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2018年2月7日水曜日

国教というのは必ず習慣というかたちをとる。
例えば戦前における日本の国家神道は、宗教ではないとされていた。
国家神道は宗教ではなく、日本の臣民の習慣だった。
だから靖国神社や明治神宮の横を通るきには頭を下げないといけなかった。
戦前に神社で頭を下げるのは異教の神に頭を下げることだと、カトリック系の暁星中学上智大学の学生が靖国神社参拝を拒否したことがあった。
これに対して軍部が怒ったため、日本のカトリック教会は震え上がって、神社参拝は可能かどうかバチカンに伺いを立てている。
バチカンらは民族の週間だから可能であるという答えが返ってきたが、戦前の陸軍は暁星中学と上智大学には軍事教練の教官を送らなかった。
そのため、ほかの大学の学生は軍事訓練に合格したら兵役免除かあるのに、暁星中学上智大学の学生は兵役免除が認められなかった。
戦前は、上智大学に入学するというとは戦場に連れていかれることを意味したので、非常にリスクが高かった。

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