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2014年6月13日金曜日

マルクスの妻イェニーは、晩年にごく短い自伝的なノートを書き残したが、その中に、長きにわたって謎とされた一文があった。

「1851年の初夏、詳しく語るつもりはないけれども、私個人の問題には留まらない、大変悲しい出来事がありました」

さらに、別の箇所では、次男グィドーの死(1850年9月)について述べた後、やはり謎めいた一文を書き添えている。

「この時私は、まさかもう一つの不幸が私を待ち構えているとは、夢にも思いませんでした」

往年のマルクス研究家達は、この一文に注目はしても、謎を解き明かす事は出来ずじまいだった。

ところが、1962年に、偶然発見された一通の手紙から、驚くべき事実が明らかになった。

1851年6月に、マルクス家のメイドのレーネ・デムートが男児を出産したが、その父親がマルクスだったのである。

このスキャンダルは、女性関係が盛んだったエンゲルスが「父親」の役を引き受ける形で隠ぺいされた。

ヘレーネが生んだ男児はフレデリックと名付けられ(出生証明書は現存しているが、父親の欄は空白になっている)、すぐに里子に出された。
フレデリックは労働者になった以外、何もわかっていない。

この秘密が明るみに出たのは、1895年の夏に、死の床についたエンゲルスが、秘書の女性に、「フレデリックはマルクスの息子だ」と告白し、「もしも自分の死後に、世間から息子の面倒を見なかったとして非難されるようなことがあった場合、真相を明らかにする権限を彼女に与える」という遺言を残した。

その秘書がドイツ労働運動の指導者のアウグスト・ベーベルに宛てた手紙の中で、この経緯を告白していた。
その手紙が、1962年に偶然発見されたのである。

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