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2017年2月11日土曜日

大平正芳は本当の教養人だったという。
大平の政策は、後世で実現されたものが多い。
田園都市構想などのプロジェクトも設定したのは、大平であり、それが10年、20年経ってから動き出している。
「あ~う~」という意味不明の話し方も、「あ~う~」を抜いて書き起こすと、そのまま活字の文章になっていたという。
大平は頭の中で文書を書きながら、書き言葉で喋っていたのである。
「政治資金規正法」は正しいという字の「規正」であって、「規制」ではない。
つまり、性善説で、政治家が正しく使うと信頼します、という法律なのである。
日本における子供の貧困は、いまや深刻な問題となっている。
ところが、沖縄ではさらに酷い状況であるという。
日本では子供6人に1人が貧困だと言われるが、沖縄では両親が揃っていても2人に1人近くが貧困になっている。
理由は二次産業がないからである。
冷戦時代に西側諸国の対共産圏の前線基地だったギリシャでは、二次産業を育成すると同時に労働運動が活発化し、共産主義の影響力が及んでくるので二次産業をあえて育成しなかった。
沖縄でもこれと同じような理由から、二次産業が育成されなかったのである。
核開発との関連でプロトニウムばかりが問題にされるが、核拡散の脅威からするとウランの方が深刻である。
広島型原爆と同じウラン型原爆は、旧式だとしてノーマークだった。
ところが、北朝鮮がその裏をかき、チェルノブイリ型の原発を稼働して、そこからプロトニウムを抽出し、原爆をつくるともりだとしていた。
交渉により軽水炉に転換させて、プロトニウム抽出を阻止しようとしていたら、北朝鮮は時間稼ぎをして、なんと旧式のウランによる原爆を完成させてしまった。
ウラン型原爆には、起爆が簡単という利点がある。
TNT火薬を入れておくだけで良いので、起爆装置の開発も起爆実験も不要なのである。
ウラン型は爆破実験が不要なのが有利で、ウランの濃縮技術さえあればよい。
原発の燃料用ならばウランを3%から5%に濃縮する。
医療用のアイソトープならば20%、これを90%まで濃縮すれば核爆弾になる。
濃縮するには、まず自然界のウランを六フッ化ウランという形でガスにする。これを遠心分離器にかけて回すと、ウラン235より中性子3個分重いウラン238が外側に集まってくる。その外側の部分を取り除けば、ウラン235の濃度が少しずつ高まっていく。
ただこの時に分離したウラン238の使い道がなく、産業廃棄物になってしまうのが問題だったところ、「これは比重が一番高いから戦車の砲弾として使える」と思いついた結果、劣化ウラン弾が生まれた。核兵器として使えないという意味での「劣化」である。
日本は佐藤内閣時代の1960年代後半に、核保有ができるかどうか政府が見当した事があるが、その結果、東海村の実験用原子炉から出てくるプロトニウムを使えば比較的に早く作れる事が分かった。
しかし実際に作ると国際的な影響が大きすぎて、帰って国益を損ねるとして、「現実問題としてつくれない」という結論とした。
戦後の日本の核政策、原子力政策を振り返ると、日本が自前の原子炉開発にこだわったのは、将来的には核兵器を保有するのが夢だけれども、そこまでいかなくても「いつでも作れるぞ」という状態にすることが、抑止力につながる、と考えていたからと思える。
核の脅威は「意志」と「能力」によって測られるが、日本には「能力」はあるが「意志」はない、という姿勢を示して来たのである。
しかしIAEA(国際原子力機関)も含め国際社会は、核に関しては性悪説を採り、「能力」を持たなそうな国でも「核兵器を持つ」と言った瞬間に有罪推定となり、逆にどんなに平和利用を表明しても「能力」があれば有罪推定として監視対象となり、IAEAは日本に対する査察が最も厳しい。
アメリカからも「核のリサイクルはやめるべきで、プロトニウムを貯めこんでどうするのだ」という圧力がかかっている。
2014年の核保安サミットでは、日本が研究用として1960年代から1970年代に米英仏から購入したプロトニウムのアメリカへの引き渡しが決まり、2016年3月にアメリカに向けて輸送された。
ところが処理施設がある米サウスカロライナ州知事が受入れ拒否をしてしてしまい、宙に浮いている。
しかし、それとは別に日本には現在、使い道のないプロトニウムが48トンと、原爆数千発に相当する量が存在する。
2016年3月18日の参議院予算委員会で、当時の民主党の白勲議員が「政府はこれまで核兵器を保有することは憲法違反ではないと表明しているが、使用についてはどうか」と質問したのに対し、横畠裕介内閣法制局長官が「憲法上、あらゆる種類の核兵器の使用がおよそ禁止されているというふうには考えていない」と答えた。
これは、従来の政府見解とは明らかに一線を画する答弁であった。
「核保有」と「核使用」では位相が大きく異なる。
これは、憲法解釈として「核使用」を日本政府が初めて認めた歴史的答弁である。
「核兵器を持つことは憲法上許されるけれども、非核三原則において持たない選択をしている」というのが、歴代内閣の立場だった。
逆をいえば、非核三原則をやめれば、いつでも核を持てるということである。
ところが、今回の答弁で「核を使うことも憲法上許される」と言ったことで、一歩踏み込んで方針を変えたのである。
オバマ大統領はかなりのリスクを冒して広島にきた。
現役の大統領としては、当然のこととして原爆投下の過去を簡単には否定できない。
オバマ大統領の広島演説には、様々な政治的な配慮を含む表現が秘められていた。
演説の冒頭は、「71年前のよく晴れた雲の無い朝、空から死が降ってきて世界は変わった」となっている。
「爆弾が降ってきた」と言うと、「誰が落としたんだ」と問い返したくなるが、「死が降ってきた」とすることで、まるで運命づけられたことのようなニュアンスが出て、問い返しにくくなる。
そして「我々はなぜここ広島を訪れるのか」と問いかける。
すると「ここ広島で、世界は永遠に姿を変えてしまった。しかし今日、この町の子どもたちは平和の中に生きている。なんと貴重ななことか」と、17分に及んだ演説の最期に冒頭と照応する言葉が出で来る構成になっている。
さらに「広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の同義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう」と、核の世紀の始まりというネガティブなことをポジティブに転換している。
また、この演説では様々な戦争の被害者にも触れている。
第二次大戦では6000万人が死んだと述べているが、ここでユダヤ人の被害に触れないとアメリカのユダヤ人、イスラエルが怒る。
しかしユダヤ人という固有名詞を出すと他にも犠牲になった民族があると批判されるので、さりげなく「ガス室に」という言葉が入っっている。
「世界をみれば、非常に原始的なライフルや樽爆弾がどれだけ大きな破壊力を持つか分かる」というくだりがあった。
「樽爆弾」はシリアでアサド政権が反政府勢力に対して使用したものである。
これも「シリア内線」と名指ししてしまうと「他の内戦はどうなるのか」という反発が出るので、固有名詞は使わず、「樽爆弾」という言葉を使うことでシリア内線の関係者は自分達に触れてくれたと思える。
このように練りに練った演説であり、そして全体として主語が無い文章になっていて、謝罪というよりも何か悲劇があったという言い回しになっている。
これが原爆慰霊碑の「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから」という言葉と見事に呼応していた。
原爆慰霊碑の下に被爆者名簿が保管されている。
毎年8月6日に日干しをするのだが、その名簿の中にはアメリカ兵の捕虜12人の名前もある。
原爆の投下地を選択する際に、アメリカはアメリカ人捕虜の収容所がある場所は避けており、当時の広島には捕虜収容所はなかった。
ところが原爆投下の数日前に呉を空爆した爆撃機が撃墜され、搭乗員12人が捕虜になって広島に連れてこられていた。
だから広島の被爆者団体は、「原爆慰霊碑は12人のアメリカ兵の慰霊碑でもある、犠牲になったアメリカ人を悼むものでもあるから、来てほしい」という言い方をアメリカにしてきた。
オバマ大統領が肩を抱きしめた森重昭氏は、被爆した米兵捕虜の研究をしてきた人だった。
2016年1月末にマナス金利政策が決定され、日銀はこれでお金がもっと動くと説明した。
ところが政府は、2016年4月に1万円札の印刷枚数を増やす決定をしている。
2016年度に印刷する1万円札を前年度より1億8000万枚増やし、12億3000万枚にすることを決定した。
つまり、貨幣を使わずに貯めこんでいる人達がいるということである。
タンス預金が増え、だから金庫がよく売れているのである。
マイナンバーで資産が全て把握されてしまうから、その前に引き出しておこう、という動きが重なったのである。
資本VS国家の戦いは、金融取引のスピードを巡っても起きている。
1秒間に1000回前後もの頻度で取引をする「超高速取引(HFT)」が問題になっている。
こうした取引のトレーダーたは「フラッシュ・ボーイズ」と呼ばれている。
株式市場のコンピューターに少しでも近いところにコンピューターを置いておいた方が取引に有利になるという。
「企業の成長性に対する目利き力を競うはずの株式市場がコンピューターの処理速度を競う場になっている」として、金融庁も規制に乗り出している。
この技術は、イスラエルの「鉄の屋根(アイアンドーム)」システムの民生転用である。
パレスチナ側からミサイルが発射されると、発射と同時にアルゴリズム計算で、都市部に落ちるか砂漠に落ちるかを見極める。
都市部に到来する場合だけ迎撃ミサイルを発射することによって、迎撃率は98%になっている。
これと同じ原理で、市場のちょっとした動きから株価がどうなるかを計算してしまうのである。
村上世彰氏がシンガポールから帰国して、空売り容疑で捜索された。空売りによって株価を操作し、多くの存外を与えたという容疑だった。
これに対して、村上氏は全てのデータを提出して調べさせ、彼が空売りをした瞬間の0.数秒以内に連動した売りがどれだけあるかを分析させた。
結果、村上氏の売りを見て一般の投資家が追随して株価を引き下げてのではなく、まさにアルゴリズムで自動的にやってたもので、損害を与えたとか風説の流布ではない、と主張したのである。
証券取引委員会がそのデータをもらって絶句し、「これでは訴追できない」と頭を抱えてしまったという話がある。
パナマ文書の情報提供者がドイツ当局かどうかは不明だが、ドイツは少なくともこの種の摘発で一度味をしめている。
それは、ヨーロッパにおけるタックスヘイブンであるリヒテンシュタインの文書流出で、ドイツやフランスやスイスの資産家がかなり利用していた。
その関係文書を盗み出した者がいて、データをドイツの国税庁に日本円にして5億円で売りつけた。
当初は、盗み出したデータを国民の税金で買い取るのはいかがなものかという議論もあったが、そのデータを使ってドイツ人の脱税をドンドン摘発して、あっという間に5億円の費用を回収してしまった。
その後、ドイツ国税庁はれんけいしている世界中の国税当局に、そのデータを共有した。
日本では帝京大学の創立者の遺産相続をめぐって脱税が摘発されたが、このリヒテンシュタインのデータが使われたと言われている。
中国では人海戦術でネット上の検索をブロックしている。
機械的にブロックするのではなく、どうもこの言葉が最近検索されているようだ、となると人海戦術をかける。
5、6年前にはサイバーポリスが3万人いると言われていた。
現在はさらに数万人に増えていると思われ、彼らが24時間、ネットを監視している。
野村総研の調査によると、金融資産「1億円以上5億円未満」の富裕層は76万世帯である。
ということは、およそ200万人、人口の1.6%程度となる。
「5億円超」の超富裕層は5万世帯、およそ15万人程度となる。
アメリカでは「1%の超富裕層と99%の庶民」と言われるが、日本では超富裕層き1%もいない。
しかし、実際には日本の富裕層はもっと資産を持っている。
日本の基準では、不動産を金融資産から排除しているからである。
おそらく金融資産が1億円ある人は、不動産資産を2億円か3億円程度持っている事が多い。
企業の巧妙な税金逃れの手口がアメリカで最近問題になった。
製薬大手のファイザーとアイルランドの製薬会社アラガンとの合併問題である。
この合併には、そもそも不自然の点があった。
企業規模の小さなアラガンが、自分より巨大なファイザーを買収する形をとったからである。
しかも、買収される側のファイザーのCEOが新会社でもCEOに就任し、買収する側のアラガンのCEOが新会社のCOOに就任することになっていた。
ファイザーの本拠地アメリカの法人税率が35%なのに対して、アラガンの本拠地アイルランドは12.5%であり、形式的にアラガンによる買収という形にすれば、アイルランドの税率が適用される。
この不自然な合併の真の狙いは税金逃れにある、とみたアメリカ財務省は新たな期生を導入することで対抗した。
アメリカより税率の低い国の企業を買収し、その国に本社を移転する企業に対しては、アメリカに残る子会社の税の控除を簡単にはできなくした。
その結果、2016年4月に、ファイザーとアラガンは合併を断念すると発表した。
一昔前までは、贈与税逃れでアメリカが使われていた。
日本では、贈与された側に贈与税がかかるが、アメリカでは贈与した側に贈与税がかかる。
だから、アメリカに住んでいる子供に日本から贈与をすると、日米どちらにも税金がかからなかった。
英国のEU離脱の国民投票の結果を受けて、英国人のアイルランドのパスポート申請が急増している。
窓口での旅券申請の処理件数は、1日200件から1日4000件まで急増し、アイルランド政府が申請者に自制を求める事態になっている。
英国では二重国籍が認められており、父母か祖父母がアイルランド国籍である者、2004年までにアイルランドで生まれた者、さらに北アイルランドの住民は、アイルランドのパスポートを取得できる。
そこで、これらの資格に該当する多くの英国人が旅券申請窓口に殺到している。
アイルランドのパスポート、つまりEU旅券を手にすることで、英国がEUから離脱した後も、EUの中を自由に旅行できるし、EUで就職もできるのが魅力だからである。
これまでは、英国がアイルランドを制圧してきた長い歴史があったことから、英国人がアイルランドのパスポートを欲しがるなどということは、あり得なかったことである。
EU離脱の手続きは、リスボン条約(EU基本条約)の第50条に定められているが、非常に簡素な条文に留まっている。
一応は、離脱も可能だけれども、実際にそんな国は出てこないだろうと、想定されていた事が分かる。
この条項によると、離脱手続きは、離脱を求める国がEU理事会というEUの最高意思決定機関に通告するところから開始される。
離脱手続き中は、EU加盟国としての義務と責任が継続し、通告から2年経過したところで、EU法の適用が消滅する。
この間に英国がEUから有利な条件を引き出せなければ、英国は自動的にEUから追い出される。
ただし、全てのEU加盟国の承認を得られれば、期間を延長できる。
現在、スコットランド選挙区に割り当てられたウェストミニスター(英国)議会の59議席中56議席を、スコットランド独立を掲げるスコットランド国民党が占めている。
だから、再度、住民投票が実施されれば、おそらく独立賛成が過半数を占めることになる。
英国のキャメロン政権が必死にEU離脱を止めようとしたのは、経済の中心という地位をロンドンが失うのを恐れたからである。
英国がEUを離脱し、代わりにスコットランドがEUに加盟すれば、シティの金融機関もエジンバラに移らざるを得なくなる。
そもそもスコットランドは、歴史的にフランスと関係が深く、スコットランドがグリニッジ標準時ではなく、中央ヨーロッパ標準時を採用すれば、金融市場がロンドンよりエジンバラが1時間早く開くことになり、ロンドン市場はエジンバラ市場の株価に追随するほかなくなる。
また、スコットランドは非核化政策を採るであろうから、スコットランド基地にある核ミサイル搭載原潜を、イングランドの港に移すことになる。
イギリスがEU離脱の是非を決めた国民投票は、日本の地方自治体で実施している法的拘束力のない住民投票と似ているが、投票率が72.2%に達し、とても無視できるものではなかった。
しかもキャメロン首相自らの意向で実施してものであった。
国民投票で国民の意見を聞くということが、いかに危険なことか、という逆説を証明してしまった。
キャメロン首相には、2014年のスコットランド独立に関する住民投票で、結局は独立反対派が勝ったという成功体験があったので、国民を操作できると考えていたのであろう。
教育の場でもこれだけ格差が広がってしまうと、真ん中より下の階層は、どうせ勉強してもしようがない、という意識が芽生え、階層がさらに固定化していくことになる。
教育が人々に平等をもたらす、というよりも教育が人々を選別する機能を果たしている。
階層の固定化が進む中で、どの国でも、こういう世界が益々広がっていく。
そして民主主義制度では、この社会の底辺を支える階層がボリュームゾーンだから、必ずその影響は政治にも及び、反知性主義、ポピュリズムに益々左右されるようになっていく。
日本でも学費は高騰しており、奨学金を返せなくて自己破産するケースが出てきている。
無視できないのは、かつての日本育英会が、現在は日本学生支援機構となって、返済が遅れているローンを全て債券回収会社に引き渡していることである。
2001年に日本育英会債券を発行し、日本育英会から日本学生支援機構へと組織変更されることで、奨学事業は金融業へと変貌してしまった。
そして、一般的な金融事業と比べても、かなり厳しい取り立てをしている。
まず保証人を立てない場合は、機関保障料を支払う必要があり、月額10万円の貸与ならば、機関保証料は月額6000円にもなる。
また返済期日を過ぎた場合は、ペナルティとしての延滞金がかかる。ペナルティ利率は10%だったのが、2014年に5%に下がった。
回収のやり方にも問題があり、延滞が4ヶ月になった時点で債権回収会社に回収業務を委託し、延滞9ヶ月で裁判所を利用した督促に切り替わる。
更には、債権のカットには殆ど応じない。
アメリカの学生は学費の殆どをローンで払うという。
大統領経済諮問委員会によれば、学費ローンの残高は一人当たり約3万ドルで、中には学費ローンを払えずに自己破産してしまう若者が数多くいる。
学費ローンは、かつては必ず返済するものだったから、学費ローン債権を担保にした証券も売り出されている。
ところが、リーマン・ショックを招いたサブプライムローンと同じように、現在では危ない不良債権になってしまっている。
だから格差社会に不満を持つ学生たちはサンダースに熱狂したのである。
ちなみにオバマ大統領も、学費ローンを支払い終えたのは、大統領に就任する直前だった。
トランプの孤立主義は、アメリカの伝統に則っている。
アメリカ国内では、孤立主義のことを「モンロー主義」と言われてきた。
1823年に第5代アメリカ大統領のジェームス・モンローが議会で「南北アメリカ大陸以外にはアメリカは干渉しない。ヨーロッパのことなど関知しない」と演説して、提唱した外交方針に由来している。
ヨーロッパにとっては、アメリカの「孤立主義(一国主義)」となる。
第一次大戦時も、第二次大戦時もアメリカは不介入主義、中立の立場に立っている。
第一次大戦後にウィルソン大統領が提唱した国際連盟にも、モンロー主義を掲げるアメリカ議会の反対で、アメリカは参加していない。
第二次大戦後に、アメリカが孤立主義を放棄してのは、ソ連に対抗する必要ができたからである。
アメリカの歴史から考えると、第二次大戦後の介入主義の方が例外的と言える。
皮肉なことに「平和」と結びつくのは「平等」ではなく「格差」になる。
そして、「平等」に結びつくのは「戦争」である。
国民国家的な体制を取っている限り、戦争が起これば、金持ちの子供も庶民の子供も「平等」に「戦争」へ行かざるを得ない。
そして、戦費を調達するために累進課税制を取らざるを得なくなる。
つまり、「戦争」になれば、いやでも「平等」になる。
ピケティの『21世紀の資本』にも、こう書かれている。
「第一次世界大戦まで格差が構造的に減った様子はない。
1870から1941年でうかがえるのは、せいぜいが極めて高い水準で格差が横ばいになったということでしかなく、ある意味では特に富の集中増大を特徴とする、果てしない非博愛的なスパイラルなのだ。
戦争がもたらした大規模な経済的、政治的なショックがなかったら、この方向性がどこに向かっていたかを見極めるのはとても難しい。歴史分析と、ちょっと広い時間的な視野の助けを借りると、産業革命以来、格差を減らすことができる力というのは世界大戦だけだったことがわかる」
つまり、平等を最も確実に実現する方法は第三次世界大戦であり、それが嫌ならば格差を受け入れろ、ということになる。