「小沢一郎の知恵袋」として知られる平野貞夫(元参議院議員)は『公明党・創価学会の真実』の中で、こう指摘している。
「自民党と公明党・創価学会との関係は、佐藤栄作-田中角栄-竹下登-小渕恵三の流れだと思われがちだが、それは実態と違う。
歴史的には、岸信介-福田赳夫-安倍晋太郎の方がより深いといえる。」
歴史的には、岸信介-福田赳夫-安倍晋太郎の方がより深いといえる。」
その例証として平野は2001年3月11日付『聖教新聞』の記事を挙げる。
それによると、1958年3月16日の本山の式典に首相(当時)の岸信介が出席する予定だったが、反対があってかなわず、名代として、岸夫人の良子、娘の洋子、洋子の婿で首相秘書官だった安倍晋太郎が出席することになったという。
それによると、1958年3月16日の本山の式典に首相(当時)の岸信介が出席する予定だったが、反対があってかなわず、名代として、岸夫人の良子、娘の洋子、洋子の婿で首相秘書官だった安倍晋太郎が出席することになったという。
この式典への岸の出席は、岸が自民党幹事長から親交のあった創価学会第二代会長の戸田城聖との縁で、岸が希望したものだった。
もちろん、岸の孫で晋太郎の息子の安倍晋三と創価学会・公明党との関係が浅からぬものであることは言うまでもない。
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