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2015年1月11日日曜日

日本初の一部上場企業の敵対的M&Aは、光進の小谷光浩による国際航業の乗っ取りだった。
国際航業の前進は、三路興業で、昭和22年に飛行場関連不動産管理会社として設立された。
当時、飛行場は進駐軍の管轄下におかれており、黙っていても進駐軍から保証金が入ってくるという優良会社だった。
それに目を付けた国内最大のゴム会社のプリジストン経理部長で、創業者の石橋正二郎の私設秘書だった枡山健三が、三路興業の株を買い占め、三路興業に乗り込み、1週間で重役の半分以上のクビを切り、乗っ取りに成功し、昭和29年に称号を国際航業に変更した。
その後、枡山健三会長のワンマン体制と長男の枡山明社長との確執で、社内紛争が起こり、それに乗じて小谷光浩に乗っ取りをしかけられた。
街宣車を1日中走らせると、車代と人件費を含め、100万円かかるという。
10台の街宣車を1ヶ月走らせると、3億円かかる。
10ヶ月で30億円かかる。
竹下登の褒め殺し事件で、金丸信から日本皇民党へ街宣活動をやめる見返りに提示された金額の30億円は、こういう根拠だったという。