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2014年12月14日日曜日

田中角栄は、国会議員在任中に議員立法として46の法案を提案し、うち33法案を成立させている。
日本の国会法では、法案を提出できるのは内閣か国会議員と定められているが、法律として成立する9割は官僚が作文する内閣提出法案(閣法)であり、議員立法は圧倒的に少ない。
閣法は政策を実施するという名目で、その多くが「天下り先」への補助金がロジックに忍び込まれているが、議員立法の場合は、そこまで頭が回らず、天下り先を生み出す余地はない。
国会議員には「国会における各会派に対する立法事務費の交付に関する法律」に基づき、立法事務費として毎月65万円が支給されている。
英語では議員を「law maker」と言うが、議員立法を提案できない国会議員は、立法事務費を返納すべきである。
中央銀行の人事で、国会の同意を得るのは世界基準で普通となっている。
しかし、日本は他の国と異なり、任命人事だけで終わっており、目標を議会や政府が決め、その目標に向けて中央銀行が機能しているかをチェックする仕組みがない。
霞が関において、「民営化」とは3つの意味を持つ。
1つ目は「民有・民営」の形態をとる「完全民営化」
2つ目は、政府が株式を所有して経営形態のみ民営にする「特殊会社化」
3つ目は、政府が根拠法律だけを持つ「特別民間法人化」
その為、「完全民営化」と「完全に民営化」と、たった1文字の「に」の違いでも、概念が全く異なるのである。
「完全民営化」は民有・民営となり、影響力を失い天下りできなくなるが、「完全に民営化」ならば、「民営化」に「完全」を期すという意味になり、「民営化」の3形態のどれを選択してもよいという解釈になるのである。
「霞が関文学」では、「Aをやる」と言った時は、反対解釈で「A以外はやらない」という意味になる。
2006年12月のろい罪財政諮問会議の資料では、「各省庁による再就職斡旋(を禁止)」と書かれていたのに対し、それを受けて2007年1月の安倍総理の施政方針演説のフレーズには「予算ゆ権限を背景とした押しつけ的な斡旋による再就職を根絶」と、「押しつけ的」という言葉に代わっていた。
つまり、斡旋には「押しつけ的斡旋」と「押しつけ的でない斡旋」が存在し、「押しつけ的斡旋」だけは根絶するが、「押しつけ的でない斡旋」はこれまで通り容認するという解釈になるのである。
国民は、地元の役所の地方公務員から中央の高級官僚まで、役人の給料が自分より高いことを知っている。
地方公務員と国家公務員の人件費を合計すると年間30兆円で、国家公務員だけだと年間5兆円にもなる。
財務省が強力な力は、「予算」については戦前から大蔵省時代に持っていたが、「人事」については、戦後に内務省がGHQに解体されてから手にした。
1945年から1952年にかけて日本の占領政策を担当したGHQは、公務員制度の抜本的改革にも着手し、「職階制」を導入しようとした。
職階制とは、各公務員の仕事内容を厳格に規定すると共に、見合った資格・能力を求め、その仕事内容に応じて俸給を定める制度で、アメリカ的なシステムである。
この職階制は年功序列的な日本の官僚制度に全く馴染まなかったので、大蔵省が交渉窓口となり、「職階制はすべて給与法の中で完結する」説明し、時間切れでGHQによる公務員制度改革を未完に終わられた。
給与法は「等級」と「号俸」を定めた法律で、公務員の仕事内容までは触れておらず、どのような能力がある人が「〇等級〇号俸」なのか決まっていない。
GHQの公務員制度改革で達成されたのは、戦前の「文官高等試験」が「国家公務員採用Ⅰ種試験」に名称変更しただけだった。
大森彌・東京大学名誉教授は、「職階制実施の拒否こそ、戦後改革を生き延びた官のシステムの本質が潜んでいる」と述べている。
各省庁は、それぞれ独立行政法人を所管し、天下り先を確保しているが、「天下る」のは当該省庁の官僚だけではなく、必ず財務省官僚も付いてくる。
なぜならば、特殊法人を設立するには「予算」と「定員管理」が必要となり、財務省に関与してもらわねばならないからである。
特殊法人を設立する度に、見返りとして財務省用に天下りポストが用意されることになり、財務省だけが、唯一、他の省庁の縄張りに足を踏み入れることができるのである。
財務省は国家予算の編成を担うが、国家公務員全体の人事管理も財務省が押さえている。
もちろん、各省庁には人事担当部署があり、人事院は建前上は独立組織である。
国家公務員の人事を国家全体の仕組みとして管理するには、3つの部門が必要となる。
1.財務省主計局給与共済課(旧大蔵省主計局給与課):給与の額を管理
2.人事院給与局給与第二課:各省の人員を管理
3.総務省人事・恩給局:全体の国家公務員数を管理
2の人事院の課長ポストは、代々、財務省からの出向者となっており、理由は級別定数が予算の範囲内で設定されているからだと言われる。
3の総務省人事・恩給局にも、財務省から参事官の肩書で、課長クラスが出向している。
このように、国家公務員人事の3つの主要ポストを全て財務省が抑えているので、「官庁の中の官庁」と言われるのである。
日本の近代官僚制の祖型は1899年に誕生したとされる。
前年に第9代首相に就任し、第2次内閣を発足させた山縣有朋が、それまでの文官任用令を改正したのである。
明治初期から中期にかけて、日本の官僚制度はめまぐるしく変化した。
1869年に古代律令制の流れをくむ太政官制が導入され、1885年の内閣制度発足まで続いた。
その後、1889年の大日本国憲法発布まで、ひっきりなしに制度改革が行われた。
政党員が官職に就くことも当たり前で、黎明期の官僚制は「政」と「官」が渾然一体を成す「政治的即応性」に重心のかかった制度だった。
文官任用令は1893年に交付され、文官高等試験制度を定めている。
公開試験によって官吏を任用する仕組みではあったが、全ての感触に適用されるのではなく、山縣はこの試験制度を活用して政党員が官僚になることを制限し、自らの配下となる官僚機構を作り上げた。
これにより、「政治的即応性」を失った「政治的中立性」のみの官僚組織が生まれ、この120年前の「官のかたち」が、現在も行き続いている。
小泉政権では、8つあった政策金融機関(国際協力銀行、日本政策投資銀行、中小企業金融公庫、国民生活金融公庫、商工組合中央金庫、農林漁業金融公庫、公営企業金融公庫、沖縄振興開発金融公庫)を民業圧迫と天下り廃止を理由に、リストラした。
日本政策投資銀行と商工組合中央金庫は完全民営化し、残りは政策として必要な分野を残し、日本政策金融公庫に一本化・統合化された。
その結果、財務省が管轄する日本政策投資銀行は完全民営化され、国際協力銀行は円借款部門が国際協力機構(JICA)へ、国際金融部門は日本政策金融公庫に移行し、国際協力銀行は事実上、独立組織ではなくなってしまった。
日本政策投資銀行と国際協力銀行は、共に財務省の歴代事務次官経験者が天下る「最高級ポスト」だった。
その為、他省の政策金融機関とは別格という意味で、両方とも「銀行」という名称が付けられていた。
この2つのポストを同時に失った財務省の怒りはすさまじかった。
そして、民主党政権に代わり、日本政策投資銀行と商工組合中央金庫の完全民営化は反故になり、更に一度は日本政策金融公庫の国際金融業務部門となり「銀行」と名が付くものの独立した組織でなくなっていた国際協力銀行を、2011年に日本政策金融公庫から分離・独立させるという、財務省は反撃に成功するのである。

公務員は身分が保証されており、リストラも指名解雇もない。
公務員は労働三権が制限されている代わりに、減給や解雇が無いが、これは「国家公務員法」第75条、いわゆる「身分保障」条文によっている。
面白いことに、事務次官を含む省庁の幹部職員も、この身分保障で守られているのである。
多くの先進国では、官僚は地味な仕事をする職分であり、クリエイティブな分野は民間に任せている。
その為「クリエイティブな仕事に対応できない人が官僚になるのが一般的である。
海外では、官僚が上から天下って、民間に下りてくるという制度も慣行もないので、英語には「天下り」に相当する言葉が存在せず、英訳ができない。
最近は「AMAKUDARI」とローマ字表記で通じるようになったが、かつては「descend from heaven」(天から下りる)と直訳されていた。
例外的にフランス語には、「pantoufle」という「天下り先」を表す単語があり、本来の意味は「スリッパ」だが、「気楽」「心地いい」という意味で使用される。
元々「財金分離」という言葉は、「政府と中央銀行を分離する」という意味で学術的に用いられており、その流れで日銀法改正案が成立した。
しかし、同時期に大蔵省スキャンダルが延々と続き、「財金分離」が「財政と金融政策の分離」を骨子とする新日銀法り制定に留まらず、「財政と金融行政の分離」という金融監督庁の設置まで進んでしまったのである。
日本では1970年代後半から段階的に「金利の自由化」が進められ、最終的に1994年に無利子の当座預金を除いて、預金金利が自由化された。
金利規制が存在した時代は、預金者はどの銀行に預けても同じなので、銀行にとって店舗を開設することが生命線だった。
新規店舗を1つ開設すれば、その分の収益が上がり、店舗数が銀行の収益を決めていた。
その為、大蔵省で銀行を監督する部署の係長クラスでも絶大な権限を持つことになる。
銀行の店舗開設は大蔵省の許認可事項ではあったが、役所的には課長が判を押す手続きだけだった。
しかし、金利自由化に続き、商品も自由化され「商品認可」の権限も失い、大蔵省の権限はどんどん低下している。
産業政策には意味がない。
竹内弘高・教授(一橋大学)の研究によると、日本の20の成功産業について政府の果たした役割は皆無だった。
また、三輪芳朗・教授(東京大学)の一連の研究では、高度成長期でさえ産業政策は有効でなかったとされている。
企業や個人の資産家が税金の低い国で納税すれば、税金の高い国の税収が消失してしまうので、各国はこれに対応するために「タックス・ヘイブン」対抗税制を導入してきた。
世界で初めて対策税制を導入したのは、1962年の米国だった。
その後、1972年に西ドイツ、1974年にフランス、1971年にカナダ、1984年にイギリスが導入した。
日本は1978年に導入され、当初はブラックリスト方式を採っていたが1992年に廃止され、租税負担割合が25%以下の国をタックス・ヘイブンと位置づけるよう改正された。
さらにこの25%というトリガー税率は、2010年に20%に引き下げられ、現在に至っている。
英エコノミスト誌によると、世界には50から60のタックス・ヘイブンがあり、200万のペーパーカンパニーの本籍地になっている。
また無税の投資資金は21兆ドルを超えている。
富裕層の海外移住や所得減によって、自治体の税収にも影響が出ている。
高給住宅街があり多くの富裕層が住む東京都港区は、歳入の6割を個人が納める特別区民税が占めている。
ある富裕層の男性が、経営していた会社を売却し、その年末にシンガポールに移住した事により、港区の税収は2億円程度減収することになった。
日本銀行の資金循環統計「2014年度第1四半期速報」によると、2014年3月末時点で、日本の外貨建て資産保有額は40.5兆円だった。
これは2012年6月末時点の32.9兆円、2013年3月末時点の37.5兆円に対して大きく増加している。

            2012年6月末   2013年3月末   2014年3月末
外貨預金         5.7兆円     6.1兆円      5.9兆円
外貨建て投資信託     21.5兆円    25.7兆円      25.8兆円
外貨建て証券投資     5.7兆円     5.7兆円      8,8兆円
米国の巨大多国籍企業307社の有価証券報告書によると、これらの海外合計資産額は1.95兆ドルに及ぶ。
これは2013ねんから2060億ドルも増加しており、その増加額のうち375億ドルは、マイクロソフト、アップル、IBMの3社によるものである。
米国には「ダイナスティ・トラスト」として知られている信託があり、この信託を使うと永遠に相続税を回避できる。
最高税率55%(所得税45%と住民税10%)というのは、江戸時代の年貢で「五公五民」や「六公四民」に匹敵する。
当時の年貢対象は石高で、ひの基準となる石高はかなり以前に測量されたデータで固定されていた為、実態に合っておらず、測量後に増産した分については、丸々手取りが増えていた。
その結果、一説によると幕末期の年貢の割合は実収入の2割程度という計算もあり、現在の日本の税率がいかに高いものであるかが理解できる。
日本の近年の所得税収入は13兆円から15兆円で推移しており、ピーク時の1991年と比べて10兆円以上少なくなっている。
給与収入などの250兆円が課税対象となるが、扶養控除などの各種控除を実施した後の課税対象は110兆円にすぎない。
税法改正によって、所得税の最高税率が40%から45%に上がっても、その増収額は600億円に満たないとされている。
米国の法人税率は40%ではあるが、米国会計検査院が2013年5月に公表した報告書によると、2010年課税年度では、企業決算書から割り出した実効税率は13%ととなっている。
これは国外も国内も全て合計した税引前利益に対する連邦税の比率で、この13%に外国の税金や米国の州税を加えても、課税率は17%にしかならない。
ちなみに、ルーターメーカーのシスコの2010年の実効税率は17.5%だった。
スウェーデン発祥の家具販売店「イケア」は、世界26カ国に303店舗(日本8店舗)を展開している。
イケアグループの頂点には2つの財団があり、それぞれま傘下に複数のグループ会社を持つ、複雑な体制となっている。
財団の1つはオランダの非営利慈善財団(免税財団)であり、360億ユーロの資産があり、毎年30億ユーロが配当金として流れ込んでいる。
この財団は1982年にイケア創業者のイングヴァル・カンプラード氏(88歳)によって設立され、イケアグループ会社の持ち株会社に当たるインカ・ホールディングスの株式を持っている。
インカ・ホールディングスはオランダの法人で、有限責任会社であるとともに株式の譲渡制限がある非公開会社である。
もう1つの財団はリヒテンシュタインにあり、ルセンブルクにある持ち株会社インター・イケア・ホールディングス(IIH)の所有者となっている。
IIHのトレードマークやコンセプトのノウハウからのロイヤリティは売上の3%となっている。
イケアグループ全体の2013年連結売上は283億ユーロだったので、ロイヤリティ収入だけで1000億円単位となる。
イケアグループ全体の2013年連結売上283億ユーロに対し、税引き前利益し40億ユーロ、法人税は7億7500万ユーロとなっている。
ヨーロッパ圏の法人税率25~35%に対し、イケアの法人税実効税率は18.9%となっている。
米フォーブス誌によるとカンプラード一族の総資産は41億ドルに達している。
米国のタックス・ヘイブン対策税制は、あくまでもタックス・ヘイブンにある子会社に対して適用されるものであり、外国にある親会社の留保利益を子会社の所得に合算して課税するものではない。
その為、米国に本拠ほ置く多国籍企業は本社機能を米国に残すが、タックス・ヘイブンに新会社を設立し、資本関係上、親会社に代わる「コーポレート・インバージョン」を進めてきた。
米国政府は、法人税の減収を食い止めるため、2004年に新たに対策税制を導入し、コーポレート・インバージョン実施後の課税を可能とした。
マイクロソフトの製造と販売の仕組みは複雑になっている。
知的財産権を持つ3つの海外子会社(アイルランド、シンガポール、プエルトリコ)から、知的所有権をサブライセンスされた別の子会社が生産を担当し、各地域の販売会社に販売する仕組みになっている。
『国際租税問題に関する調査(タックスヘイブン対策税制及び無形資産の取扱いについて)調査報告書』(経産省、PwC)によると、2011年にはアイルランドの子会社は43億ドルの利益を出したが、それに対する実効税率は7.2%だった。
さらに孫会社は22億ドルの利益を出しており、7.3%で課税されている。
またアイルランドの子会社は孫会社から90億ドルのライセンス料を受け取っているが、米国のチェック・ザ・ボックス規制により、米国本社からみるとアイルランドの子会社も孫会社も「支店」と見なされ、内部取引扱いとなるので、この90億ドルは米国のタックス・ヘイブン対策税制の適応外所得となる。
同じくプエルトリコで製造された製品は、米国にある販売会社に販売されている。
マイクロソフトの全世界売上の利益の47%がプエルトリコに帰属し、プエルトリコで2%の税率で課税されている。
このマイクロソフトのグローバル節税スキームも合法的なのである。

マイクロソフトは、アイルランド(欧州、中東、アフリカ)ド、シンガポール(アジア)、プエルトリコ(北米、南米)という3つの低税率国にある子会社に分担させて、全世界の製品販売事業を運営している。
知的財産権を海外子会社に移転する為に、コスト・シェアリングによって、各々の事業体が研究開発費を負担する事で、知的財産権の所有者となり、製品販売の権利を得ている。
アイルランド子会社には全世界収益の30%が貴族しているので、研究開発費の30%を負担し、プエルトリコは25%、シンガポールは10%、米国本社は35%の割合で負担する契約となっている。
これにより、各地域で得た利益から米国本社に対するライセンス料支払いは不要となり、世界全体で得た利益が、法人税率の高い米国本社へ移転することを防いでいる。
但し、知的財産権の移転に当たっては、最初の段階では海外子会社は、入手する知的財産権を時価で買入れねばならない。
当初、マイクロソフトの知的財産権は、米国本社の所有であった為、アイルランド子会社70億ドル、シンガポール子会社40億ドル、プエルトリコ子会社170億ドルを、米国本社に支払っている。
この合計280億ドルの利益については、米国で課税された。
知的所有権の移転完了後は、その後の研究開発費負担はあるものの、米国本社への知財に関する支払いは発生していない。