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2017年2月21日火曜日

『ロシアの歴史』という本がある。
ロシアの小学校6年生から中学校3年生までが使う教科書全4冊を2冊に分けて翻訳したものである。
このロシアの教科書は、日本の標準的な大学の一般教養レベルであり、日本の大学の1~2年生のレベルが、ロシアの中学生レベルになっている。
ロシアでは、授業は全部暗記で、とにかく高等教育までは全て受け身で、暗記させることしかしない。
暗記したことを正確に復元させるのがロシアの教育法だという。

イギリスは、パキスタン、バングラデシュ、インド、ネパールの人達がイギリスの市民権を取りやすいようにしている。
イギリスへの入国審査も簡単である。
空港でも英連邦に属する国々「コモンウェルス」の人達には専用の入り口がある。
イギリスはそういう形でも宗主国の責任を取っていて、そういう形で宗主国ネットワークを今でも維持している。
精神科医の岡田尊司氏の『マインド・コントロール』は非常に面白い。
岡田氏は東京大学文学部哲学科を中退した後、京都大学医学部に入り直して、精神医学を学び、法務省に入り少年院の監察医をずっとやっていたという。
彼の分析によると、マインド・コントロールの原形は、子供達が集まるスポーツクラブや進学塾にある。
そこで子供をトンネルに入れるみたいに周囲から遮断して、その小さな世界のルールや価値観で支配する。
トンネルの先に見える明かりは試合に勝つ、神学校に合格するということで、そこに向かって脇目もふらずに邁進していく、そんな世界を作るのである。
この方法を取ることで、確かに効率的に能力を伸ばすことはできるかもしれないが、そういう形で思考の鋳型を作られてしまった人というのは弱い。
つまり、その後の人生で、ブラック企業であれ、カルト教団であれ、役所であれ、外界が遮断された所に入れられて、独自の価値観の中で評価されて、出口はここだと、一点を見せられると、比較的簡単に疑問も持たず、その世界に沈入してしまい、マインド・コントロールされやすい。
例えば、学校の成績はあまり振るわないけども、クラブ活動に異常に打ち込む子とか、趣味の分野については非常に詳しい子とかがいる。
便器用とは違う価値基準を作って、自分は意識が高いんだとか、他の子とは違うんだ、良いセンスをもっているんだ、という具合に一種の逃避や合理化をする。
そんなふうに、ある認識の鋳型、ある種の価値体系をかたくなに持っている人がいる。

反知性主義は、本来違うニュアンスで使われていた言葉である。
もともとアメリカで生まれた言葉で、知性の高い人達が威張り散らしていると教会が成り立たないから、こんな神の前には平等である。教会に行けば皆んな一緒だよ、という意味合いの、むしろ知性を持った人達の傲慢さを牽制する言葉だった。
我々が反知性主義の言説にとらわれないためには、あらゆる物事を鳥瞰する散っていした「上から目線」を持てるように意識していく必要がある。
アベノミクスというのは、おそらく安倍総理とその周辺が主流はの経済学を全く知らないがゆえに出来上がった政策だと思われる。
例えば、ゼロ金利からの金融政策は、これがどうして金融政策なのか、よく分からない。
最終的には日銀に大量の国債を買わせることになるわけでから、どちらかというと財政政策になる。
しかも一方で、緊縮財政の話をしながら、他方でケインズ型の公共事業に依存していくと言い、その上で民間投資での成長を実現していくという。
アベノミクスが成功するには、市場の期待が集まっている瞬間に、たまたま国家の基礎体力が飛躍的に向上するようなイノベーションが生まれるとか、奇跡のような偶然がいくつも重ならないとい無理だと、理屈で考えれば殆どの人が分かるはずである。
そうではない、と信じられる人は反知性主義に陥っている。
つまり、実証性と客観性を無視して、自分が浴するように世界を理解しているということである。
反知性主義というのは、知識の量とは関係なく、知に対する姿勢の問題で、知というものをどういうふうに見ているか、ということである。
安倍政権の方が、野田政権や菅政権の公判と比べると、再分配的である。
アベノミクスは、お札をどんどん刷って、公共事業をどんどん増やしていくことで、景気を回復させようとしていて、基本的に痛みを伴わない改革である。
強いて言うと、10年後、20年後の若い世代にツケが全部回ってくる事になるが、これから死に絶えていく世代にとっては関係ない。
アベノミクスが10年続けば、現役世代はその上に乗っかって、ツケを全部、後ろの将来世代に回して、死んで行けばよいという組み立てになっている。
日本の潜水艦には、伊号潜水艦と呂号潜水艦と波号潜水艦があった。
この中で緒方潜水艦は伊号潜水艦で、伊号400型という潜水艦は飛行機を3機搭載でき、パナマ運後の攻撃を計画していた。
実際に、零式小型水上偵察機という胴体の下にスキーを履かせたような形の飛行機を飛ばして、アメリカ西海岸の森を焼いたりしている。
これはアメリカ史上初の本土空襲だった。
日本の伊号潜水艦は世界中を泳ぎ回る能力があった。
ちなみにドイツのUボートは一番大きいので呂号、大体は波号程度だったので、太平洋を縦横無尽に動くことはできなかったし、ドイツは未だに大型潜水艦の技術はない。
我々は複雑系の中で生きているので、この自分を取り巻く複雑な事柄を一つ一つ解明するために割く時間やエネルギーはない。
しかし、複雑性には縮減するメカニズムがある。法律を作る、マニュアルを作るというもがある。
そして、人間が持つ一番重要かつ効果的に複雑性を縮減するメカニズムは「信頼」だとするのが、ニクラス・ルーマンの仮設である。
信頼によって、相当程度、判断する時間と過程を省略できる。
一方、ユルゲン・ハーバーマスは「順応のメカニズム」という事を言っている。
世の中の複雑さを構成する一つ一つの良そうを一から自分で情報を集め、理屈を調べ、解明していくと時間が足りなくなってしまう。
だから自分が納得できないことがあるとしても、「誰か」が発した意見をとりあえず信頼しておく。
これが続くと、「順応の気構え」が出てきて何事にも順応してしまうという。
順応と信頼はコインの裏表であり、一度信頼してしまうと「おかしい」と思っても、なかなか見直しができなくなる。
なぜかというと、信頼した人に裏切られたという意識を持つことによって、つまらない人を信頼してしまった自分が情けなくなるからである。
教養というも、あるいは学問というものが、どこから来ているのかと言うと、ヨーロッパとなる。
さらに遡ったらギリシャとなる。
ギリシャだということは、つまりドイツだと言ってもよい。
ヨーロッパ的な学問というのは、ユダヤ・キリスト教の一神教の伝統と、ギリシャの古典哲学の伝統とローマ教皇の伝統、その3つが合わさってできたものである。
それらが世俗化していくプロセスで、中世期に大学が登場した。
誕生の時点から進学と学問は結びついているので、今だもドイツでは神学がないと総合大学とは言わない。
ところが、啓蒙の時代になって、大学のレベルが落ちてしまい、大学の代わりに出てくるのがアカデミーである。
アカデミーとは、神学に代表される合理性に反する中世的な教養を捨てて、自然科学のような実用的で新しい教養に重点を置いた教育機関のことである。
そしてドイツでは、18世紀の終わりから19世紀にかけて大学が刷新されて、アカデミーでやるような自然科学的なことを大学に取り入れていこうとする動きが起きた。