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2015年7月12日日曜日

日露戦争はアジアの島国日本がヨーロッパの強国を破った戦争として、アジアのヨーロッパ化を阻止する日本の地位を確立した。
1945年3月10日にあった東京大空襲は、明らかに戦時国際法違反の無差別爆撃で、極めて残虐な行為だった。
なぜ3月10日だったかというと、3月10日は陸軍記念日で、1905年に奉天の会戦で日本がロシア軍を破った日だった。
日露戦争の象徴的な日は2つあり、もう一つは日本海大海戦の5月27日で、これは海軍記念日となっている。
3月10日の陸軍記念日に大空襲を行い、それに対して大日本帝国は全くなす術がなく、国民が焼け死んでいくのをただ傍観するしかないので、日本陸軍の姿である、という事を可視化する為に3月10日というシンボリックな日を選んだ。
ヨーロッパのアジア進出を阻止したシンボリックな日が1905年3月10日であったとするならば、それが幻想であることが可視化されたのが、1945年3月10日の東京大空襲だった。
日本の左翼の問題は、ソ連の崩壊を正面からきちんと踏まえていないことである。
日本共産党は、ソ連崩壊時に「我々はソ連体制とは関係ない」と明言したが、ソ連に憧れていたのは間違いない。
日本の共産党中央委員の連絡員は、ソ連崩壊まで赤旗の記者の身分でモスクワに駐在していた。
日本で革命を起こす際に、ソ連との調整をするために駐在していたが、住宅費や光熱費はソ連共産党が負担してくれていた。
それだけでなく、モスクワ大学に留学させたいが、裏口入学をさせてくれというお願いの記録も全部残っている。
社会党左派の社会主義協会も、共産党以上にソ連に憧れていたが、彼らもソ連崩壊の要因に取り組もうとしなかった。
ソ連崩壊後も左で元気なのは、JR総連、JR東労組くらいである。
JR総連委員長だった松崎明は、元々革マル派のナンバー3で、その後、革マル派とは決別しているが、反スターリン主義では一貫していた。
ソ連は社会主義国ではない、ろくでもない国だから滅びて良かったぐらいの感覚でいたので、JR総連はソ連が実際に崩壊しても社会主義が間違ええていたとは思わず、組織もきちんと維持できたのである。
現在の日本にとっての最大の脅威は、反知性主義である。
論理整合性を通常のレベルで重視した場合、アベノミクスというのは出てこない政策である。
金利が限りなくゼロに近い時にお札を刷るのは、どう考えても金融政策とは言えず、これは財政政策である。
金融政策と財政政策の区別もつかないような議論になってしまっており、明らかな反知性主義からなされるものである。
また、内閣総理大臣と内閣官房長官の双方が偏差値秀才でないのは、極めて異例なことである。
小泉進二郎の人気も明らかに学歴エリート、偏差値エリートと別の所に求心力が集まっており、明らかにその流れの中に反知性主義がある。
反知性主義は危機の時代において必ず出てくる。
反知性主義は、状況によると破壊行動や暴力性に変わる可能性があり、怖い存在である。
バチカンは未だに台湾とは外交関係を持つが、中国との間に外交関係はない。
バチカンは中国との関係の調整を何度も試みてきたが、中国政府がどうしても譲らない事が1つだけある。
それは高位聖職者の人事権で、高位聖職者の人事権は中国の天主教愛国会が持っているという。これは共産党が作ったダミー団体で、プロテスタントの方は三自愛国教会という団体がある。
バチカンが外交関係を結ぶのはコンコルダート(正教協約)で、通常の外交関係ではなく、神様の世界の領域と世俗の人間の世界の領域を区別する条約である。
神様との条約なのでバチカンにも絶対に譲れない点として人事権がある。
中国が人事権を認めないという理由で、外交関係が樹立できない。
これは中国は世界の普遍的な価値を共有できない国だというキャンペーンにバチカンが入ってきていることを示している。
ネポティズムというのは甥を重視する主義「nephew」で、要するに縁故採用の意味である。
なせ甥かというと、ローマ教皇と関係している。
ローマ教皇は独身で、自分の血が一番近いのは、甥っ子になる。
だから甥っ子を一族の利益代表として縁故採用の形が生まれてきた。
日本の仏教は妻帯ができるが、妻帯ができるというのは、仏教の力が弱くなったことを示している。
カトリックが妻帯を認めない独身性を続けているのは、宗教が権力を持っているからで、権力を子供に継承していくと社会的に大変なアンバランスが生じてしまう。
だからカトリックは独身制にしているのである。
似ているのは中国で採用された宦官で、去勢をしてしまう事で、子孫を作れなくし、血族による権力の継承を宦官制度が防止していた。
プロテスタントが妻帯を認めているのは、宗教としての権力がカトリックに比べて圧倒的に弱いからである。
ロシア正教やギリシャ正教は、もっと面白いシステムを採用しており、司祭を二つに分けている。
キャリア組の司祭は黒司祭といって、ノンキャリア組は白司祭という。
白司祭のトップは黒司祭の一番下と同じランクになり、白司祭は結婚することができ、黒司祭は結婚ができない。
大きな権力は継承させない、それほどでもない権力は継承が可能という、巧妙なシステムにしているのである。
今から30年くらい前までは、ルネサンスと宗教改革は、近世もしくは近代に分類されていた。
しかし今の高校の教科書では、そのあたりがあいまいになっている。
岩波書店の『講座世界歴史』には1969年から71年に出た本と1990年代半ばに出た本の二種類あるが、後者は時代区分がされておらず通史という考え方を否定しているので、外交官には役に立たない。
通史や時代区分というものは、欧米の帝国主義が力を持って歴史を裁断していった歴史観に過ぎない、という考え方になっている。
ロシアの歴史教科書は今でも時代区分をしている。
ソ連時代から時代区分は変わらず、ルネサンスも宗教改革も中世になっている。
中世と近世の境界線は1648年で、要するに30年戦争ほ終結してウェストファリア体制が成立することによって、国際関係は宗教ではなく、国家という要因で動くようになり、その結果、近代的な国際法が昨日し始めた。
以上の理由から中世と近世の境目は1648年に置くという考え方である。
宗教が基準で動いていた時代と、国家が基準で動くようになる時代の境目はウェストファリア体制である。
戦前の日本の教育システムが優れていたのは、エリートが四分割されていた点である。
現在の日本はアメリカ型のシステムに則っており、エリートをつくるのは一本線になっており、エリートになるには職業科の高校ではなく、普通科の高校。そして四年制大学に行って大学院へ、という流れが出来上がっている。
これに対して戦前は、まず軍人か非軍人かで分かれた。
軍人は陸軍幼年学校、あるいは中学校の途中から海軍兵学校か陸軍幼年学校に移り、エリート軍人としてのキャリアパスがあった。
もう一つは、中学校から高等学校に進み、それから帝国大学に行くというキャリアバス。
あるいは中学校から専門学校に行くキャリアパス。専門学校も東京商大(現在の一橋大学)、小樽商大、大阪商大(現在の大阪市立大学)といった所は、ビジネスの世界では東京大学経済学部よりも活躍できる環境にあった。
また実用語学、ロシア語や中国語は専門学校の方がレベルも高かった。
ちなみに高校は国際基準では中等教育であり、高校は高騰中学校という意味になる。戦前の高校、いわゆる旧制高校への新確率は1%程度で、高校入試に合格すれば東京大学法学部のような特殊な所を除いて、どこの大学でも行けたので、事実上は大学試験というのは無かった。だから高校進学と大学進学の率は殆ど同じだった。
私立大学は別の枠で、私立大学の入学試験が現在のように難しくなったのは、1970年代の半ば以降で、それでは圧倒的に国立大学の方が難しかった。
しかしこのようなコースに進む為には最低条件として授業料を払えないと進めなかった。
成績は良くて中学に進学させたいが経済的余裕がない子供は、小学校を卒業した所で師範学校に行った。師範学校の授業料は免除されており、寄宿舎や食費や小遣いも国が出してくれていた。
高等師範学校は、師範学校の教員を養成するためにあり、広島高等師範や東京高等師範が最高学府だった。
高等師範を終えた中には教員よりも研究者としての資質がある人材を教育する目的でできたのが東京文理科大学だった。この後の東京教育大学、現在の筑波大学である。
戦後にアメリカが、複数あった日本のキャリアパスょ一本化してしまったのは、良くなかった。
アメリカは日本が全世界を敵に回しても戦争ができたのは、日本の教育システムが良かったからだと考えていた。
だからアメリカと同じように一本化すると同時に、中学校を高校に昇格させ、高校を大学に昇格させ、その結果、実質的な大学は無くしてしまうという戦略があったという。
だから戦前の大学の卒業論文は、現在の博士論文のレベルであり、大学に所蔵されている過去の卒業論文を見ていくと、じんじん劣化していることが分かる。
2013年1月に発生したアルジェリア人質事件の時に、偶然、クロアチアにいた城内実・外務政務官を、安倍総理はアルジェリア入りさせ、結果はうまくった。
城内政務官は、元外務省のドイツ語のキャリアだった。
通常、ドイツ語のキャリアというのは、ドイツ語の勉強をあまりしない。
ドイツは敗戦国なので、ドイツ語は国連公用語になっていないからである。
しかもドイツ人の殆どが英語を話せるので、仕事は英語でできてしまう。
なぜ未だにドイツ語が外務省のキャリア研修語で残っているか、ということ自体が不思議である。
これは戦前の日独伊三国軍事同盟の残滓と言われている。
城内政務官は、ドイツ語キャリアであるにも関わらず、総理通訳を務めている。
総理通訳というのは、語学レベルが若手の中で上から3番目ぐらいまでに入らないと指名されない。
また城内政務官の父親が警察庁長官てせ、警備公安肌でずっと来ているので、過激派やテロに関しては皮膚感覚でよく知っていた。
その城内政務官が、アルジェリアに現地対策本部を作り、イギリスやフランスと連携し、アルジェリア政府と接触するための国際グループを作った。
そこで情報の真偽を判断し、おかしな情報は東京に報告しなかった。
アメリカに頼らず、イギリスを頼ってイギリスの判断を仰いだので、混乱することがなかった。
ボランティアとは、何の見返りも求めずに社会に貢献することである。
このボランティアを、かつて日本は「翼賛」と言っていた。
翼賛は強制ではなく、自発的に国家を支持することである。
大政翼賛会は強制ではなく、政党が自発的に政党を解消したもの、ということになっている。
大政翼賛会には、色々な企業も自発的に参加し、個人も自発的に参加した。
翼賛体制とは、ボランティア国家をつくるということである。
日本には翻訳に成功しなかった言葉で、カタカナにして済ませている言葉が時々ある。
例えばコンピューターは、昔の辞書にはほぼ「電子計算機」と書かれているが、これは大変な誤訳で、コンピュータにできることは計算だけでなく、人口知能としての機能があることに翻訳した人が気づかなかったのである。
中国はそれに気づいていたので、「電脳」と訳した。
横文字がそのまま入ってくるのは、怖い事である。
日本人は漢字カナ混じりの文化を使うが、その最大の問題は、実は言葉の意味を消化しないでも分かった振りができることである。
デフレかインフレかという議論が一方にあり、景気がいいか悪いかという議論が他方においてある。
この二つの議論は全く関係が無い。
インフレはパラメーターの話でいり、インフレ政策でお札を多く刷り、産業政策がきちんとできない形で一番大きな可能性は、名目賃金の上昇、実質賃金の低下である。
ケインズが当初狙ったのはこれであり、管理通貨政策をしようとしたのは、労働者は賃金がデフレで下がってくると、賃金が下がったと言って怒るから、お札をたくさん刷る。金と結びつかないお札を刷ることで、名目賃金は上昇するが、物価がそれ以上に上がると実質賃金は低下している。労働者はバカだからそれに気づかない、ということである。
これとニューディール政策のような政策は全く別の話である。
ニューディール政策によって、アメリカの景気は本当に良くなったのか、現在の実証研究では否定的になっている。
あの程度のことでは経済に影響を与えられない。
アメリカの経済不況が解決したのは簡単な話で、第二次世界大戦という大規模な公共事業をやったから、アメリカの経済はよみがえり、それが半世紀ぐらい影響力を持つことができたのである。
一神教の本来の性格は、「他の宗教の信者に対しては無関心」である。
一神教徒にとって基本的に大切なのは、神様と自分の関係なので、他の人が何を信じていようが関心は無い。
関心が無いから併存できる。
その端的な例がエルサレムである。
エルサレムは偶発的な衝突はあっても、カトリック教会も正教の教会も、プロテスタントの教会もイスラームの寺院もアルメニアの教会も、ユダヤ教のシナゴーグも全部併存している。
みんな一神教で神様を信じていて、自分が神様との関係でどう救われるかにしか関心がないので、併存できるのである。
EUは基本的にヨーロッパの文化総合が拡大したものである。
ヨーロッパの文化総合は3つの原理から成り立っている。
1つ目はユダヤ・キリスト教の一神教の伝統。
2つ目はギリシャ古典哲学の伝統。
3つ目はローマ法の伝統。
この3つが総合されて、一つの文化になっている。
これが理解できていると、ギリシャ経済危機の本質も理解できる。
ギリシャは3つ目のローマ法の伝統がない。
ヨーロッパの基本になっているのは、西ヨーロッパでありローマ法の伝統が強い。
ローマ法も一つの宗教で、「合意は拘束する」、約束したことは守らないといけない、というのも一つの宗教的な考え方である。
一方、口では約束したが心ではそうは思っていない、ということがギリシャ古典劇ではよく出てくる。
また、ロシアがEUに統合できないのも、ロシアは企保的にビザンツ帝国、東ローマ帝国の後継であって、ユダヤ・キリスト教の一神教の伝統、ギリシャ古典哲学の伝統は持っているのだが、ろーく法の伝統を持っていないからである。
東京大学で一番難しいのは、偏差値からすると医学部で、理Ⅲは偏差値80を超えているので、記憶力が特殊な人しか入れないが、それ以外の所は、努力すれは入れる。
努力家の一番の塊が法学部と言われているが、法学部よりもっと難しい学部がある。
それは専門課程の教養学部で、その中でも内部進学の点数が特に高いのが国際関係論で、その出身者が外交官になっている。
文学部哲学科は、一番の老舗学部だが、ここには内部進学の点は低くて、希望すれば殆ど入れる。
それに対して、駒場の科学哲学の講座は、内部進学の点が物凄く高い。
東大生というのは偏差値の高い所に行きたがる習性があるので、哲学をやりたい学生の多くは、駒場に残るのである。