戦後の日本の核政策、原子力政策を振り返ると、日本が自前の原子炉開発にこだわったのは、将来的には核兵器を保有するのが夢だけれども、そこまでいかなくても「いつでも作れるぞ」という状態にすることが、抑止力につながる、と考えていたからと思える。
核の脅威は「意志」と「能力」によって測られるが、日本には「能力」はあるが「意志」はない、という姿勢を示して来たのである。
しかしIAEA(国際原子力機関)も含め国際社会は、核に関しては性悪説を採り、「能力」を持たなそうな国でも「核兵器を持つ」と言った瞬間に有罪推定となり、逆にどんなに平和利用を表明しても「能力」があれば有罪推定として監視対象となり、IAEAは日本に対する査察が最も厳しい。
アメリカからも「核のリサイクルはやめるべきで、プロトニウムを貯めこんでどうするのだ」という圧力がかかっている。
2014年の核保安サミットでは、日本が研究用として1960年代から1970年代に米英仏から購入したプロトニウムのアメリカへの引き渡しが決まり、2016年3月にアメリカに向けて輸送された。
ところが処理施設がある米サウスカロライナ州知事が受入れ拒否をしてしてしまい、宙に浮いている。
しかし、それとは別に日本には現在、使い道のないプロトニウムが48トンと、原爆数千発に相当する量が存在する。