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2016年7月29日金曜日

小渕総理が倒れた後に、森喜朗の自民党総裁を決定した「五人組の密室談合」は、明らかに宏池会外しだった。
官房長官の青木幹雄、幹事長の森喜朗、政調会長の亀井静香、参議院議員会長の村上正邦、幹事長代理の野中広務の5人で、小渕の後継を決めたのである。
この中には、党三役である総務会長の池田行彦(宏池会)は呼ばれなかった。
ドイツは日本と同じ敗戦国だが、日本と違うのは、東西冷戦で国土が分割され、東ドイツが軍隊を持ち、その後ろにソ連がいたために、西ドイツは最初から連邦軍という軍隊を持ったことである。
しかし、「NATOの域外には派兵しない」というルールを作った。
その為、湾岸戦争では、イラク・クウェートはNATOの域外だったため、ドイツはアメリカが主導する多国籍軍に軍隊ほ派遣しなかった。
この時にアメリカの批判を受け、連邦軍をNATO域外へも派遣できるように、基本法の解釈を変えてしまった。
その後、ドイツはタリバン崩壊後のアフガニスタンの治安維持のために部隊を派遣し、50人以上の犠牲者を出している。
東西冷戦時には一発の銃弾を打つ事が無かったドイツ軍は、冷戦終了後に犠牲者を出すという皮肉な結果となっている。
日本の難民認定は厳しいと言われている。
その理由は日本の場合、6ヶ月経てば難民認定されなくても申請中に働けるので、最初から出稼ぎ目的で来て、ひと財産作ってから本国に帰るという人がいるからである。
そうはいっても、2015年に日本で難民認定を申請した人は7586人に対して、認められた人は27人にすぎなかった。
この落差に対して、世界から批判されている。
日本銀行は金融緩和をしても景気が良くならないので、2016年2月に日本初の金融政策である「マイナス金利」を導入した。
日本銀行に各銀行は「当座預金」を持っており、その中身は大きく2つ「所要準備額」と「超過準備」に分かれている。
所要準備額というのは、必ず日銀に預け入れておかねばならないお金の事で、一定額を預けることが法律で決められている。「法定準備預金額」とも言い、金融機関が破綻しないための預金である。
この所要準備額には金利は付かないが、所要準備額を超えた「超過準備」には、0.1%の金利がつく。
銀行全体が日銀に預けている超過準備の額は200兆円で、利息は0.1%としても2000億円にもなる。
そこで、黒田総裁はこの超過準備の一定額を超える部分に関して、0.1%のマイナス金利を適用することで、銀行の貸出を増やそうとする事を狙っている。
このマイナス金利導入により、銀行の利益が減るの事になり、実際には融資が大幅に増えることなく、ATMの時間外手数料の値上がりなど、銀行の手数料が上がりにより、国民負担が増えることになった。
アベノミクスの「新・三本の矢」の第一の矢「希望を生み出す強い経済」では、GDPを600兆円にするという目標が立てられている。
2014年度の名目GDPは490兆円、2016年度のGDP予想は518兆円であり、これを2020年に600兆円にするというのである。
この目標は過大だと批判されたが、政府は「GDPの算出方法を変える」という方法で達成しようとしているのである。
国連がGDPの算出方法を変更したが、日本はまだ変更していなかったので、2016年年末に変更することにした。
具体的には、企業の研究開発費を経費ではなく、GDPに算入するという変更で、これが20兆円あり、算出方法の変更だけで、20兆円のかさ上げが可能なのである。
日本の本土に住む国民の多くが、沖縄経済は「米軍の基地頼み」で、毎年国から莫大な振興予算をもらっていると勘違いしている。
実は1950年代前後の沖縄経済の基地への依存度は50%だったが、1972年の本土復帰直後には15.5%に下がり、最近は5%しかない。
国から出る「地方交付金」も沖縄は決して多くは無い。
人口一人当たり国庫支出金と地方交付税交付金の1位は岩手県、2位が鳥取県、3位が宮城県で、沖縄は9位となっている。
『アーミテージ・ナイ報告書』で注目すべきは、「武器輸出三原則の緩和で日米協力をすべき」という提言であり、これを受けて安倍政権は武器輸出三原則も大幅に緩和した。
武器輸出三原則という言葉を「防衛装備移転三原則」という表現し、武器を「防衛装備」、輸出を「移転」と言い換えた。
日本は、外国に武器輸出を開始すると共に、アメリカと協働で武器開発をすることとなる。
日本はアメリカ軍と協力することで、自国の防衛費を年間5兆円と低く抑えてこれたが、ちなみに自力で防衛力を維持しようとすると年間20兆円かかると言われている。
「世界一貧しい大統領」と言われたウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領は、幼くして父親を亡くし、子供の頃は道端で花を売り、家計を支えたという。
大統領時代の給料の9割を寄付し、残り1割の10万円でウルグアイ人の平均収入で生活していた。
ムヒカ大統領は、格差を無くすことに力を尽くし、貧困層への一戸建て無償支給を行った。
しかし、単なるバラマキではなく、週に20時間は職人と一緒に家の建築を手伝い、子供を学校に通わせ、歯磨きの習慣を身に着けさせる事が条件だった。
10年前に30%だったウルグアイの貧困層は、現在10%近くまで下がっている。
原子爆弾は、原子核の核分裂の仕組みを使っているが、水素爆弾は水素の核融合を利用する。
太陽が熱を出しているのは水素の核融合が起きているからで、原子核を融合させるともの凄いエネルギーが発生、原爆以上の爆発が起こせる。
水素の核融合を起こすためには1億℃以上の熱、あるいは1000億気圧をかける必要があるが、通常の火薬ではできないので、原爆を使用するしかない。
つまり水爆とは、原爆を起爆剤にして高熱・高圧を創り出すことによって、水素の核融合をもたらす仕組みなのである。
アメリカもソ連も水爆を作ったが、あまりにも爆発力が大きすぎて、人間のコントロールができず「使えない兵器」と言われた。
北朝鮮が水爆実験に成功したと発表したが、そもそも地下で爆発させることができるほど、小さな爆発ではない。
現在の原油価格の下落はイスラム国対策という見方もある。
イスラム国は、イラクとシリアの油田地帯を占有し、密輸によって資金を得ている。
アメリカ財務省の資産によると、イスラム国の石油の年間収入は600億ドルで、仮に現在の30ドルから60ドルに戻れば収入は倍増することになる。
イスラム国の収入源を絶つという思惑もあり、原油価格の下落を黙って各国が見ているというのである。
デング熱は高熱が出るが命にかかわる事は殆どないが、マラリアは命を落とす事がある。
重症のマラリアを媒介する蚊は、東南アジアからアフリカにかけて生息するが、今後の温暖化によって北上の可能性がある。
ちなみに、蚊が媒介する感染症による死亡者は、世界で年間72万人にのぼる。
中国は1976年に毛沢東の死去後に、毛沢東の方針を大転換し、一人っ子政策を開始した。
一人っ子政策を推進するための国家組織を作り、2人目が生まれると高額の費用が請求されたり、女子が生まれると生き埋めにした結果、男女の人口比率がアンバランスとなり、無戸籍の子供が増加したりと様々な問題が顕在化してきた。
中国政府は、2013年から一人っ子政策の緩和政策を行い、親が一人子同士ならば2人目を生んでもよいなど、対象を絞って産児制限を解除している。
産児制限を加除すれば、1100万世帯から2人目が生みたいとの新生があると予測していたが、実際に申請したのは80万世帯しかいなかった。
もはや、一人っ子政策撤廃も手遅れで、急激すぎる少子高齢化が、今後の中国経済の足かせとなる。

2016年7月28日木曜日

安保法案は11件の法律をまとめて提出されたが、それら個々には顔が無く、「架空の戦争」に備えた「架空の準備」の法律だった。
安保法制に出てきている個別のメニューには、今までやれなかった事がやれるようになるというだけで、その意味では議論として目新しいものは、実は殆どない。
カルヴァン派が理解できれば、アメリカという国がもっと見えてくる。
キリスト教は、16世紀のヨーロッパでの宗教改革によって、それまでのローマ・カトリックとは別にプロテスタントが生まれた。
カトリックでは日常生活で罪を犯すと、神父に懺悔することで、その罪が許されるとされている。
この発想を発展させ、ローマ法王レオ10世は、サン=ピエトロ大聖堂の新就く資金調達のために贖宥状(免罪符)を売り出し、教会に寄付をすれば、その功績により過去の罪がゆるされ、天国へ行けるとした。
これに対してもドイツのマルティン・ルターは、法王の方針を厳しく批判し、キリスト教の改革運動を始め、フランスのジャン・カルヴァンも独自の改革を進め、こうした改革運動がヨーロッパに広がり、イギリスにも伝わることとなる。
彼らは従来の権力に抗議する人(プロテスタント)と呼ばれ、やがて彼らプロテスタントが北アメリカに渡り、アメリカを建国するのである。
宗教改革の中で、カルヴァンの教えは「予定説」と呼ばれ、「神は全能であり個々の人間が救われるか救われないかも、あらかじめ決まっている」というものである。
カトリックでは善行を積めば死後に天国へ行けるとされるが、あらかじめ決まっているとなれば、信者たちは不安になり、そこで何とか天国に行ける「救いの確証」を自分自信で作ろうと努力するようになる。
全てを神が決めるなら、職業も神が与えたはずと考え、仕事に全力を尽くせば、自分は神から選ばれた「救われる人間」に選ばれている証だと考えるのである。
労働こそが救済の手段と考え、カルヴァン派の人々は怠惰な生活を戒め、仕事に全力を尽くすのである。
その結果、お金が貯まり、資本が蓄積され、資本主義が生まれるのである。
EUには、シェンゲン協定というのがあり、この協定を結んでいる国同士はパスポート検査などの国境管理を辞めるという取り決めである。
現在26カ国が締結しているが、EUに加盟していてもシェンゲン協定に入っていない国もあれば、EUに加盟していなのにシェンゲン協定を結んでいる国もある。
永世中立国のスイスは、EUにもユーロにも入っていないのに、シェンゲン協定には加わっており、周辺国との行き来が自由になっている。
2015年11月13日に起こったフランス同時多発テロ事件後に分かった事は、今回の容疑者の多くはフランス国籍で、シスラム国で作戦が立案され、実際の犯行計画はベルギーで練られ、武器もベルギーで調達し、フランスで実行されたという事である。
ベルギーはフランスとドイツの緩衝地帯としてあるような国で、ベルギー語というものはなく、北部はオランダ語、南部はフランス語、東部の一部はドイツ語が公用語となっている。
ヨーロッパの真ん中にあり、複数の公用語があるので、「ベルギーこそヨーロッパの縮図」と言われ、首都ブリュッセルにはEUの本部がある。
それぞれの言語ごとに連邦警察と地方警察があり、フランス語を話す警察官とオランダ語を話す警察官とでは、意思の疎通ができず情報共有ができないという。
EUにはシェンゲン協定があり、協定を結んでいる国同士は国境線を意識せずに往来が自由になっている。
ベルギーとフランスはシェンゲン協定で行き来が銃で、南部はフランス語圏なのでフランス国内を移動しているようなものであるにも関わらず、フランスで事件を起こした容疑者がベルギーに逃げ込めば、フランスの警察は捜査ができなくなる。
よって現在、ベルギーがヨーロッパのイスラム過激主義者たちが多く集まる拠点的存在となっている。
「ひとつのヨーロッパ」の理想が、思わぬ形で裏目にでてしまっているのである。
移民大国のフランスの統計機関による移民の定義は「外国で生まれ、生まれたときにフランス国籍を持っていなかった人」となっている。
フランスは、ヨーロッパ各国、旧植民地の北アフリカから移民を受け入れて発展してきた国である。
2008年の調査では、フランスに居住している移民の数は534万人で、人口の8.4%だった。
この数字には移民の二世、三世は含まれない。
このうちフランス国籍を取っているのは217万人で、残り317万人はフランス国籍を取得しないまま滞在していることになる。
さらに不法滞在している外国人が数十万人いると言われている。
フランスの移民政策は徹底的な同化政策であり、「フランスに移民してくるなら、よきフランス人になりなさい」と強制し、政教分離も徹底している。
フランスでは公立学校に宗教のシンボルの持ち込みが禁止されている。
一世は自分の意思でフランスに来たのだから、よきフランス人になろうとするが、二世、三世になると自分はフランスで生まれ、最初からフランス人だと思っているので、それなのにキリスト教社会で差別を受ける。
移民の中には就職できない人も多く、移民の失業率は16%にも上り、移民の二世、三世は自分のアイデンティティ、存在価値を悩む中で、イスラムへ回帰し、シリアへ向かう若者が出で来るのである。
今、フランスで起こってるのは、国内で生まれ育った若者がテロをする「ホームグロウン・テロリズム」である。
フランスの同化政策が「ホームグロウン・テロリズム」を生み出している。
ヨーロッパ諸国の植民地支配のやり方は、少数派を使って多数派を支配させ、自分達への反発が起きない仕組みを取った。
例えばフランスがインドシナを統治した際には、ベトナム人を使ってカンボジアを統治させた。
その結果、カンボジア人の植民地支配への怒りは、フランス人に向かわずにベトナム人に向かった。
その後のカンボジア内戦にベトナムが入り泥沼になるが、カンボジア人のベトナム人嫌いは現在も変わらない。
フランスは同様に、シリアの統治には、少数派のアラウィ派を重用し、多くのスンニ派住民を支配させた。
その結果、フランスが引き上げた後も、スンニ派が多数の国であるシリアを、少数派のアラウィ派のアサド家が支配する構造が残った。
ベルギーはルワンダを植民地支配した際に、少数派のツチ族を使って多数派のフツ族を統治させた。
その結果、ルワンダが独立した後、ツチ族とフツ族が対立し内戦となり、フツ族によるツチ族の大量虐殺が起こる。
ヨーロッパ諸国の植民地統治によって、それぞれの植民地に負の遺産である民族対立が残り、今、ヨーロッパ諸国はその過去の植民地支配に対する報復をテロという形で受けているのである。
サウジアラビアとは「サウド家のアラビア」という意味であり、国家という概念とは少し違い、サイド家が支配しているアラビアの敷地の中に国民を住まわせて養っているという発想である。
サウジアラビアは一夫多妻制の国で、初代国王に大勢の子供がいた。妻を4人まで持てるが、好きな女性ができると、4人の中から誰かと離婚し、別の女性と結婚して常に4人の上限をキープすれば良いのである。
延べにすると大変な数の女性と結婚し、たくさんの子供をもうけた結果、初代国王には王位継承権がある男子だけでも60数人いると言われている。
その60人がまた大勢の子供達をもうけており、サウジアラビアには国王の王位継承権を持っている王子が数千人いると言われている。
イランは国民が選挙で大統領を選ぶが、大統領の上に最高指導者が君臨している。
最高指導者はイスラム法学者が選出し、大統領も頭が上がらない。
最高指導者のアリー・ハメネイ師は黒いターバンを巻いており、ハサン・ロハウニ大統領は白いターバンを巻いている。
シーア派の世界で、黒いターバンを巻いているのは「ムハンマドやアリーの血筋を引いている者」を意味し、エリートなのである。
白いターバンを巻いている人は、エリートの血筋ではないが、一生懸命勉強することでイスラム法学者になれた人である。
つまり、白いターバンより黒いターバンを巻いた人の方が、位が高いのである。
ところが一方で、黒いターバンを巻いている人はムハンマドやアリーの血筋を引いており、アラブ人の血筋で最高指導者はアラブの血筋となる。
イランはペルシャ人の国だから、黒いターバンを巻いている人は新信仰上は尊敬されるが、白いターバンを巻いている人の方が、同じペルシャの血を引くイラン人として親近感が持てるのである。
イランは徴兵制の国で、国軍の兵士は一般庶民である。
国民の生活が困窮すれば、兵士は庶民の見方をするため、これによってイラン革命が成立したのである。
政権を取ったホメイニ師は、今度はいつイラン軍が自分達を裏切るか不安になり、イラン軍がクーデターを起こそうとしたら、それを叩き潰すために「イラン革命防衛隊」を創設した。
彼らは徹底的にシーア派の原理主義教育を受け、最高指導者のために命を投げ出すという強い思想を持ち、この部隊が国軍を監視する仕組みになっている。
革命防衛隊が最新の兵器を使い、非常に強い力を持っている。
この革命防衛隊の中には、海外で活動をするための特殊部隊「アルクッズ部隊」があり、彼らがあくまでもボランティアの「シーア派民兵」としてイラクとシリアに派遣され、イスラム国と戦っている。
イスラム国が支配している面積はイギリスほどの広さがあり、800万人とも1000万人とも言われる一般住民も暮らしている。
イスラム国は、これらの住民から行政のプロである元バース党の役人が、税金も徴収している。
テロ組織とされるが、これまでの過激派テロ組織とは決定的に違うのである。
イスラム国の支配地域には、キリスト教徒やユダヤ教徒も存在するが、イスラム教のコーランには「ユダヤ教もキリスト教も同じ教典の民」という言い方があるため、宗教はそのままでよいと認められている。
しかし、イスラム教のシーア派は認めていない。
彼らにとってシーア派は「イスラム教を捨てた背教者」であり、イスラム教をやめるということは神を捨てるということで、死刑に値するのである。
イスラム国を作ったのはアメリカである。
アメリカは2001年に発生した「9.11同時多発テロ」に対して、ジョージ・W・ブッシュは「テロとの戦い」と言い出し、オサマ・ビンラディンをかくまうアフガニスタンのタリバン政権を攻撃し、崩壊させた。
次にイラクのサダム・フセイン政権は大量破壊兵器を隠し持っていると言い出し、2003年3月にイラクを攻撃し崩壊させたが、イラクには大量破壊兵器は存在しなかった。
イラクのフセイン政権は「バース党」の一党独裁だった。
「バース」とは「復興」という意味で、正式には「アラブ社会主義復興党」であり、イラクはアラブに社会主義を衣目養というソ連寄りの政権だったのである。
イラクはバース党員にならなければ出世できない国だった。
地方も国も公務員、警察官、医者、教員、軍隊の将校も全てバース党員だったのである。
アメリカがフセイン政権を支えていたこのバース党員を全員、公職追放したため、役人が誰も出勤せず、一夜にしてイラクの統治機構は崩壊したのである。
フセインはスンニ派だったので、バース党員の多くがスンニ派であり、バース党員だった兵士達はいきなり解雇され、頭にきて武器や弾薬を盗んで逃走し、イスラム国の種がまかれるのである。
北朝鮮の金正恩は、自分の命令に従わない者を情け容赦なく処刑している。
叔父の張成沢の処刑には、高射砲を使用したという。
処刑する場所に立たせ、飛行機を墜落させる時に使用する高射砲を水平に発射し、身体をバラバラにしたというのである。
この残虐な処刑を政府高官らに見せ、誰も彼に逆らえなくなっている。
サウジアラビアは、イスラム教の中でも特に教えが厳格な「ワッハーブ派」で、広い意味では「スンニ派」に属する。
神様が人間に与えた「コーラン」が憲法であり、法律など人間が勝手に決めてはいけない、という考え方をする。
金曜日には、広場で公開処刑が行われ、イスラム国と同じ思想を持っている。
隣国のイエメンで、暫定政権と反政府勢力が内戦状態となっている。暫定政権はスンニ派、反政府勢力はシーア派の中の「フーシ派」であり、サウジアラビアはスンニ派の暫定政権の支援のため軍隊へ派遣している。
それに対して、反政府勢力のフーシ派にはイランが軍事支援している。
つまり、イエメンでは、サウジアラビアとイランの代理戦争が既に始まっているのである。
戦費がかさみ、サウジアラビアの2016年予算は10.5兆円の赤字となっている。
スンニ派の大国であるサウジアラビアと、シーア派の大国であるイランの国交断絶により、第5次中東戦争に発展する可能性が出てきている。
ちなみに、サウジアラビアはアラブ人、イランはペルシャ人の国である。
イラン人にすると「自分達はアラブよりずっと古い歴史を持っている。古代ペルシャ帝国はローマ帝国よりも先に世界を支配した。サウジアラビアなどは、砂漠の遊牧民でしかない」と考えている。
一方、サウジアラビアで、ムハンマドがイスラム教を始め、ムハンマドの生誕の地でありカーバ神殿がある「メッカ」と、ムハンマドの墓がある「メディナ」というイスラム教の二大聖地が存在する。
だからサウジアラビア人は「自分達こそがイスラム教の聖地を持つアラブの盟主だ」と考えている。
結局、ペルシャ人はイスラム人に負け、自分達の宗教を捨てて、イスラム教の国になったが、その時にイランはイスラム教の多数派「スンニ派」ではなく、少数派の「シーア派」に付き、これが対立の火種となる。
アラブ人は、歴史的にペルシャ人が広大な範囲を支配していた事を知っているので、ペルシャ人への恐怖心がある。
ちなみに、「市場」のことを何と呼ぶかで、昔ペルシャ帝国の文化圏だったかどうかが分かる。
アラブの国では、市場のことを「スーク」と呼ぶ。
ペルシャ語で市場は「バザール」であり、バザールと呼ぶ国は、かつてペルシャの支配下にあった事が分かる。
ドイツに大量の難民が押し寄せ、2014年に20万人、2015年だけで100万人超の難民を受け入れている。
2015年に多数のアラブ人がヨーロッパに押し寄せた。
シリア難民でけではなく、中央アジアのアフガニスタンやパキスタン、北アフリカのエリトリア、ナイジェリア、ソマリア、チュニジア、リビアからの流入しており、「21世紀の民族大移動」と呼んでもよい規模感となっており、2000年単位での民族の大移動が起きている。
世界史的には、かつてゲルマン民族の大移動があった。
4世紀に中央アジア方面にいてフン族が、ゴート族を押し出し、それによってゲルマン民族の大移動が起き、ローマ帝国領内に流入しもこれにより西ローマ帝国は476年に滅亡した。
このゲルマン民族が、今のヨーロッパの基礎を築いたのである。
アーリア人の大移動もあった、
中央アジアにいたアーリア人が南下する中で、一部が現在のイランあたりに住み着く。
イランとは「アーリア人の国」という意味であり、アラブ人とは民族が異なる。
先進国においては、金利の長期的低迷は必然である。
高度成長経済が続いた後に、同じことをそのままずっとやって、100年も経つと利益率はどんどん低減していく事を「利潤率逓減の法則」と言うが、先進国では殆ど利益が出なくなってしまう。
日本では100億円投資して、1年後に102億円(利益率2%)しかならないような業界が多くある。
だから、従業員の賃金カットでしか利益率を上げることができないのである。
そして、多くの先進国では賃金が下がり続け、経済全体が激しいデフレのまま、無理やり「期待インフレ率」という「物価上昇率が2%まで上がればよい」などという奇想天外な政策が流行っている。
ゴールドマン・サックス証券は、2015年8月に日本の防衛関連売上高の大きい20銘柄で構成する「日本防衛関連銘柄バスケット指数」を作成、投資家に向け保有を推奨している。
同指数には三菱重工業や川崎重工業、IHI、新明和工業、三菱電機、NEC、日本航空電子工業など既に市場で知られる代表的企業のほか、航空機器メーカーの島津製作所、宇宙・衛星事業を手掛けるスカパーJSATホールディングスなどが含まれる。
防衛省は、戦闘機など大型の防衛品は米国から調達しているが、艦船、システム、弾薬は日本企業からの調達という構図になっている。
コンピュータを使用した超高速取引であるロボット・トレーディングを「HFT(High Frequency Trading)」といい、今や100万分の1秒で取引を繰り返す事が可能である。
このHFTが株式市場だけでなく、国債市場にも入ってきている。
新発債券の売買は相対取引が基本なので、取引市場という意味での「債券市場」は既発債の売買が中心となる。
こうした特性から、債券市場ではシステム・トレーディングが株式市場に比べてこれまで未発達だった。
その結果、米国債が数分の間に40ベーシスポイントも動く変動を記録する事態が起こっている。
40ベーシスポイントとは0.4%で、このゼロ金利状態において0.4%の値動きとは、乱高下どころか、ハイ・ボラティリティである。
1日に40ベーシスポイントの値動きとは、正規分布を想定すると「30億年に1回の頻度でしか起こり得ない比率」となる。
しかし、この30億年に1回が現実に起こるようになっている。
ちなみに、為替市場では、全世界で1日に5兆ドルが取引されているが、そのうち60%がHFT取引となっている。

2016年7月26日火曜日

日本郵政株式会社は、持ち株会社であって、総資産が295兆円、純利益が4800億円、業種はサービス業と自ら分類している。
ところが、この日本郵政の総資産は、ゆうちょ銀行208兆円、かんぽ生命84兆円が、その殆どを占めている。
4つ目に、日本郵便という会社があり、全国2万4000局の郵便局のネットワークを持っているが、そこで働いている郵便局員の人件費を賄っているだけの組織である。
ちなみに、特定郵便局は、個人資産として「〇〇町〇丁目郵便局」と名乗って、個人事業として世襲で郵便局屋を経営していた。
日本のダイヤモンドは、0.2カラットぐらいのクズのようなサイズから全て写真を撮られていて、番号が控えられ、業者間で取引されている。
ダイヤモンドは原石を輸入した瞬間から厳しく管理されているのである。
宝石業者は、この国が決めたルールから逃げられないように、厳重に税務署に監視されているのである。
これは贅沢品への課税として、1940年に導入された「物品税」という税制が始まって以来の宿命である。
出光興産と昭和シェル石油は、2016年内に合併に向けて新会社設立の準備をしている。
これは簡単に言えば、純然たる英資本であるロイヤル・ダッチ・シェルが、日本ではもう石油の元売り業は儲からないから、本当は同じ三井系である「民族石油資本の雄」の出光石油に、株を売却して撤退する事を決めたということである。

2016年7月16日土曜日

アメリカの第16代大統領のエイブラハム・リンカーンは、奴隷解放を宣言した人道主義者という印象が強いが、実は南北戦争では大統領でありながら北軍の最高司令官という、もう一つの顔がある。
軍歴は州兵として数カ月勤務した程度だったが、開戦後に国会図書館に籠り、独学で軍事的思考を身に着けたリンカーンは、「南北戦争を早期に終結させて合衆国の統一を維持する」という政治目的を実現するために、苛烈な作戦を推し進める。
それは軍隊同士が会戦の場で決着をつけるというナポレオン以来の常識を覆して、一般の市民、女性や子供、老人を攻撃目標に加えるというものだった。
これにより南軍の戦意を失わせ、降伏を促そうとした。
これは第一次世界大戦で展開される総力戦を先取りした発想だった。
その結果、多くの非戦闘員が犠牲となり、今でもアメリカ最多の戦死者が出たのは南北戦争である。
そうした軍事行動の一方で、リンカーンが世界史的なスケールの判断を下したのが奴隷解放宣言だった。
これ宣言によって、北部の戦争の大義を道徳的な高みに押し上げると同時に、黒人奴隷を戦場や生産現場へ投入することにつなげ、早期の勝利を手にしたのである。
奴隷解放宣言は、明らかにフランス向けのメッセージで、イギリスの干渉も防ぐことに成功している。
リンカーンは残酷な作戦であっても、アメリカ史や世界史の大きな流れの中では、いずれ許容されるだろうというビジョンを持ち、歴史の大局的な予見能力というリーダーの資質を持っていたのである。
安倍政権の対ロシア外交の機能不全は深刻である。
2015年5月に、ロシア側の要請に沿う形で、安倍総理とセルゲイ・ナルイシキン・ロシア下院議長との会談が都内で持たれた。
ナルイシンキは、ウクライナ問題に絡んでアメリカなどが「出入り禁止」にしてい人物である。
そしてその1週間後には、安倍総理はウクライナを訪問して、「ロシアには対話と圧力をもって働きかける」と述べている。
このようなねじれたことを平気でやっているのである。
中国は中東にエネルギーを依存しているだけではなく、2012年にサウジアラビアの鉄道建設計画を受け入れ、原子力エネルギーなどに関する協力関係を強化する合意を取り付けている。
中国のサウジアラビアからの原油輸入量は、2005年の2500万キロリットルから2011年には5900万キロリットルにまで゜増大している。
一方、アメリカのサウジアラビアからの輸入量は8900万キロリットルから6900万キロリットルにまで減少している。
これはシェール石油の自国生産を計画的に増やすという戦略があるからである。
エネルギー戦略が見当たらないのが日本であり、石油メジャーにたよらない初の日の丸油田として開発されたカフジ油田から撤退したのは2008年で、契約延長の条件としてサウジアラビアが提示した2400億円足らずの鉄道施設計画を断ったからである。
日本はウクライナに、何の見返りも求めない資金を2014年から2015年にかけて年間2310億円も渡しているのに、サウジアラビアに対して2400億円を出せないはずはない。
そもそも日本がサウジアラビアから安定的に6000~7000万キロリットルを輸入できた背景には、アメリカがサウジや湾岸諸国の体制維持と安全保障に貢献してきたからである。
しかし米・イラン関係が改善し、米・サウジ関係が悪化に向かったら、この基本構造が崩れてしまう。
アラビア海、インド洋から紅海への入り口であるバーブ・アル・マンデブ海峡およびホルムズ海峡一帯の安全保障は、バハレーンに司令部を置く米海軍第五艦隊が担っている。
この第五艦隊が守っているのは、湾岸戦争当時は日本の石油だったが、現在は中国の石油である。
2011年の石油輸入額はアメリカが4620億ドル、中国が2350億ドル、日本は1820億ドルで、既にちゅうごくは日本を抜いている。
今後、中国は2030年には石油需要の75%を輸入せざるを得なくなるという試算もある。
石油は単なるエネルギーではなく、石炭や原子力ではミサイルを飛ばす事は出来ないので、軍需を含めた戦略物資なのである。
中国が「国連海洋法条約」を無視するのは、1982年に成立したこの条約が、例えば「無人島が領海を持てるか否か」といった点で中身の変遷を重ねて来たことも原因である。
中国は欧米列強が、自分達に都合のいい中身を勝手に押し付けているだけであると考えているのである。
国連海洋法条約が現在の形になったのは、1994年である。
条約では、干潮時の海岸線を「基線」として、そこから12海里が「領海」、さらにその外側12海里までが「接続水域」で、基線から200海里は「排他的経済水域(EEZ)」となる。
現行の条約において、大陸以外で基線が引けるのは島か岩で、EEZまで設定が可能であるが、分岐点は人が住めるか住めないかで、設定できるのは領海と接続水域だけというのがポイントである。
ちなみに、岩を埋め立てて住めるようにしても島にすることはできない、という明文規定がある。
日本が中国の南沙諸島でやっている島づくり問題を、ことさら立てていないのは「沖ノ鳥島問題」があるからである。
日本最南端の沖ノ鳥島のおかげで、日本のEEZは世界第6医の広さとなっている。
沖ノ鳥島は満潮時に16センチメートル海上から顔を出す「島」の周りを、チタン技術を生かして覆い、コンクリートブロックで囲んで埋め立てているのである。
海洋法の規定からすると限りなく「岩」に近いと言わざるを得ない。
中国のエネルギー戦略には、中国首脳の出自が色濃く反映している。
中国共産党の首脳部が、日米の政治エリートと大きく違うのは、大半が水資源、電気、地質といった科学技術の専門家であるという点である。
例えば、胡錦濤は清華大学の水利工程部(日本風でいえば工学部水利学科)、習近平は同じく清華大学の科学工程部、温家宝は北京地質学院で石油や天然ガスの専門家だった。
つまり中国のリーダーたちは、自国の資源・エネルギーの危機について十分な認識を持っており、それが安全保障感覚とリンクする事で、テクノクラート型政治スタイルを形成している。
ロシアもソ連時代を含め、プーチン、ゴルバチョフ、レーニン、スターリンを例外として、時のリーダーは基本的に技術系エリートである。
エリツィンは建築、ブレジネフは冶金が専門で、ドニエプロジェルジンクス冶金大学で学び製鉄所の技師だった。
シリアにおいて、反アサド陣営の現状は、35%がイスラム国、35%がスンナ派武装組織ヌスラ戦線、20%がスンナ派武装組織のアハラール・アル・ジャーム・イスラム運動でうち半数がアルカイダである。
残り10%が自由シリア軍プラスアルファで、この中に世俗主義的なグループが含まれていたが、彼らは殆ど壊滅してしまった。
この中で、イスラム国、自由シリア軍も力が弱いと消去法で話を進めると、スンナ派由来のジハーディストと組まねばならなくなり、それは有り得ないのである。
アサド政権を倒し、イスラム国を倒し、健全な世俗主義に立脚した第三勢力をサポートすると言っても、そのような実力のある組織は存在しない。
2016年1月末のジュネーブ会議で、表れた「穏健派反政府勢力」なるものをロシアが相手にしないのは当然なので、この会議は頓挫してしまった。
イスラム国の成り立ちを見ると、その担い手になってリーダーシップをはっきしているのは、イラク出身者である。
だからイスラム国の増殖が単純なイスラーム現象だという捉え方かは狭く、イラク・ナショナリズム的なものの変質という側面があることを認識しておく必要がある。
イスラム国の軍司令官レベルにはもチェチェン人が非常に多く、彼らが中東の地で、ロシアに制圧された独立闘争の弔い戦や延長戦をやっているので、ロシアはアサド政権を支持し、イスラム国の掃討に力を入れるのである。
イランには自分達はアーリア人の直系だという強烈な認識がある。
セム系のアラブとか傍流のアフガン人とは違うという強固な自負心がある。
そもそも自分達はアケメネス朝やパルティア、ササン朝以来、アナトリアからギリシャまで統治していた地中海国家であり、ギリシャ、メソポタミア、イラクというのは、その属州に過ぎなかっただはないか、という歴史認識が、現在のシリアへの関与に反映しているのである。
まさにペルシャ帝国主義の復活である。
今回、シリアで難民となっていのは、大半がスンナ派アラブ人であり、アフガン難民もスンナ派が多くシーア派は少数だった。
イランがシリア難民を全く受け入れないのは、露骨なまでのスンナ派に対する宗派主義的な拒否反応が背景にある。
日本では全く触れられないが、シリアから400万人の難民が流れ出す中、近隣イスラ―ム国家でありながら、シリア難民を受け入れていない国がある。
皮肉にも核合意の「ウィーン最終合意」によって、事実上国際部隊での市民権を回復し経済制裁を解除させたイランである。
この国は、かつてアフガン戦争の時にも難民受け入れには極めて冷淡な態度を貫いた。
欧州で人口30万人のアイスランドでさえ、20~30人のシリア難民を引き受けている。
一貫してアサド政権を支持し続け、シリア紛争に関与しながらイラクは難民受け入れを拒んでいる。
ちなみにシリアでは人口2300万人のうち既に400万人が難民として国外に流出し、700万人が国内で難民と化している。
ロシアは以前からシリアのアサド政権に対して武器供与を行っているが、最近注目されるのは「パーンツィリS1」(NATOコードではSA22)という最新の近距離対空防御システムを提供したことぶある。
これはミサイルと機関砲の領邦を装備していて、近距離からのミサイル攻撃には後者で対処するという非常に撃墜率が高い兵器である。
しかもシリア人にはこのシステムを運用できないので、ロシア人が乗り込んで稼働させているのが事実である。
撃ち落としているのはシリア正規軍に対する掃討攻撃をやっている米軍の無人爆撃機で、今後は友人飛行機やヘリも犠牲になると思われる。
ロシアの中東での存在感の増大として見逃せないのは、2015年6月に行われたサウジウアラビアのムハンマド・ビン・サルマーン副皇太子とプーチン大統領との会談である。
この会談で、今後20年間にサウジ国内で建設を計画している16基の原発のトータル氏住む手に関する協定をロシア国営企業と締結し、原発の設計から運用まで含めてロシアに委ねることが決まったのである。
他にも「パーンツィリS1」をオマーンが12基、アラブ首長国連邦も50基を導入しており、湾岸の米国の同盟国であるはずの国が、パトリオットよりも安いし性能が良いという理由で導入しているのである。
2014年のスコットランド独立を問う住民投票を論じるうえでキーマンの一人が、スコットランド出身の元英首相のトニー・ブレアである。
ブレアは、1998年に権限移譲と分権議会の設置を認めたスコットランド法を制定した。
ブレア政権のもとで、北アイルランドにも議会をでき、19世紀から繰り返されていたテロ抗争が落ち着いた。
中でも賢明だったのが、ナショナリストのシン・フェイン党に、英国の国会に当たるウェストミンスター議会の議席を与えたことである。
シン・フェイン党は、アイルランド民族主義者の私兵組織「IRA(アイルランド共和軍)」の政治部門であり、テル組織に国会の議席を認めるような決断をやっているのである。
結果的に、武装解除に成功したのである。
出口が見えないように思えた紛争に対して、議会主義を基盤にした紛争解決に成功したのである。
ナショナリズムとは、その時と場所の状況に応じて、人々を結び付けていく力である。
ナショナリズムは「国民」を創り出し、国民に自覚を促すうえで強い統合力を持つ。
東西ドイツは、冷戦体制の中でも同一性の高い関係にあった。
ドイツの国民宗教はプロテスタントで、伝統的なドイツ福音主義協会(EKD)という組織があって、1945年に第二次大戦が終わり、1949年に東西ドイツが建国された後も、ずっと統一組織だった。
東ドイツに東ドイツ福音主義同盟(ブント)というEKDと袂を分かつ組織ができたのが1969年で、それまでは人事異動も自由で、神学生も東西ドイツを行き来しており、牧師や神学生は東西の政府も手を出せない聖域だった。
ドイツ首相のアンゲラ・メルケルの父親はそこの牧師だった。
ブントかできた時に、西ドイツ出身者の大多数が西側に帰ったが、彼女の一家は東側に残った。
20世紀のキリスト教神学に多大な影響を与えたスイスのカール・バルトですら、西ドイツではなく東ドイツに足を延ばした。
東ドイツの政権政党であった社会主義統一党というのは、1946年に社会民主党と共産党が対等合併してできている。
人民議会は複数政党制で、キリスト教民主同盟あり、自由民主党あり、国家民主党というナチス党さえあった。
体制の外に出すと政権に対する反対運動を始める恐れがあるので、全て議会に取り込んで、体制野党として議会で競わせた。
イスラム国の誕生により、中東において、シーア派のリーダーであるイランと、スンナ派のリーダーであり、メッカ、メディナの両聖地の管理者であるサウジアラビアという、2つの大国が「宗派主義」を自ら先頭に押し立ててしまった。
中東では宗派という想像された共同体が最も重要な共同体となっており、同じ国民でありながら、スンナ派とシーア派が対立し合うのが宗派主義である。
そこにスンナ派のイスラム国というイスラーム過激派集団が現れで、更に悪い事に「宗教浄化」を始めてしまった。
お互いに残滅するという方向に進んでいるのがシリア戦争の現状である。
実際にシリアで行われているのは内戦ではなく、ロシアが空爆を通じて当事国となっており、イランも革命防衛隊を投入し戦争当事国となっている。
イランは、最精鋭部隊のイスラーム革命防衛隊をイラクやシリアに秘密裡に派遣して、イスラム国との殲滅戦を展開し、一定の成果を挙げている。
このような状況にサウジアラビアは危機感を強め、イランよりイスラム国の方がまだましであると考えるようになった。
サウジアラビアとイランという国家が公然と国交を断絶したことは、最も厳しい事態だと言える。
理論的には、国交断絶というのは、次のステップは戦争行為ですよという意思表明なのである。
イスラム国はスンナ派に属している。
日本から見ているとイスラム国は、欧米、イスラエルを相手にテロ行為をしているように見えるが、実は最初のターゲットはシーア派であり、これは「内ゲバ」の論理であり、ひと昔前の日本の新左翼と同じ発想なのである。
本当の革命をやるとめには、まず最初に敵対する他の新左翼グループを滅ぼさねはならないという論理なのである。
つまり、イランとしてはイスラム国の挑戦を本気で受けて立ち、国家存続のためにイスラム国を殲滅することが不可欠となった。
ソビエトができたのは1917年のロシア革命の段階ではなく、1922年にソビエト連邦という国家が成立した。
1919年には全世界に共産主義を広める組織「コミンテルン(共産主義インターナショナル)」が作られた。
ソビエトが安定するまでの間は、国家なんていうものは暫定的で、ソビエトという国家は国際法を守るし、各国と大使の交換もした。
しかし、一方でコミンテルンでは世界革命を継続したのである。
シスラム国はこの両者が渾然一体となったような、ソ連の原型に近い状況にある。
周辺諸国は招致しないと言いながらも、自室上承認せざるを得なくなり、いわゆる「未承認国家」となる。
イギリスはロシアとの間に1921年に英ソ通商協定を締結し、国交は結ばないが貿易はするという関係で、まず通称代表部を認知するところから外交関係を広げていった。
また満州国とソ連も参考になる。
ソ連は満州国を国家としては認めなかったが、自国民の保護という名目でお互いの領事を交換し、ソ連の領事館はハルビンなどあちこちにあり、逆に満州区の領事館もソ連に置いていた。
「イスラム国を掃討するには10年間かかる」とヨルダンのアブドゥッラー国王は言っている。
この10年間という長期消耗戦をやっていける力が、どの国にあるかというと、なかなか厳しい。
ロシアでさえ、アフガン出兵が国家財政に過度の負担を強いて、ソ連解体を促した歴史がある。
現に、イスラム国には800万人の人々が統治されており、暴力やテロだけではこれだけの人口を統治できない。
少なくともスンナ派のシリア人は、アサド政権よりもイスラム国の方がまだましだと考えている人々が多い。
中央アジアでは、現在、キルギスとタジキスタンが破綻国家となっており、国土の一部地域が実行支配できなくなっている。
その隙間に「イスラム国」の戦士が流入し、拠点を作り始めている。
今後、イスラム国の影響は、キルギス、タジキスタンと国境を接する中国の新疆ウイグル自治区にも及ぶこととなり、歴史的に東トルキスタンと呼ばれる地域に「第二イスラム国」が形成されることとなる。
東トルキスタン地域のかなりの部分が山岳地帯であり、この動きを中国もロシアも米国も止めることはできない。

2016年7月14日木曜日

沖縄人にとって辺野古新基地建設は、中央政府による沖縄差別の象徴的事案である。
日本の陸地面積の0.6%を占めるに過ぎない沖縄県に在日米軍基地の73.8%が所在する。
中央政府は沖縄の負担軽減を口にするが、政府の計画が実現しても、沖縄の基地負担は73.1%になるに過ぎない。
しかも辺野古新基地は航空母艦が着眼可能で、オススプレーも100機常駐でき、普天間基地と比べて、基地機能が飛躍的に強化される。
普天間飛行場の辺野古への移設という中央政府の説明は不正確であり、実際は老朽化した基地から新基地の建設なのである。
「原発と沖縄の基地は、政府が地方に犠牲を強いた結果だ」という人がいるが、基本認識が間違っている。
原発は当該施設が設置される県と市町村の同意を得て、少なくとも形式的には民主的手続きを踏んで作られたものである。
これに対して、沖縄の米軍基地は、民意の同意を一切踏まずに作られたものである。
共産党が、柔軟路線を示し、国民連合政府を樹立するために野党の結集、野党共闘を訴えているが、これに対して北海道の地域政党「新党大地」の鈴木宗男代表は、共産党との協力を拒絶した。
鈴木氏が、2016年4月の衆院北海道5区補欠選挙で、自民党が公認する和田義明候補の支持を明確にしたのは、「共産党が推す候補とは一切協力しない」という信念であり、共産党との協力を拒否する理由は4つある。
第1は、鈴木氏の個人的経験である。
2002年の鈴木疑惑に際して、共産党は外務省から流出した極秘文書に基づいて、鈴木氏が北方領土交渉で国益を毀損していると非難した。その後、その文書が改ざんされたもので、共産党は改ざん文書をつかまされた事実を認めず、謝罪もしていない。
鈴木氏は「原口一博も辻本清美も公の場と個人にも間違いを認めて謝罪したが、共産党は無視している。自分達は絶対に間違えないというあの党の独善的な体質は変わっていない」と言っている。
第2は、共産党が北方4島だけでなく、ウルップ島からシュムシュ島までの18島を含む22島返還を要求していることで、こういう非現実的な要求を掲げでいる政党と一緒に行動すると北方領土交渉が完全に行き詰るからである。
第3は、共産党と手を組むと「新党大地」を支持する保守層が逃げていき、鈴木氏の支持基盤が弱体化するからである。
第4は、過去の経緯から創価学会の共産党に対する拒否反応が強く、共産党と手を組むと、創価学会との信頼関係が崩れ、公明党との関係が悪化するからである。
2015年8月14日に閣議決定した戦後70周年の安倍首相談話は、戦後レジュームを追認する内容と、それに反発する内容が混在したねじれた構成になっていた。
中でも安倍首相のカラーが最もよく表れていたのが、以下の箇所だった。
「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そして先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」
問題なのはこの論理構成で、戦後生まれの世代が人口の8割を超えているということから、「あの戦争に何ら関わりのない」という結論を導き出すことはできない。
歴史とは自分が直接関与していない過去の出来事との連続性を無視しては成り立たない。
その意味で、「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」という認識は正しいが、それと戦後生まれの世代が「あの戦争には何ら関わりのない」という文言は明らかに矛盾しており、議論が錯綜しているのである。
自民党勉強会における自民党国会議員と作家の百田尚樹による報道圧力、沖縄軽視発言事件は、自民党のおごりを可視化させた深刻な事件だった。
「文化芸術懇談会」は、文化人や芸術家との意見交換を通じ、「心を打つ『政策芸術』を立案し、実行する知恵と力を習得すること」を目的としているという。
そもそも「政策芸術」という発想自体が、スターリン時代のソ連や、ナチス・ドイツが政治目的で芸術や文化を利用するというプロパガンダ(宣伝)戦術である。
「政策芸術」が可能であるという発想自体に、現在の自民党の反知性主義的体質が顕著に表れている。
幸いにも、自民党の千葉県県議会議員の瀧田敏幸氏が、この件で2015年6月28日に、ブログでまともな発言をしているのが救われる。(現在は消去されているが)
「作家・百田尚樹氏を招いての若手自民党議員による勉強会がひんしゅくをかっている。コメントにも値しない噴飯ものとしか申し上げられない。で、唯でさえ複雑な状況を一層困難な状況へと陥れてしまった責任は重大すぎる。
で、私はマスコミが大騒ぎする「報道の自由」といった表面的レベルを問題にしているのではない。そもそも、百田氏は民間人だ。どんな反知性主義的思想を持っていても、他者に危害を加えない限り発言も自由である。よって、罪深いのは政治家の方と考える。百田氏に雷同し品のない発言を行った議員は、知的基礎体力の欠如、すなわち単なる無知であったに過ぎない。ただ、無知が露見し国民に下しかされたでは済まされず、沖縄に対する偏見に基づく発言は、現下日本の国家統合を揺るがすような忌々しき事態を招きかねないということを分かっているのだろうか。
このような他人の気持ちを全く理解しない言葉遣いとコミュニケーション能力の欠如は政治家として論外であり、自民の勉強会が引鉄となり結果的に民族問題へと発展する可能性も排除できない。更に事態が悪化した場合、日本の安全保障をも揺るがしかねない。それくらいトンデモない勉強会だったということを、参加した議員のセンセイ方は猛省すべきである。
どうも最近、威勢のいい右バネの効いたことを云えば保守と勘違いしている輩が多い。そんなのは保守でも愛国でも何でもない。単なる思考停止の反知性主義とハッキリ申し上げておく。」
瀧田敏幸氏の見識こそが、日本の伝統と草の根の国民に根差した本物の保守政治家のものであろう。

たきた敏幸日記

個別的自衛権と集団的自衛権には重複する部分がある。
例えば、海上自衛隊の自衛艦とともに行動している米海軍艦船への攻撃に対する日本側の反撃を正当化する場合、個別的自衛権、集団的自衛権のいずれでも説明できる。
2014年7月1日の閣議決定は、この重複部分について、これまで個別的自衛権で説明していたのを、集団的自衛権で説明するという「当てはめ」を変更したにすぎない。
この範囲を超える場合には、憲法改正が必要になると安倍総理は明言しており、かろうじて公明党の平和主義によって、安倍政権は抑え込まれているのである。
自民党が公明党の主張を受け入れた結果、日本国憲法で認められている個別的自衛権の範囲でのみ集団的自衛権が行使できるという内容となった。
しかし、今回2016年7月の参議院選挙の結果を、20年後に振り返ってみて、「実は2016年7月の選挙で日本は戦争への道を選択した」という歴史的評価になりかねない。
国際社会のゲームのルールが国際法である。
そして海の国際法が、海洋法である。
中国も加盟している国連海洋法条約第3条では「いずれの国も、この条約の定めるところにより決定される基線から測定して12海里を超えない範囲でその領海の幅を定める権利を有する」と定められている。
ただし、同法第121条に「島とは、自然に形成された陸地であって、見ずに囲まれ、満潮時においても水面上にあるものをいう」という規定があるので、網に沈んでしまうことのある暗礁を埋め立てしても、それは島にはならず、そこに基線を定めることはできない。
だから、中国が領海と主張する南シナ海の人工島周辺12海里の内側を、2015年10月27日に米海軍イージス型駆逐艦が航行したこと自体は、国際法に違反する訳ではない。
領海のない公海は、軍艦を含めどこの国の艦船でも航行することが可能だからである。
安倍政権は、尖閣諸島に関して中国の習近平政権に対しても本質的な譲歩をしてしまっている。
APEC首脳会議出席のために北京を訪問した安倍総理は、2014年11月10日11時(日本時間12時)50分から25分かん、習近平・中国国家主席との日中首脳会談を行った。
日中首脳会談が行われたのは2012年5月以来、2年6ヶ月ぶりであり、安倍政権が発足してから初めてだった。
外務省は総花的に会談結果を発表し、この首脳会談で尖閣諸島問題で日本が中国に大幅な譲歩をしてしまった事を隠そうとした。
しかし、11月7日に発表された「4項目の一致点」という外交文書が鍵となる。
この文書は極秘裏に準備がなされ、最終的には6日に訪中した谷内正太国家安全保障局長と楊国務委員との間で調整された。
「4項目の一致点」の第2点で、「双方は、尖閣諸島等東シナ海の海域において近年緊張状態が生じていることについて異なる見解を有していると認識」との合意をしたことにより、日本政府は尖閣諸島をめぐる領有権問題の存在を事実上認める結果となった。
これは、日本の中国に対する大幅な譲歩であり、日中首脳会談で「4項目の一致点」について首脳レベルで確認したことにより、尖閣諸島をめぐる日本の立場が大きく後退した事が決定的となった。
つまりこの日中首脳会談では、尖閣問題で日本が譲歩し、その代わりに安倍総理の靖國参拝について中国が譲歩したというのが、本質なのである。
領土問題は国家の基本であり、尖閣問題で日本が譲渡してしまった事実を、政府は国民に正直に説明する必要がある。
ロシアではテロリストとの人質交渉が法的に禁じられているので、テロリストはロシアとの人質ゲームを行う意味がない事を理解している。
テロ組織が収監されているテロリストの囚人の釈放要求をしたら、即時にその囚人を処刑するというのが、ロシア流なのである。
2016年2月12日にロシア正教会の最高責任者キリル・モスクワと、全ルーシ(ロシア)の総主教が、キューバの首都ハバナで、カトリック教会の最高責任者フランシスコ教皇と会見した。
一部のマスメディアでは、1054年の部位分裂以来、926年振りに和解したと伝えたが、東西教会の和解は1964年に当時のローマ教皇バウロ6世とトルコのインタんぶーるに主教座を置く正教会のアテナゴラス世界総主教が会見し、達成されている。
もっとも各主教座の正教会の関係は対等なので、バチカンがコンスタンチノポリス世界総主教座との関係を正常化しても、それがモスクワ総主教座との関係を改善することにはならい。
その意味で、今回のフランシスコ教皇とキリル総主教との会談は歴史的に重要である。
これまで険悪だったロシアとバチカンの関係の「手打ち式」の場に、無神論を掲げる共産党が政権を取るキューバを選び、無神論者のラウル・カストロ議長を立会人にしたことは興味深い。
日本ではあまり注目されていないが、「アラブの春」で崩壊しなかった体制もある。
モロッコの王制は維持されている。
モロッコ国王のムハンマド6世(1963年生まれ)が、比較的若く、柔軟な思考ができ、国王権限の縮小と議会権限の拡大を自発的に行い、危機を脱する事に成功している。
国民に国王は我々の代表であるという印象を与える事に成功した。
現在のアラブの王国には、ムハンマド6世のように柔軟な思考ができる王族が少なく、異議申し立てを行う民衆に対して弾圧で臨み、事態を悪化させるだけだった。

2016年7月13日水曜日

派閥の効用の一つに、党としてバランスが取れる点がある。
派閥があることによって、極端に右にも左にも行かないというバランスが取れていた。
かつての自民党の層が厚く、幅が広く、バランスが取れたいた政治というのは、派閥の効用なのである。
小選挙区制導入以来、今や派閥は名前だけになり、効用というのは殆どなくなってしまった。
政治資金も派閥では、なかなか集まらない。
かつての派閥のリーダーは殆どが次期総理候補だったから、そこに集まる政治家たちは自分のリーダーを総理にするという明確な目標を持っていた。
自分ま派閥から総理をつくるための基本理念、基本政策、ライバルとの差別化をどう出していくかをいつも考え、切磋琢磨していく必要があった。
そういう態度が自民党から消えてしまった。
派閥政治は、ものすごく悪いもののように言われているが、小選挙区制反対の時に、小泉純一郎が派閥の効用について語っていた。
つまり、1つの選挙区から党の公認候補が1人となる小選挙区制は、総裁や幹事長の権限を肥大化させて独裁となるが、派閥はそれを防ぐ、と言っていた。
ところが小泉は、小選挙区制が実現したら、悪用して刺客選挙をやって派閥反対の立場を取り、全く筋は通っていないが、小選挙区制反対時点の小泉の指摘には見識があった。
かつて加藤紘一は、他派閥からも出られたのに、日中友好の姿勢に共感して大平正芳のところに行く。
中曽根康弘は加藤の妻の父親代わりのような存在だった事もあり、加藤は中曽根と近くも中曽根派から「うちに来い」と誘われたが断った。
これは派閥が政治家育成の重要な土壌だった時代をうかがわせる話である。
派閥の弊害が言われすぎた結果、様々な考え方の政治家が、その立場を育てていけるような環境が無くなり、単一化されてしまった。
河野洋平は、「小選挙区制というのはハト派を消していく」と言った。
自民党から1人という話になると、どうしても威勢のいいタカ派が出る事になってしまうというのである。
なぜ自民党の派閥が最低5つあったかというと、これは中選挙区の最大定数が5人だったからである。
自民党から5人立候補して争うことになると、それをサポートして面倒を見る派閥が必要だから、必ず最低5つは派閥が必要となった。
松下幸之助について、堤清二が冷やかしている。
一緒に中国へ行ったら、松下幸之助がここはすごい国だと、全体主義的なところに感心したという。
それで堤が、「松下さん、ここ共産主義の国ですよ」と言うと、松下は「彼らの目を見ろ。そんなはずがない」と言ったという。
共産主義の全体主義的な部分が、日本の会社主義とビッタリ合ってしまっていたのである。
吉田茂は、GHQの言う通りに戦後体制を固めていった。
1947年に、吉田内閣の蔵相だった石橋湛山を公職追放したのは吉田だった。
「Y項パージ」と呼ばれる吉田による政敵追放であり、これはその後の「赤狩り」とも連動していく。
こういう人物を単純に評価して礼賛してしまうと、歴史を誤ってしまう。
しかし、日本の戦後体制を西側陣営の自由主義、民主主義、資本主義、そして平和主義で行くとしう方向に決め、戦後の目標を国際社会への復帰と復興も軽装備経済優先と定めた政治家だった。
この過程で日本は血を一滴も流していない。
朝鮮戦争とベトナム戦争の裏では特需的な経済の恩恵ほ受けたのだから、戦争に加担したとは言えなくもないが、実際には自衛隊を派遣していない。
軽装備、つまり憲法改正はしないという保守の知恵、吉田茂こそが解釈改憲のスタートだった。
日米関係は極めて難しい時代になってきている。
1つの判断材料は、共和党と民主党というアメリカの2つの政党と日本との関係である。
民主党はバックグラウンドが労働組合とマイノリティで、経済摩擦が起きた時には対日強硬路線をとる。
アメリカ経済が良い時は、民主党は穏健だが、アメリカ経済がダメになると必ず、貿易摩擦、経済摩擦に火が付くが、その火の付き方は民主党の方がきつい。
この点は、労働組合を背景にした政党の一つのパターンで、かつての英国の労働党、ドイツの社民党、イタリアの社会党は全て共通点がある。