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2016年7月14日木曜日

沖縄人にとって辺野古新基地建設は、中央政府による沖縄差別の象徴的事案である。
日本の陸地面積の0.6%を占めるに過ぎない沖縄県に在日米軍基地の73.8%が所在する。
中央政府は沖縄の負担軽減を口にするが、政府の計画が実現しても、沖縄の基地負担は73.1%になるに過ぎない。
しかも辺野古新基地は航空母艦が着眼可能で、オススプレーも100機常駐でき、普天間基地と比べて、基地機能が飛躍的に強化される。
普天間飛行場の辺野古への移設という中央政府の説明は不正確であり、実際は老朽化した基地から新基地の建設なのである。
「原発と沖縄の基地は、政府が地方に犠牲を強いた結果だ」という人がいるが、基本認識が間違っている。
原発は当該施設が設置される県と市町村の同意を得て、少なくとも形式的には民主的手続きを踏んで作られたものである。
これに対して、沖縄の米軍基地は、民意の同意を一切踏まずに作られたものである。
共産党が、柔軟路線を示し、国民連合政府を樹立するために野党の結集、野党共闘を訴えているが、これに対して北海道の地域政党「新党大地」の鈴木宗男代表は、共産党との協力を拒絶した。
鈴木氏が、2016年4月の衆院北海道5区補欠選挙で、自民党が公認する和田義明候補の支持を明確にしたのは、「共産党が推す候補とは一切協力しない」という信念であり、共産党との協力を拒否する理由は4つある。
第1は、鈴木氏の個人的経験である。
2002年の鈴木疑惑に際して、共産党は外務省から流出した極秘文書に基づいて、鈴木氏が北方領土交渉で国益を毀損していると非難した。その後、その文書が改ざんされたもので、共産党は改ざん文書をつかまされた事実を認めず、謝罪もしていない。
鈴木氏は「原口一博も辻本清美も公の場と個人にも間違いを認めて謝罪したが、共産党は無視している。自分達は絶対に間違えないというあの党の独善的な体質は変わっていない」と言っている。
第2は、共産党が北方4島だけでなく、ウルップ島からシュムシュ島までの18島を含む22島返還を要求していることで、こういう非現実的な要求を掲げでいる政党と一緒に行動すると北方領土交渉が完全に行き詰るからである。
第3は、共産党と手を組むと「新党大地」を支持する保守層が逃げていき、鈴木氏の支持基盤が弱体化するからである。
第4は、過去の経緯から創価学会の共産党に対する拒否反応が強く、共産党と手を組むと、創価学会との信頼関係が崩れ、公明党との関係が悪化するからである。
2015年8月14日に閣議決定した戦後70周年の安倍首相談話は、戦後レジュームを追認する内容と、それに反発する内容が混在したねじれた構成になっていた。
中でも安倍首相のカラーが最もよく表れていたのが、以下の箇所だった。
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そして先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」
問題なのはこの論理構成で、戦後生まれの世代が人口の8割を超えているということから、「あの戦争に何ら関わりのない」という結論を導き出すことはできない。
歴史とは自分が直接関与していない過去の出来事との連続性を無視しては成り立たない。
その意味で、「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」という認識は正しいが、それと戦後生まれの世代が「あの戦争には何ら関わりのない」という文言は明らかに矛盾しており、議論が錯綜しているのである。
自民党勉強会における自民党国会議員と作家の百田尚樹による報道圧力、沖縄軽視発言事件は、自民党のおごりを可視化させた深刻な事件だった。
「文化芸術懇談会」は、文化人や芸術家との意見交換を通じ、「心を打つ『政策芸術』を立案し、実行する知恵と力を習得すること」を目的としているという。
そもそも「政策芸術」という発想自体が、スターリン時代のソ連や、ナチス・ドイツが政治目的で芸術や文化を利用するというプロパガンダ(宣伝)戦術である。
「政策芸術」が可能であるという発想自体に、現在の自民党の反知性主義的体質が顕著に表れている。
幸いにも、自民党の千葉県県議会議員の瀧田敏幸氏が、この件で2015年6月28日に、ブログでまともな発言をしているのが救われる。(現在は消去されているが)
「作家・百田尚樹氏を招いての若手自民党議員による勉強会がひんしゅくをかっている。コメントにも値しない噴飯ものとしか申し上げられない。で、唯でさえ複雑な状況を一層困難な状況へと陥れてしまった責任は重大すぎる。
で、私はマスコミが大騒ぎする「報道の自由」といった表面的レベルを問題にしているのではない。そもそも、百田氏は民間人だ。どんな反知性主義的思想を持っていても、他者に危害を加えない限り発言も自由である。よって、罪深いのは政治家の方と考える。百田氏に雷同し品のない発言を行った議員は、知的基礎体力の欠如、すなわち単なる無知であったに過ぎない。ただ、無知が露見し国民に下しかされたでは済まされず、沖縄に対する偏見に基づく発言は、現下日本の国家統合を揺るがすような忌々しき事態を招きかねないということを分かっているのだろうか。
このような他人の気持ちを全く理解しない言葉遣いとコミュニケーション能力の欠如は政治家として論外であり、自民の勉強会が引鉄となり結果的に民族問題へと発展する可能性も排除できない。更に事態が悪化した場合、日本の安全保障をも揺るがしかねない。それくらいトンデモない勉強会だったということを、参加した議員のセンセイ方は猛省すべきである。
どうも最近、威勢のいい右バネの効いたことを云えば保守と勘違いしている輩が多い。そんなのは保守でも愛国でも何でもない。単なる思考停止の反知性主義とハッキリ申し上げておく。」
瀧田敏幸氏の見識こそが、日本の伝統と草の根の国民に根差した本物の保守政治家のものであろう。

たきた敏幸日記

個別的自衛権と集団的自衛権には重複する部分がある。
例えば、海上自衛隊の自衛艦とともに行動している米海軍艦船への攻撃に対する日本側の反撃を正当化する場合、個別的自衛権、集団的自衛権のいずれでも説明できる。
2014年7月1日の閣議決定は、この重複部分について、これまで個別的自衛権で説明していたのを、集団的自衛権で説明するという「当てはめ」を変更したにすぎない。
この範囲を超える場合には、憲法改正が必要になると安倍総理は明言しており、かろうじて公明党の平和主義によって、安倍政権は抑え込まれているのである。
自民党が公明党の主張を受け入れた結果、日本国憲法で認められている個別的自衛権の範囲でのみ集団的自衛権が行使できるという内容となった。
しかし、今回2016年7月の参議院選挙の結果を、20年後に振り返ってみて、「実は2016年7月の選挙で日本は戦争への道を選択した」という歴史的評価になりかねない。
国際社会のゲームのルールが国際法である。
そして海の国際法が、海洋法である。
中国も加盟している国連海洋法条約第3条では「いずれの国も、この条約の定めるところにより決定される基線から測定して12海里を超えない範囲でその領海の幅を定める権利を有する」と定められている。
ただし、同法第121条に「島とは、自然に形成された陸地であって、見ずに囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう」という規定があるので、網に沈んでしまうことのある暗礁を埋め立てしても、それは島にはならず、そこに基線を定めることはできない。
だから、中国が領海と主張する南シナ海の人工島周辺12海里の内側を、2015年10月27日に米海軍イージス型駆逐艦が航行したこと自体は、国際法に違反する訳ではない。
領海のない公海は、軍艦を含めどこの国の艦船でも航行することが可能だからである。
安倍政権は、尖閣諸島に関して中国の習近平政権に対しても本質的な譲歩をしてしまっている。
APEC首脳会議出席のために北京を訪問した安倍総理は、2014年11月10日11時(日本時間12時)50分から25分かん、習近平・中国国家主席との日中首脳会談を行った。
日中首脳会談が行われたのは2012年5月以来、2年6ヶ月ぶりであり、安倍政権が発足してから初めてだった。
外務省は総花的に会談結果を発表し、この首脳会談で尖閣諸島問題で日本が中国に大幅な譲歩をしてしまった事を隠そうとした。
しかし、11月7日に発表された「4項目の一致点」という外交文書が鍵となる。
この文書は極秘裏に準備がなされ、最終的には6日に訪中した谷内正太国家安全保障局長と楊国務委員との間で調整された。
「4項目の一致点」の第2点で、「双方は、尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識」との合意をしたことにより、日本政府は尖閣諸島をめぐる領有権問題の存在を事実上認める結果となった。
これは、日本の中国に対する大幅な譲歩であり、日中首脳会談で「4項目の一致点」について首脳レベルで確認したことにより、尖閣諸島をめぐる日本の立場が大きく後退した事が決定的となった。
つまりこの日中首脳会談では、尖閣問題で日本が譲歩し、その代わりに安倍総理の靖國参拝について中国が譲歩したというのが、本質なのである。
領土問題は国家の基本であり、尖閣問題で日本が譲渡してしまった事実を、政府は国民に正直に説明する必要がある。
ロシアではテロリストとの人質交渉が法的に禁じられているので、テロリストはロシアとの人質ゲームを行う意味がない事を理解している。
テロ組織が収監されているテロリストの囚人の釈放要求をしたら、即時にその囚人を処刑するというのが、ロシア流なのである。
2016年2月12日にロシア正教会の最高責任者キリル・モスクワと、全ルーシ(ロシア)の総主教が、キューバの首都ハバナで、カトリック教会の最高責任者フランシスコ教皇と会見した。
一部のマスメディアでは、1054年の部位分裂以来、926年振りに和解したと伝えたが、東西教会の和解は1964年に当時のローマ教皇バウロ6世とトルコのインタんぶーるに主教座を置く正教会のアテナゴラス世界総主教が会見し、達成されている。
もっとも各主教座の正教会の関係は対等なので、バチカンがコンスタンチノポリス世界総主教座との関係を正常化しても、それがモスクワ総主教座との関係を改善することにはならい。
その意味で、今回のフランシスコ教皇とキリル総主教との会談は歴史的に重要である。
これまで険悪だったロシアとバチカンの関係の「手打ち式」の場に、無神論を掲げる共産党が政権を取るキューバを選び、無神論者のラウル・カストロ議長を立会人にしたことは興味深い。
日本ではあまり注目されていないが、「アラブの春」で崩壊しなかった体制もある。
モロッコの王制は維持されている。
モロッコ国王のムハンマド6世(1963年生まれ)が、比較的若く、柔軟な思考ができ、国王権限の縮小と議会権限の拡大を自発的に行い、危機を脱する事に成功している。
国民に国王は我々の代表であるという印象を与える事に成功した。
現在のアラブの王国には、ムハンマド6世のように柔軟な思考ができる王族が少なく、異議申し立てを行う民衆に対して弾圧で臨み、事態を悪化させるだけだった。