マルクスの妻イェニーは、晩年にごく短い自伝的なノートを書き残 したが、その中に、長きにわたって謎とされた一文があった。
「1851年の初夏、詳しく語るつもりはないけれども、私個人の 問題には留まらない、大変悲しい出来事がありました」
さらに、別の箇所では、次男グィドーの死(1850年9月)につ いて述べた後、やはり謎めいた一文を書き添えている。
「この時私は、まさかもう一つの不幸が私を待ち構えているとは、 夢にも思いませんでした」
往年のマルクス研究家達は、この一文に注目はしても、謎を解き明 かす事は出来ずじまいだった。
ところが、1962年に、偶然発見された一通の手紙から、驚くべ き事実が明らかになった。
1851年6月に、マルクス家のメイドのレーネ・デムートが男児 を出産したが、その父親がマルクスだったのである。
このスキャンダルは、女性関係が盛んだったエンゲルスが「父親」 の役を引き受ける形で隠ぺいされた。
ヘレーネが生んだ男児はフレデリックと名付けられ(出生証明書は 現存しているが、父親の欄は空白になっている)、すぐに里子に出 された。
フレデリックは労働者になった以外、何もわかっていない。
この秘密が明るみに出たのは、1895年の夏に、死の床についた エンゲルスが、秘書の女性に、「フレデリックはマルクスの息子だ 」と告白し、「もしも自分の死後に、世間から息子の面倒を見なか ったとして非難されるようなことがあった場合、真相を明らかにす る権限を彼女に与える」という遺言を残した。
その秘書がドイツ労働運動の指導者のアウグスト・ベーベルに宛て た手紙の中で、この経緯を告白していた。
その手紙が、1962年に偶然発見されたのである。
「1851年の初夏、詳しく語るつもりはないけれども、私個人の
さらに、別の箇所では、次男グィドーの死(1850年9月)につ
「この時私は、まさかもう一つの不幸が私を待ち構えているとは、
往年のマルクス研究家達は、この一文に注目はしても、謎を解き明
ところが、1962年に、偶然発見された一通の手紙から、驚くべ
1851年6月に、マルクス家のメイドのレーネ・デムートが男児
このスキャンダルは、女性関係が盛んだったエンゲルスが「父親」
ヘレーネが生んだ男児はフレデリックと名付けられ(出生証明書は
フレデリックは労働者になった以外、何もわかっていない。
この秘密が明るみに出たのは、1895年の夏に、死の床についた
その秘書がドイツ労働運動の指導者のアウグスト・ベーベルに宛て
その手紙が、1962年に偶然発見されたのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿