1985年2月27日の夕方、田中角栄は脳梗塞で倒れ、東京逓信病院に担ぎこまれた。
時に角栄は66歳。39歳で郵政大臣となって以来、郵政省、電電公社は角栄の「天領」だった。
東京逓信病院は一般の人は入院できず、郵政省、電電公社、KDDの職員とその家族だけが診察を受けられる。
角栄は元郵政大臣として入院できる資格があり、ここに入院を主張したのは秘書の早坂茂三だった。
角栄は元郵政大臣として入院できる資格があり、ここに入院を主張したのは秘書の早坂茂三だった。
娘の田中眞紀子は、「医者や看護師に共産党員や創価学会員が多いので、外に病状が漏れる心配がある」と渋ったが、結局、早坂に押し切られた。
このことが、後に早坂が田中家に「切られる」原因となった。
このことが、後に早坂が田中家に「切られる」原因となった。
この時、角栄倒れるという秘事を早坂から伝えられた田中派議員は、二階堂進、小沢辰男、後藤田正晴の3人だけで、「創政会」を作って田中派乗っ取りを図っていた竹下登と金丸信には知らされなかった。
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