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2014年10月3日金曜日

グローバル化が進むと、日本人だというだけで高給を要求することはできなくなる。
中国・華南地方のユニクロで働く20代の女性店長の月給は6000元(9万円)で、年収は7万2000元(100万円)である。
これは中国の法定最低賃金の5倍に当たり、中国のユニクロの店長は現地では高給取りである。
日本の労働者がその所得に見合う付加価値を持っていないならば、中国人に仕事を奪われるのである。
リベラル勢力は、日本の政治からいなくなってしまった。
リベラルは、リベラリズム(自由主義)の略で、その根底にあるのは自由や平等、人種などの近代的な価値に基づいて、よりよい社会を作っていこうという理想主義である。
リベラルが退潮した理由は、その思想が陳腐化したからではなく、理想の多くが実現してしまったからである。
リベラリズムが台頭したのは、権力者に不都合な事を書けば投獄や処刑され、黒人が奴隷として使役され、女性には選挙権も結婚相手を選ぶ自由も無かった時代である。
リベラルが夢見た社会が実現した結果、「現状で充分だ」という穏健な保守派ばマジョリティになるのは、先進国に共通している。
日本のリベラルは、護憲、TPP反対、社会保障制度の改悪反対、原発反対を唱えているが、原発を除けば、リベラルの主張は現状維持だということが分かる。
理想が実現してしまえば、その成果である現在を理想化するしかなくなる。
こうして夢を語れなくなったリベラルは、保守反動となり、穏健な保守派が「ネオリベラル的革命」を求めるという逆転現象が生じた。
日本共産党も、現在は共産主義革命の夢を語ろうとせず、「アメリカいいなりもうやめよう」という不思議なポスターを貼っている。
これは新右翼の主張と同じだが、リベラルが反動になったのならば、不思議なことではない。
オランダではマリファナが合法化されている。
マリファナはコーヒーショップと呼ばれる専門店で購入でき、ヨーロッパ中から若者が集まってきている。
アメリカでは医療用大麻の合法化が進んでおり、ワシントン州とコロラド州は嗜好品も合法となった。
南米のウルグアイは、2013年12月に、マリファナの生産・流通・販売を全て合法化する世界初の国となった。
2006年に成立した改正貸金業法の趣旨は「高利貸しが多重債務者問題を引き起こしている。だから上限金利を引き下げて、高利の貸付を違法にするとともに、利用者が収入に対して分不相応な借金をしないように規制すればいい」というものだった。
ちなみにイギリスには金利の上限規制はなく、当事者同士が納得しているのであれば、契約も自由であるべきと考えられている。
イギリスで上限金利の議論が起きた時に、「資金を必要としている人が借りられなくなる」と真っ先に反対してのは消費者団体だった。
イギリスの自殺率は日本の4分の1であり、上限金利と自殺は関係がない。
「1社で50万円、または他社と合わせて100万円を超える貸付けを行う場合には、年収の3分の1を超える貸付けを原則禁止する」という総量規制は、少なくとも先進国では一つもない。
確かに、法改正により大手消費者金融は経営破綻するか、辛うじて銀行の傘下となり生き延びているが、その一方で自殺者は減らず、経済格差や貧困問題は悪化している。
日本では、いくらまでなら借金していいのかを国家が国民に指導し、改正貸金業法で「日本人は金銭の自己管理すらできない愚かな民族だ」と世界に向けて公言しているのである。
自己評価と他者評価が一致している、すなわち「勘違いしていない」人の典型は、うつ病患者である。
あらゆる出来事をネガティブにとらえてしまうのが、うつ病だとされていたが、最新の研究によると、彼らの自己認識が正確すぎてポジティブな勘違いができないのだと考えられるようになった。
自由というのは、「何者にも束縛されないこと」だが、ジョン・ロックに始まる政治思想では私的所有権こそが自由の基盤だとされた。
領主が農地を勝手に取り上げてしまうようでは、人々は奴隷として生きていくほかない。
自由と私的所有権が一対のものだからこそ、私的所有権を否定したマルクス主義は、「自由の敵」とされた。
地球の誕生を1月1日として、生命が誕生したのが4月8日。
それから11月1日までは単細胞生物しかおらず、最初の魚類が出現したのは11月26日の午後。
恐竜の時代は12月9日から26日あたりまでで、最初のサルが出現したのが12月25日。
人類の祖先が現れたのが12月31日の午後8時10分となる。
エジプトやメソポタミアに最初の文明が誕生してからは、わずか30秒しか経っていない。
「小沢一郎の知恵袋」として知られる平野貞夫(元参議院議員)は『公明党・創価学会の真実』の中で、こう指摘している。
「自民党と公明党・創価学会との関係は、佐藤栄作-田中角栄-竹下登-小渕恵三の流れだと思われがちだが、それは実態と違う。
歴史的には、岸信介-福田赳夫-安倍晋太郎の方がより深いといえる。」
その例証として平野は2001年3月11日付『聖教新聞』の記事を挙げる。
それによると、1958年3月16日の本山の式典に首相(当時)の岸信介が出席する予定だったが、反対があってかなわず、名代として、岸夫人の良子、娘の洋子、洋子の婿で首相秘書官だった安倍晋太郎が出席することになったという。
この式典への岸の出席は、岸が自民党幹事長から親交のあった創価学会第二代会長の戸田城聖との縁で、岸が希望したものだった。
もちろん、岸の孫で晋太郎の息子の安倍晋三と創価学会・公明党との関係が浅からぬものであることは言うまでもない。

『公明党・創価学会の真実 』(講談社+α文庫)

1985年2月27日の夕方、田中角栄は脳梗塞で倒れ、東京逓信病院に担ぎこまれた。
時に角栄は66歳。39歳で郵政大臣となって以来、郵政省、電電公社は角栄の「天領」だった。
東京逓信病院は一般の人は入院できず、郵政省、電電公社、KDDの職員とその家族だけが診察を受けられる。
角栄は元郵政大臣として入院できる資格があり、ここに入院を主張したのは秘書の早坂茂三だった。
娘の田中眞紀子は、「医者や看護師に共産党員や創価学会員が多いので、外に病状が漏れる心配がある」と渋ったが、結局、早坂に押し切られた。
このことが、後に早坂が田中家に「切られる」原因となった。
この時、角栄倒れるという秘事を早坂から伝えられた田中派議員は、二階堂進、小沢辰男、後藤田正晴の3人だけで、「創政会」を作って田中派乗っ取りを図っていた竹下登と金丸信には知らされなかった。
吉田茂から福田赳夫まで、歴代首相の指南役と言われた安岡正篤という陽明学者がいた。
敗戦時の「玉音放送」の文案を添削したのは有名だが、池田勇人のつくった派閥「宏池会」の名付け親としても知られる。
佐藤栄作や大平正芳を含めて、特に官僚出身者が施政方針演説などに安岡の朱を入れることを求めたが、石橋湛山、三木武夫、田中角栄などの党人派は安岡からは遠かった。
官僚出身ながら、宮澤喜一だけは例外で、安岡を敬遠していたという。