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2014年6月13日金曜日

日本の大学は、明治維新以降に、明治政府が設置した帝国大学とそれに準拠した民間大学で構成されている。
つまり、国家が大学を創ったのである。

しかし、欧米では国家よりも大学の方が歴史が古い。

イタリアの名門大学の多くは、イタリア政府より先にできている。

アメリカだとハーバード大学など多くの大学がアメリカ政府よりも先に建学されている。
その為、アメリカでは国の教育省から独立し、教育方針を自由に決めることができ、勝手にユニバーシティーとかカレッジとかインスティテュートと名乗っている。
そして、大学同士が地区毎に大学基準協会を組織し、相互に認証し合っている。
相続税は、最も不公平な税で、死ぬまでにあらゆる税金を支払って、残った資産に対して、更に課税する事になるので、社会主義システムである。

欧米では、「払いたい人だけ払えばいい」という考えが普通であり、英語では相続税を「ボランタリータックス」と言う。

オフショアに限らず、スウェーデン、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ロシア、メキシコ、中国、インド、タイには、相続税制度はない。
華僑人口のランキング (英紙『ザ・サン』2012年9月28日付)

インドネシア   767万人
タイ       706万人
マレーシア    639万人
アメリカ     346万人
シンガポール   279万人
カナダ      136万人
ペルー      130万人
ベトナム     126万人
フィリピン    115万人
ミャンマー    110万人
ロシア      100万人
韓国        70万人
オーストラリア   69万人
日本        52万人

世界の華僑の数は、海外二世も含めて6000万人を超え、フランス一国の人口に匹敵する。
未刊の書である『資本論』は、「資本主義とは、どのようなシステムなのか」という命題に取り組んだものであり、共産主義理論の本ではない。

原著では、三巻の構成になっているが、マルクス自身が書き上げたのは第一巻『資本の生産過程』だけで、第二巻『資本の流通過程』と第三巻『資本主義的生産の総過程』は、マルクスの死後、未整理だった草稿をエンゲルスが編集したものである。

その草稿も、第52章「諸階級」の途中で終わっている。

その分量は、岩波文庫版で全九巻、エンゲルスによる注釈を除いて、3500ページ。
400字詰め原稿用紙に換算すると9000枚となる。
マルクスの妻イェニーは、晩年にごく短い自伝的なノートを書き残したが、その中に、長きにわたって謎とされた一文があった。

「1851年の初夏、詳しく語るつもりはないけれども、私個人の問題には留まらない、大変悲しい出来事がありました」

さらに、別の箇所では、次男グィドーの死(1850年9月)について述べた後、やはり謎めいた一文を書き添えている。

「この時私は、まさかもう一つの不幸が私を待ち構えているとは、夢にも思いませんでした」

往年のマルクス研究家達は、この一文に注目はしても、謎を解き明かす事は出来ずじまいだった。

ところが、1962年に、偶然発見された一通の手紙から、驚くべき事実が明らかになった。

1851年6月に、マルクス家のメイドのレーネ・デムートが男児を出産したが、その父親がマルクスだったのである。

このスキャンダルは、女性関係が盛んだったエンゲルスが「父親」の役を引き受ける形で隠ぺいされた。

ヘレーネが生んだ男児はフレデリックと名付けられ(出生証明書は現存しているが、父親の欄は空白になっている)、すぐに里子に出された。
フレデリックは労働者になった以外、何もわかっていない。

この秘密が明るみに出たのは、1895年の夏に、死の床についたエンゲルスが、秘書の女性に、「フレデリックはマルクスの息子だ」と告白し、「もしも自分の死後に、世間から息子の面倒を見なかったとして非難されるようなことがあった場合、真相を明らかにする権限を彼女に与える」という遺言を残した。

その秘書がドイツ労働運動の指導者のアウグスト・ベーベルに宛てた手紙の中で、この経緯を告白していた。
その手紙が、1962年に偶然発見されたのである。
あらゆるものを疑え

by カール・マルクス
人生には、3つの坂がある。
上り坂、下り坂、それから「まさか」。
交通事故、病気、逮捕とか、人生には予期せぬ「まさか」がある。

by  鈴木宗男