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2016年1月18日月曜日

アメリカの税引前の総所得に占める上位納税者の割合を見ると、大恐慌の1928年に最高値を示しており、上位1%の所得占有率は19.6%、上位10%の占有率は46.09%である。
大恐慌直前のアメリカでは、実に全申告所得の46%が、たった上位1割の納税者に集中していたのである。
その後、大恐慌発生による経済低迷により、占有率は徐々に下がっていき、1941年以降は第二次世界大戦に向けて戦争増税が始まり、上位1%が10.54%、上位10%でも31.56%まで占有率を下げている。
そして戦後のケインズ経済学の到来とともに、政府主導による所得再分配政策が始まり、高額納税者の所得占有率は低下し、1973年には上位1%の所得占有率は最低の7.74%、1979年に上位10%で最低の30.51%となった。
1981年に始まったレーガノミクス以降全ての共和党政権で、富裕層への減税措置が実施された結果、1998年には上位1%の占有率は14.58%、上位10%では41.44%まで回復し、大恐慌以前の水準に戻り、格差社会が復活している。
華族、財閥、豪農、戦争成金などの戦前の富裕層をまるごと破滅させた財産税は凄まじく没収的だった。
財産税は、1946年3月3日午前0時現在に所有する資産に対して、「戦時利得の除去及び国家財産の再編成に関する覚書」に基づき、課税が行われた。
課税最低限は10万円で最低税率は25%、1500万円を超えると90%の最高税率という超累進的な税だった。
納税対象は約4万6000人で、当時の全世帯数の3%弱に相当し、課税対象資産の総額は1198億円、課税金額は406億円弱、実行税率の平均は33.9%だったが、1500万円以上の富裕層では88.7%の税負担となった。
ちなみに、2012年の相続税と比較すると、亡くなった被相続人の数は5万2000人、その課税対象資産の総額は10兆7000億円で、納付された相続税額は1兆2445億円で、実効税率は11.6%だった。
2012年の世帯数は5417万世帯だったので、相続税が課税された世帯は僅か0.09%でしかない。
この数字を比較しただけで、懲罰的な税制だったことが理解できる。
高福祉・高負担の国であるスウェーデンの家具製造販売会社で有名なIKEAの創業者イングバル・カンプラードは、1973年から40年間も租税回避目的でスイスに移住していた。
妻の死を契機に本人はスウェーデンへ帰国するが、彼の資産は既に税金対策済であったため、帰国したスウェーデンでの課税は多くないと報道されている。
ちなみに彼は、2010年にフォーブスの世界富豪ランキングで第11位、総資産は230億ドルである。
世界で初めての所得税は1798年にイギリスで導入され、導入理由はナポレオン戦争に向けての戦費調達だった。
1862年に、本部アメリカで所得税と相続税が導入され、これも南北戦争の戦費調達が理由だった。
その後、この連邦政府による所得税は憲法違反とされ廃止となったが、第一次世界大戦への参戦を機に復活し、その後は恒久的な税制として定着した。
最初の近代戦だった南北戦争は長期化し、財政の負担能力が重要となった。
実際に南北戦争ではロンドンの金融市場が南部連合の信用リスクを重視した結果、資金調達が叶わず、南軍の戦争継続が困難となって終結を迎えている。
日本でも明治維新後、税の創設が相次ぎ、所得税は征韓論に連動した海軍拡張論の軍艦建造費の調達のため1887年に導入された。
1905年には相続税が、日露戦争の戦費調達のために導入された。
米南軍連合とは違い、日本政府はロンドン金融市場からの船尾調達の継続に成功し、幸運にも日本海海戦で勝利できた。
このように税と戦争は密接な関係があり、税は時代の要請によって創設されるのである。
プライベート・バンキングのシェアは、スイス27%、イギリスおよび王室属領24%、アメリカおよびカリブ19%、に対してルクセンブルクは6%にすぎない。
しかし、欧州の投資ファンドのうち32%をルクセンブルクは抱えている。
国家間の資本移動に関して、「ルーカス・パラドックス」と呼ばれる近年のグローバル経済に特有の現象がある。
この現象は、資本が豊かな経済先進国から資本が不足している貧困国へ移転するのではなく、経済先進国に資本が留まる現象を指している。
かつてパックス・ブリタニカと呼ばれた英国を頂点とするグローバリゼーションが19世紀から第一次世界大戦勃発まで存在したが、当時は資本が過剰な国からの直接対外投資の25%は貧困国向けだった。
しかし、現在の資本が過剰な国から低開発国向け直接対外投資は5%に過ぎない。
ルーカス・パラドックスが発生する原因で有力なのが、IT技術の出現による経済構造の変化が挙げられる。
世界に展開された事業拠点に、通信ネットワークを張り巡らし、管理コストの重層性を排除でき、世界レベルで事業の効率化が可能となった。
今日、有利な投資案件の多くは経済先進国にあることが多く、資本は経済先進国に留まり続ける。
人口わずか52万人のルクセンブルクの2012年の一人当たりGDPは10万386.37ドルと、世界1位である。
ちなみに1980年は世界5位で、一人当たりGDPは1万7736.86ドルだったので、この32年間で590%という驚異の経済成長を遂げたことになる。
金融立国で最も成功したルクセンブルクのGDPの8割が、金融とその関連サービスで占められている。
国内には153もの金融機関があり、そのうち9割が外国銀行となっている。
ルクセンブルクは、国際金融センターを築いた結果、自国の労働人口31万人に対し、フランスなど周辺国から毎日13万人もの人々が通勤している。