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2014年9月7日日曜日

1989年に警視庁・科学警察研究所が導入したDNA鑑定は、1991年に初めて裁判で証拠として採用され、その精度が年々上がっている。
それまでは1908年に警察が導入した指紋法を、犯人の特定手段としていた。
<DNA鑑定で他人と同じになる確率>
1989年 1000人に1人
2003年 1100万人に1人
2006年 4兆7000億人に1人→血液型と合わせると77兆分の1になる。
DNA鑑定の精度向上に伴い、アメリカでは1989年以降に冤罪と判明した事件は、314件(うち18件が死刑判決)となった。
日米開戦期にアメリカに対して日本陸軍参謀本部は、謀略放送をやっていた。
『日の丸アワー』の著書である池田徳眞は徳川慶喜の孫で、元鳥取藩主の池田家の当主だった。
戦時中に「日の丸アワー」という対米プロパガンダ放送をやっていた。
池田の著書『プロパガンダ戦史』の巻末には、戦時中に作られて敗戦の時に持ち出した冊子「対敵宣伝放送の原理」が再録されている。
これが、現在も広告代理店の電通や博報堂がやっている業務の原型となっている。
いかに戦争を自国に有利なように宣伝するかという内容で、いかに商品に関心を向けさせて買わせるかという事につながる。
同じことを何度も繰り返す「反復法」、暗示する「暗示法」、また適宜音楽を絡めると良いなど、宣伝の要諦がまとまっている。
他にも、アメリカ人はニュースがないと宣伝ができないと分析し、だから人に影響を与えるように物事を記述するイギリス人の発想が分かっていない。
ドイツ人は理屈でがんじかせらめに攻めてくるので説得力はあまりない、と分析されている。
また、エリートと大衆を完全に分けており、エリートには論理的に、大衆に対しては感情的に、これがイギリスの要諦と言っている。
近代になってからイギリスは一度も戦争に負けた事がないので、池田はイギリスを評価している。
イギリスは負ける前に常に名誉ある撤退をしてしまう。
イギリスは最初から勝つことを目標にしておらず、負けないことに目標を置いているという。

プロパガンダ戦史 (1981年) (中公新書)

メキシコは歴史的に反米国家である。
もともとメキシコは、アメリカと国力が五分くらいの国だった。
ところが、テキサスやカリフォルニアを次々と取られてしまった。
だからメキシコは、ソ連にもナチスドイツにに対しても中立的だった。
「海軍の良識」というのもインチキである。
何と世界の陸軍で唯一、日本陸軍は航空母艦を持っていた。
昭和17年に「あきつ丸」を護衛空母に改造して、全部で5隻造っている。
要するに海軍は艦隊決戦とか飛行機で派手な作戦をするのが好きで、ロジティクス、輸送のような下品なことはやりたくないと、陸軍の兵站に協力をしなかった。
兵站は全て陸軍の船舶司令部が担当し、当初は海軍は船舶司令部の輸送船を守ってくれるはずだったが、ミッドウェー海戦以降、余裕がなくなってしまい、丸裸で輸送船を運行せねばならなくなり、陸軍は自身で航空母艦を建造せねばならなくなった。
ところが、海軍は飛行機の仕様を開示せず、結局、陸軍独自の自主開発となった。
海軍がやったことは、「これは味方の陸軍が造った航空母艦で、敵艦ではないから沈めないように」と極秘で回覧を流しただけだった。
アメリカ軍の記録にも「上空から取った写真に、これまでと全然違う形の1万トン級の護衛空母を発見したが、日本海軍とは全く別の設計思想でできている、一体、これはなんなのだ」と残っている。
結局、一度も海戦をしないまま、陸軍の航空母艦は全艦沈められてしまった。

日本陸軍の航空母艦: 舟艇母船から護衛空母まで

外務省は戦時下で、東郷茂徳外務大臣が辞表を叩きつけて、一度だけ軍と闘ったことがある。
大東亜省ができる時に、本気で抵抗した外務省最大の闘いだった。
戦争中で、どの国との外交関係が無い時であり、大東亜省を設立させたら、重要なところまで、軍の息のかかった大東亜省に全部握られてしまいことになる。
外務省にとっては、戦争を止めるためではなく、死活的利益に関わる省益の闘いだったのである。
日本の軍隊について語る場合に触れなければならないのが、『統帥綱領』と『作戦要務令』である。
『統帥綱領』は高級指揮官に統帥に関する要綱を示したもので、特定の将校しか閲覧できなかった。
『作戦要務令』は戦術の教科書のようなものだった。
『統帥綱領』(建帛社版)は、一番重要な天皇に関する部分を抜いているが、偕行社から会員限定で天皇の部分も入ったものが出版されている。
『統帥綱領』は門外不出で、占領軍がやってきた時に一部残らず廃棄された。
ところが、陸軍大学で暗誦させていた為、独立後に陸大卒の優秀な参謀達が皆で復元し、偕行社から出版した。
『統帥綱領』のポイントは「独断専行」で、それが部隊に下りた『作戦要務令』でも、独断専行を非常に重視している。
つまり、うまくいったら上司の手柄、まずくなったら部下の責任という事であり、旧軍の意思決定システムの伝統が、そのまま日本企業に受け継がれている。
『統帥綱領』には日本人の組織論とものの考え方が、全部凝縮されている。

統帥綱領

日本は貧しかったから満州へ出ざるを得なかったと言われるが、実際は軍事費が国家予算の半分以上になり、最後には7割を占めるよにうなった結果、日本は貧しくなったのである。
狭い日本に住んでいたからではなく、軍隊を膨張させたから貧しくなったのである。
中里介山の『大菩薩峠』は、全41巻、新聞連載は30年に及んだ超大作である。
最後は作者の死で未完に終わった。
中里は『大菩薩峠』を書いていた時に、部屋中のあっちこっちに登場人物の名前を書いていた。
それでも書いている途中で、自分も分からなくなったという。

夏目漱石の妻・鏡子が回想したのを甥の松岡譲が書いた『漱石の思い出」という本がある。
これを読むと、漱石はDV夫であり、精神状態が尋常ではない。
漱石は子供のころから家を出されていて、一番若い時期に本当に信頼できる人との絆ができなかった。
だから愛着生涯が端的に出ているのである。

漱石の思い出 (文春文庫)

エスペラント語はある種の思想運動なので、知的なものと経済を絡ませないという線引きをしている。
だから、エスペラン語の出版物にな関しては翻訳料とか原稿料は一切発生しない。
エスペラント語をしゃべれる人にとっては、非常に便利で、世界を泊まり歩ける。
エスペラント協会というのが、日本にもあり、そこに連絡すると宿も探してれたり、色々と旅の世話をしてくれるという。

大川周明は、東京裁判所で東條英機の頭を叩き、東條が苦笑いをして振り返る映像が残っている。
大川がどうして戦犯になったかというと、日本ファシズムには、どう探してもナチスドイツでヒトラーの代理人と呼ばれたローゼンベルクのような理論家がいなかった。
そんな中、大川周明の『英米東亜侵略史』を当時の日本政府が素晴らしい内容だと、宣伝文書として英訳した。
この英訳本を米国が手に入れて、大川を日本ファシズムの理論家としたのである。
慶應には旧満鉄調査部仕込みの、本当に実地で使える語学の集中教育をやっていた。

その伝統は昭和40年くらいまで続いており、慶應はある時期までは圧倒的に語学力が強かった。

慶應義塾大学 外国語教育研究センター
戦争中の日本の保守思想というのは「混合民族説」で、多民族を認めていた。
実は、「単一民族説」というのは、戦後出て来た神話なのである。
単一民族説では、日本人、漢人、朝鮮人、満州人、蒙古人の「五族協和」ができなくなるからである。
日本の戦前の国定教科書では、「日本は多民族国家で、内地臣民と外地臣民がいて、外地臣民には台湾人や朝鮮人がいる」と書いていた。

単一民族神話の起源―「日本人」の自画像の系譜

大本教は、戦前に政府から二度にわたって弾圧を受けた。
大本は国家の本質が分かっており、その国家像は大東亜共栄圏を超えて、道義国家のような発想を持っていた。
それによって国家の立て直しをするという構想を描いていた。
さらに、国際共通語のエスペラントを取り入れるなど、国際性も持っていた。
しかし、権力に近寄りすぎたがだめに排除されてしまった。
この『宗教弾圧を語る』には、国家が宗教弾圧をやるときの典型的な手口が書かれている。
天理教がターゲットだった時には、天理教本体ではなく、天理教の分派でより純粋なグルーブの「天理ほんみち」を弾圧し、天理教に対して警告するのである。
キリスト教の場合も、もみの塔、灯台社、ホーリネス協会といったキリスト教の中ではマイナーな教派を弾圧することによって、日本キリスト教団のメインストリームである長老派(カルバン派)、メソジスト派、会衆派、ルター派に対して、体制に従えと牽制するのである。