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2018年2月7日水曜日

ノアの方船で、神様はもう二度と人類を滅ぼさないと約束をし、その契約の証に虹をかける。
しか、中国では虹は天が怒っていることを意味していた。
だから虹が現れると権力が崩壊する兆候と受け止められる。
虹が平和のシンボルというのは、日本でも明治期以降にキリスト教の影響が強まってからだった。
それまでは、日本でも虹に対して、あまり良いイメージはなかった。
埼玉県には氷川神社とか日枝神社が多くある。
武蔵国一宮の氷川神社は、天照信仰ではくて、須佐之男、大国主信仰である。
おそらく天照信仰を持つ人たちの前に日本の国家を支配しいた集団の宗教で、出雲の系統となる。
神話の世界では平和裏に国譲りをしたことになっている。
しかし、地上は天照が守っているが、地下、闇の世界は須佐之男、大国主が支配し、天照の世界は常に須佐之男、大国主の世界を恐れている。
神道系の新宗教は須佐之男、大国主の表象をしている。
その一つが大本(おおもと)教で、戦前に2回にわたり大弾圧を受けた日本の神道系の教団であり、共産党よりも激しい弾圧を受けた。
特に2回目の弾圧は、綾部と亀岡の神殿を大本の費用で、ダイナマイトで全部爆破して完全な更地にするという徹底したものだった。
大本は戦後は平和運動を行ているが、戦前は満州への進出も積極的に行ったし、時の政権以上に強く日本の軍国主義政策を推進した面もある。
大本人たちはエぺラント語をマスターしたから、日本エスペラント協会の中で大本の人たちの比率は高い。
天照信仰の世界、すなわち伊勢神道の流れをくむ国家神道からすると、自分たちに近い論理で国策を過激に推進しようとする大本の動きか、権力を奪取しようとしていると見えたのである。
現在も出雲信仰は日本において非常に重要な位置を占める。
日本人の場合、宗教に関する理解がなかなか難しい。
無宗教だといっても、文化庁の統計だと、各宗教団体の申告による信者数の合計は2億人程度となる。
日本のように様々な宗教を受け入れることを宗教混合という。
宗教混合的な土壌があると、外国の文物を受け入れるのは非常に楽であり、ありとあらゆるものを受け入れることができる。
しかし何が絶対に正しいのか、あるいは詩文はこの信念によって動くという意識は希薄なとなり、長いものに巻かれろという感じにってしまう。
これが日本人の宗教観の特徴である。
国教というのは必ず習慣というかたちをとる。
例えば戦前における日本の国家神道は、宗教ではないとされていた。
国家神道は宗教ではなく、日本の臣民の習慣だった。
だから靖国神社や明治神宮の横を通るきには頭を下げないといけなかった。
戦前に神社で頭を下げるのは異教の神に頭を下げることだと、カトリック系の暁星中学上智大学の学生が靖国神社参拝を拒否したことがあった。
これに対して軍部が怒ったため、日本のカトリック教会は震え上がって、神社参拝は可能かどうかバチカンに伺いを立てている。
バチカンらは民族の週間だから可能であるという答えが返ってきたが、戦前の陸軍は暁星中学と上智大学には軍事教練の教官を送らなかった。
そのため、ほかの大学の学生は軍事訓練に合格したら兵役免除かあるのに、暁星中学上智大学の学生は兵役免除が認められなかった。
戦前は、上智大学に入学するというとは戦場に連れていかれることを意味したので、非常にリスクが高かった。
キリスト教の罪は祓うことはできない。
理不尽なことを強いる、論理を超えた、自己責任を超えた責任を負わせるのがキリスト教である。
キリスト教というのは、絶対に誰も守る事ができない論理を強要して、全員を罪人に陥れていくという傾向がある。
神道はそういう理不尽なことはせず、そそぎや祓いによって人間の汚れはきれいになる。
『歎異鈔』に対して異を唱えたのが南北朝時代に書かれた北畠親房の『神皇正統記』である。
「大日本(おおやまと)は神国(かみのくに)なり」という言葉で始まる。
日本の特徴は神道にあるが、神道は理論化ができない、そゆえに他国の思想と比べないと日本の特徴はわからない。
そういって、インド(天竺)、中国(震旦)、特に中国との比較を重視する。
中国は易姓革命、すなわち天の意思が変わったら地上の秩序も変わって王朝が後退する乱脈きわまりない国である。
大日本は神の国だから、王朝は変わらない。
それだから天皇にも皇后にも姓がない。
北畠親房は武烈天皇と継体天皇の関係に注目し、『日本書紀』で武烈天皇は暴君、残虐な天皇として描かれている。
武烈天皇には世継ぎは生まれなかった。
当時、世継ぎができないというのは、天の意思にかなった政治をしていないことを意味した。
この場合、日本では中国とは異なる形で易姓革命、放伐が行われ、武烈天皇の系統はなくなり、継体天皇の系統となった。
武烈・継体の関係は歴史実証的に見れば明らかに系統としては繋がっていないはずで、別王朝の誕生と見ることも可能である。
しかし、日本においては王朝交代はないので、だから百王説は間違いで、当時のグローバルスタンダードの論理だった易姓革命は一定の限定のもとでしか適用されない。
グローバリゼーションは日本においては独自の変容を遂げる、というのが『神皇正統記』の考え方である。
今は一時的に間違った人たちが権力をとっているが、それは必ず正しい方向に戻ってくるという復古維新思想のテキストといえる。
『歎異鈔』はグローバリゼーションの本である。
当時の日本にとって、グローバルスタンダードとは中華秩序だった。
中国の『礼記』の中に百王説というのがあり、すべての王朝は100代目を超えた後は必ず滅びるという下降史観ともいうべきもである。
こうした考え方は日本にも及んでいて、この『愚管抄』の中に認められている。
『愚管抄』の当時の天皇は84代目で、あと16代でこの王朝は滅びる。これは普遍法則だから、我々は逃れることはできない。
だから、それに備えて中国の秩序、中国のルールをきちんと習得することが日本の生き残りの道だと考える。
この『愚管抄』は鎌倉時代初期に書かれた本なので、武士の誕生についても論じられており、天皇親政という建前があるが、武家が力を持ち、平家に源氏が勝った壇ノ浦の合戦を重視する。
壇ノ浦の合戦で、天皇の正統たる証といえる三種の神器は海に沈み、その中で勾玉は上がってきたが、剣は沈んだままになった。
『愚管抄』は、それを天命と考え、天皇から剣が取り離されたから、剣の機能というのは武士集団が持つべきであると理論化した。
京都御所から比叡山は北東方向にある。
北東というのは丑寅となり鬼門である。
平安時代初期ぐらいまでの鬼はまだ角が生えておらず隠れていて、姿は見えないが悪さをする鬼だった。
鬼門である丑寅の方向のありとあらゆる悪いもの、見えないけれども悪さをするものが下りてくる。
京都に悪影響を与えることを防ぐために作られたのが、延暦寺だった。
当時、宗教の力は論理の力であり、天台座主というのは日本最高の理論家であり体制のイデオロギーだった。
この天台座主だった慈円の『歎異抄』は、日本人の宗教性を考える上でとても重要である。
中央公論社シリーズ「日本の名著」の中に、北畠親房の『神皇正統記』とセットになった巻がある。
この二作を読むと、近代につながる日本人の宗教性について殆ど分かるようになる。