年(明治10年)   9,203千円  19.0%
西南戦争
1887年(明治20年)   22,237千円  28.0%   2.72%
1894年(明治27年)  128,427千円  69.3%   9.60%
日清戦争開戦
1900年(明治33年)  133,174千円  45.5%   5.52%
1904年(明治37年)  672,960千円  81.85%  22.22%
日露戦争開戦
1912年(大正元年)  199,611千円  33.63%   4.18%
1919年(大正8年)   856,303千円   64.9%   5.54%
シベリア出兵2年目
1926年(昭和元年)  437,111千円   27.7%   2.74%
1931年(昭和6年)   461,298千円  31.2%   3.47%
満州事変
1932年(昭和7年)   701,539千円  36.0%   5.14%
1937年(昭和12年)  3,277,937千円  69.1%   4.36%
日中戦争開始
1938年(昭和13年)  5,962,749千円  76.8%   22.59%
1941年(昭和16年) 12,503,424千円  75.6%   27.85%
太平洋戦争開戦
1944年(昭和19年) 73,514,674千円  85.3%   98.67%
1945年(昭和20年) 17,087,683千円  45.0%
終戦
明治維新の際に実施された改革には「版籍奉還」「廃藩置県」「地租改正」があった。
中でも地租改正は、農地解放とも言うべく農民の権利を大幅に拡充するものであった。
江戸時代は農地は武士が所有していたが、「版籍奉還」「廃藩置県」によって、農地は国家に返納され、そして国から農民に無償で払い下げられたのである。
地租改正では、土地の所有権である「地券」という権利が定められ、農地に対して「壬申地券」が発行され、この地券に応じて税金を払うことになった。
つまり、農民は江戸時代には認められていなかった土地の所有権を無料で手に入れたのである。
もう一つ、地租改正のポイントに、将棋用地にも地租をかけたことである。
江戸時代を通じて、商工業者は年貢を課せられておらず、江戸時代に商人が台頭した要因にもなっている。
農民にとっては、相対的な税負担は軽くなり、勤労意欲が大幅に増加し、明治維新から太平洋戦争までの約80年間で農業生産は3倍に増加している。